2012年02月18日

JCとお寺の聖性と夕方の坐禅

また寒い日に逆戻りですね。

今週は何かといろんな事が起きた一週間でした。ここ数日のフラッシュバック。

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私の高校の同級生で、現在市議会議員として活躍されているKくんが、突然西光寺にお越し下さいました。何事かと思いきや、彼の所属しているJC(青年会議所)のお誘いでした。今回も丁重にお断りを致しました。

今回“も”と書いたのは、過去に何度もお誘いをいただいたからです。
今から書くことは決してJCの活動を批判するものでも、またその他の組織(例えばロータリーとかライオンズとか)に対してホスティリティを持つものでもありません。それに、お誘いいただいた事には大変感謝しています。

さて正直、私自身、僧侶としてこうした組織に身を置き、活動していくことに、どうしても疑問を抱かざるを得ないのです。それは何故か。

お寺が、或いは多くの宗教施設が、町の中心であったり、少なくとも周りに人々が多く住む場所に建てられているのは、“俗”というエリア(=町)の中に“聖”(=宗教施設)があることで、一般の人々やその地域に対して、直接的・或いは間接的に意味のある影響を与えるからだと私は思っているからです。

つまり、“俗の中の聖”であるからこそ、意味がある。勘違いしないで欲しいのですが、だから辺鄙な場所にあるお寺(永平寺もそうだけど)が悪いのではありません。そうではななく、市井の人に影響を与える意味は何か?、と“俗の中の聖”である一般的なお寺は考えなければいけないと思うのです。(だから“聖の中の聖”も大事ということ)

もし、仮に4年前の私だったら(当時はロータリーの青年部とも言うべき、ローターアクトに所属もしていたし)、「今の僧侶は、現代の一般的な人々の考え方や付き合い方と乖離している。これでは駄目だ。だから、一般的な組織に身を置いて、現代的な活動をし、時代に迎合するような考え方を自身、身につけなければいけない」と考えていたでしょう。実際そうだったし。

でも、それは違うという考えにシフトしてきました。結局、我々僧侶がすべきことは、世俗に迎合し、無批判に世間べったりになって、勘違いした“現代感覚”を身につけることではなく、ただ仏教を学び、実践するだけだと考えるようになりました。

その意味では、現代感覚に合っていようと、非常識だろうと、あまり関係がないのです。ただ、仏教に即しているか即していないか、というだけが問題なのです。そうかといって、反社会的になれ、というものでもありません。“社会”はこの際、関係ないのです。

また、だからといって、お寺にこもり、地域の人やお檀家さんに何もしない、というものでもありません。繰り返しますが仏教=“反社会的”でもないからです。
私が護持会の役員さんを増員したのも、遠因がここにあります。役員さんを増員することで、一般的な企画・実行・運営の考え方を、役員さん含む檀家さんで持ち込んで貰えばいい。あくまで、お寺はそれを活用する場であり、その根幹は僧侶が持つ“仏教力”であるべき、と思うからです。だから、住職が無理に世間にこびへつらうことはないし、それが出来ないからといって、だれも非難できないのです。端的に言えば、「イベントは檀家さんにおまかせ」でも良いのです。ただ、仏教を信仰した上で、そのイベントなり行事なりを運営・参加・協力してくださる檀家さんを作ることが、本当の布教であり、その原動力は常に仏教に対する信心であるべきだと考えています。

思いもよらず、長い文章になってしまいましたが、結論的には、現在の私にとって彼ら(JCやロータリーやライオンズ)のような組織は非常に意義深いし、価値も理解できるのですが、さりとて僧侶として自分が身を置く必要は全くない、むしろ、きちんと仏教を学ぶことで、そうした彼らや社会に対してきちんと表現できる・影響を与えられる、相談にのれて、仏教的に啓蒙できるような存在に成ることが第一だと思います。


昨日は昼過ぎから金子牧師さんとのギター練習。いよいよライブの日が近づいて参りました。・・・とはいえ、ちょっと練習して、ギターはおいて、すぐに四方山話に脱線(笑)牧師さんとのお話は本当に様々な気づきを与えてくれます。多謝。でも、話の内容はここには書けないようなものが多いので・・・割愛。

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先日、新たに西光寺の役員さんになってくださった方と、打ち合わせを兼ねてお食事をご一緒させていただきました。何の打ち合わせかと言えば、護持会企画の行事として、お寺で「太極拳講座」をしようというもの。奇しくも、この役員さんが太極拳の先生もやってらっしゃるので、是非お寺でやって欲しいとのラブコールを受けての打ち合わせです。

正直、このようにお檀家さまと一対一で飲むのは初めてのこと。なので、どこかしら変な緊張もあったことは、隠せない事実であります。
しかし、結果的にこの方の包容力あふれるお人柄のおかげで、とても楽しい時間を過ごすことができました。ありがたかった。この企画が素晴らしい実りを生むように、きちんと計画して実施したいと思います。予定では春頃に行います。

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先日、また「坐禅をしたい」とご連絡下さった方がお見えになりました。ありがたいことです。いつものように、ちょっと雑談をしてから本堂へ。今回はご本人の希望で、30分の坐禅を。
この時は、夕方4時半頃から座り始めたのですが、よくよく考えると、この時間帯で座ったことってあまりないかも。普段は午前中が多いし、永平寺も基本は早朝と夜7時から。
でも、この時間帯って、結構静かで、とても座りやすかった。こちらもまた一つ学びになりました。

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・・・思いがけず長文になってしまいました。ごめんなさい。最後までお読み頂き、ありがとうございました。
  

Posted by 泰明@西光寺 at 15:02Comments(0)TrackBack(0)

2012年02月16日

32とサンドウィッチマンとカレーとブルース

えっと、はずかしながら、今日は私の誕生日です。32歳になりました。

あっ、どうもありがとうございます。(←一応、“おめでとう!”という皆さんからの心の声が聞こえたという設定で・・・笑)


はい、ということで32にもなって下らない書き出しですが、ここ数日間のフラッシュバック。

とにかく、慌ただしかった。師匠が留守をしたので代わりに(もならないが)葬儀の導師(中心人物)をつとめたり、法事をしたりと、普段いかに師匠に頼っているかがよく分かる。もっと自分がしっかりしないと。

次。今週日曜日(19日)には市内某所で・・・金子牧師さんと一緒にライブ出演!!です(祝・2回目)
しかも今回は二人きり(前回は3人で演奏)前回演奏した曲+今回は牧師さんのご提案でこんな曲を。

http://www.youtube.com/watch?v=Ey8C8Z8Mez4

"Shake a Hand"

聞いたことがなかった曲でしたが、何ともアメリカのブルージーでソウルな雰囲気。渋いソロフレーズを考えないと(汗)いずれにせよ、日もないので、明日あたりに一度打ち合わせをする予定。せっかくのチャンスだから、頑張ります!


次。
東三河(どすごいブログのエリア)の曹洞宗青年会というアンダー40の僧侶で構成される組織があります。およそ60名の会員で、構成され、会長以下役員5名と主要ポストが2年任期で交代になります。

そして今年4月より新会長を務められるのが、赤羽根のお寺の住職さん!(過去にはこんなことがありました)

この方は、公私ともに本当にお世話になっている先輩で、一昨年までの4年間、豊川にある曹洞宗の役所のような機関で一緒に働かせてもらった、私にとっては兄のような存在です。そして先日、この新会長さんから、私に役員就任の依頼が来ました。ま、あまりお役には立てないですが、何より兄のようにお慕いしているこの住職さんと、ともに活動ができることが本当に嬉しいし、とてもご縁を感じます。

あ、ちなみに、ご縁で思い出したけど、この新会長のお父様(先代住職)が、この青年会の会長だったときにウチの師匠(父)が同じように役員をやらせてもらっていたそうです。なので、親子2代にわたって、同じようなポストで活動ができるのは、本当に有り難い仏縁としかいえません。


次。西光寺のお檀家さんで、超絶無比な絶品カレーを作る福井さんという方がいらっしゃいます。知る人ぞ知る、すばらしいカレーです。なんと!このカレーがサンドウィッチマンのラジオ番組で大々的に採り上げられました!!!

http://www.youtube.com/watch?v=nc8KyH5XvGA&fb_source=message

(6分ちょうどくらいから紹介されます)

福井さんは、元プロボクサーという異色の経歴。昨年の大震災発生直後より積極的な支援活動を展開され、現在でもなお様々な活動を通し、被災地に支援をされています。まったく「身を粉にする」という表現がピッタリくるほど、妥協がなく真っ直ぐに支援をされています。本当に頭が下がる。
被災地の食材をふんだんに使用してカレーを作られているので、このカレーを購入されることでも支援になります。ご興味のある方は、是非一度お電話を!!!(オーダーは電話のみです)

フクイのカレー(福井さん)電話:0532-61-4269
  

Posted by 泰明@西光寺 at 19:19Comments(2)TrackBack(0)

2012年02月15日

自分、僧侶ですから・・・【涅槃会】

今日、2月15日は仏教徒にとって非常に重要な3つの日のひとつ、「涅槃会」(ねはんえ)です。

涅槃とは、本来、煩悩を消し去った後の安楽なる状態を言うのですが、これが転じてお釈迦様のご命日とされています。もう少し言えば、ブッダは“死”というものを以て、安楽なることを示されたということで、「涅槃」という言葉が使われています。



さて、今日はせっかくなので、『佛垂般涅槃略説教誡経』を採り上げてみたいと思います。長いタイトルですが、ずばりこれはお釈迦様が亡くなる前に、最後に遺した言葉・教えのお経とされています。ちなみに読み方は「ぶっすいはつねはんりゃくせつきょうかいきょう」もしくは「ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう」、略して“遺経”(ゆいきょう)とか、“遺教経”とか言われています。まぁ文字通り「最後に遺されたお経」ということですね。(以下、「遺経」と書きます)

ある説に依れば、このお経は“偽経”と言われ、俗に言う所の「中国で後世に作られた偽物」という事なんですが、言ってしまえば、元々ブッダは、教えをただの1つも文字として遺されていない(これはイエスも同じと言われていますね)訳で、そう言う意味では「パリニッバーナ」だって同じようなものです。なんでもかんでも、「北伝(中国や日本に伝わる仏教)は偽物で、南伝(スリランカやタイなどの仏教)こそ本物だ!」と主張する人がいますが・・・このことについて詳しく書くと、とんでもなく長くなりそうなので割愛します。

が、とにかく、泰明は個人的にこの「遺経」が非常に気に入っています。西光寺ではお通夜にこのお経をおつとめするので、年に何十回も読むから、ということもありますが、「死の直前」という臨場感あふれる描写と、教えが割と平易で、身に染みる感じがするからです。

実際はとても長いお経なので、この中からごくの一部分だけを書きます。今日は終わりに近いこの部分。

「当に知るべし、世は皆無常なり、会うものは必ず離るることあり。憂悩を懐くこと勿れ、世相是の如し。当に勤めて精進して早く解脱を求め、智慧の明を以て、諸の痴暗を滅すべし。世は実に危脆なり、牢強なる者なし。」

 あまり難しい言葉ではないのですが、一応現代語風にいうなら・・・

「(ブッダは弟子達に伝えた)・・・まさに知っておきなさい。世の中はみな無常です。会った人とは必ず別れがくるのです。(しかしだからといって)いたずらに悩み憂いを持つことはありません。世相がこのようなものだから。
だからこそ、しっかり勤め励み精進をして、解脱(さとり)を求め、正しい智慧(見方・考え方)という“明かり”をもって、この愚かさの“暗さ”を滅しなさい。
世の中は、実にもろく、危ういのだから、堅剛なものなどありません。」

ま、だいたいこんな感じでしょうか。この遺経も、最後の最後の段になると、殊更に臨場感あふれ、本当に死を前にした人間が、遺された人に伝えたい最後の思いを吐露するような文が続きます。

無常、というと、何か寂寥感が込み上げてくるような面持ちがしますが、仏教的にいえば、これが基本理念であります。どうしても我々は“世の中ははかないものだから”といい、怠惰をむさぼり、楽な方楽な方へと流れがち。

しかし、だからこそ、ブッダは「悲しむことはない、これが世の掟だから」と言い、「怠ることなく、修行を完成させなさい」(このフレーズはパリニッバーナにある)と最後に言い残すのです。ま、これは言ってみれば弟子たちに伝えた言葉であるので、たぶんに“僧侶向け”な教えではありますが。とはいうものの、一般の方が読んでも「なるほど~」と仰っていただけるんじゃないかと思って紹介しました。
  

Posted by 泰明@西光寺 at 12:11Comments(4)TrackBack(0)仏教のこと

2012年02月14日

バレンタインデーにあえての

チョコの話しではなく、今日はあえての“涅槃団子”(ねはんだんご)

なんだかおどろおどろしいネーミングですが、これは、明日(2月15日)が、お釈迦様の亡くなられた日(涅槃会・ねはんえ)なので、そのために毎年作っているもの。

今日は子どもも初挑戦。(ほとんど粘土遊びだけど・・・)家族総出で作りました。
原材料は米粉。これを練り、蒸して作ります。


多くのお寺がそうであるように、本堂の右奥(この部分を“室中”しっちゅう、と言ったりします)に涅槃図というブッダが亡くなられた時の様子を描いた掛け軸をかけます。そしてその前にお供えとして涅槃団子をおきます。

去年も書きましたが、このお団子はご自由にお持ち頂けます。期間限定!数量限定!!ですので、良かったら是非お越し頂いて、涅槃図をご覧頂き、お団子をお持ち帰り下さい。

  

Posted by 泰明@西光寺 at 17:28Comments(0)TrackBack(0)ぼ~さんの日常