2013年04月04日

【スピンオフ】住職塾セミナー@東別院での話



住職塾に関する記事を連載しておりますが、ここでスピンオフ記事として、名古屋の東別院にて行われた、住職塾のイントロダクション的講座、『住職塾セミナー』について書きたいと思います。(実はオマケ的に書いていたのですが、結構濃い目の内容になってしまいました・・・笑)

このセミナーは、住職塾に興味のある方を対象とした2時間程度のプレセミナーで、このときは30人ほどの方が来ていました。
本当にたまたまなんですが、私がブログを拝見していた、同じ豊橋市のお寺さんも来られていて、そこで初めてお目にかかれたのでした。もちろん、宗派も違いますし、初対面です。でもこういうご縁が、住職塾らしい(笑)

さて、前回の記事に「来期から講座を担当される素晴らしいあるスタッフの方」について、心底感激したと書きました。
この方は、日本の大手企業のコンサルティングを手がけられ、さらに、誰もが知っている有名IT企業にも籍を置かれていた、超がいっぱいつく(笑)優秀な方です。しかも私と同じ年(?!!)

曰く、
「日本の現状を見てきて、
 1.お金が原動力になる時代は終わり(智恵や意欲など無形の価値こそ力)
 2.商品やサービスはすぐに陳腐化する
 3.「人づくり」に関する社会的機能の衰退
という事を感じた。
自分が、ある仏教系大学のコンサルティングをしていたときに、仏教の可能性に気がついた。仏教がダメになるなら、日本がダメになる。」(超要約してます)


懇親会でも少しお話をさせていただく機会があったのですが、とにかく前職の実情が想像を絶するほど過酷。「よく生きてこられたなぁ」と心配になってしまうほど。でも、このように、日本のある意味トップの方が、仏教の可能性に気がついて下さり、そして賭けてくれている。これって私にとっては、すごく心強いです。つまり、坊さんが「人生お金じゃないですよ。スキルや知識じゃないですよ」と声をからしても「いやいや、社会人経験のない奴に言われたくないわ」みたいに一蹴されてしまうんですよね(涙)

と、いうか、それ以上に、「僧侶・在家」という枠組みの新たなフェーズ(いや、実際のところは新しくもないんだそうですが・・・)、新しい関係性、つまり、”僧侶を養うことで功徳を積み、安心を得る、という本来の役割をもう少し拡大解釈した「僧侶=お寺のよきパートナー、アドバイザー、コンサルタント」”という一歩進んだ関係を提示しつつあるのかも、と内心ではとても期待しております。(詳しく書くと長くなるので、今日は割愛します)


閑話休題。
セミナーの質疑応答の際、”お寺の音楽イベント”についての質問がありました。

それを聞いていた時に、ちょっと思いだしたことがあって。
何というか、「あぁ、やっぱりね」みたいな。実は一年前の光明寺でのプレセミナーでも、内容は違うけれど、音楽イベントに関する質問がでていました。

面白いことに、『未来の住職塾』をやっているうちに、こうした○○イベント的な話って、受講生同士あんまりしなくなるんですよね。何というか、そこの部分にはあまり関心がなくなるというか。

自分でも恥ずかしいことなので、ちょっと表現がうまく出来ないんですが、「お寺のイベント」に対する思いって、受講前は「何かイベントしないと、お寺が衰退してしまう」とか「人が集まらないと」みたいな、要は”変な危機感を募らせた”もので、間違った救いをイベントに求めてしまってました。

言うなれば、イベントは”救世主的機能を持つ、何だか分からないけど強力なアイテム”として見てしまっている。さらに言うなら、イベントをしたことで”今までとは違う”とか”一人でも多く来てくれたら安心”といった、これまた変な満足感がある(苦笑)イベントに使われている、というような。

でも、受講していくうちに、イベントに対する考え方そのものが変化してきて、例えばもしイベントをするのなら(そもそもイベントにウェイトを置いていないので)、仏教的な意味合いや機能、誰に届けたくて、どんな成果があるか、ということに関心が向いてくる。”イベントをまさに仏教の方便として使う”、ようはイベントは、数ある1つの選択肢に過ぎなくなってくる感覚。

これって考えてみれば、至極当たり前で何の不思議もないんですが、やっぱり変な危機感があると、前述のようにおかしな思考に陥ってしまうんですよね(自分のことなので、尚更恥ずかしいですが・・・)と、まぁそういう訳で、イベント救世主論(?)はだれもしなくなる。

で、偶然、拝見していた真言宗のお寺さんが、素晴らしい記事を書かれていました。
http://www.hasedera.net/blog/2013/03/post_319.html
特にココ↓(引用させていただきます)

住職というのは、その縁起に伝えられる開山開基の人々の宗教的なテーマを、より意識的に、自覚的に、選択的に継承し、そのテーマをリフレインし、その動機づけを我が動機として本願を地域社会や時代に向けて具体化し、また個人においてはその本願を生き(ようとす)るのが、責務というか定めなのではないだろうか。

でも、寺づくり、開かれた寺院という言葉が独り歩きして、受けの良い、イベント性のある行事や、あるいは社会参加する仏教(エンゲイジド・ブッディズム)でありたいと急ぐあまりに、本尊の本願とはかけ離れた活動に熱中してしまうとしたら、空疎なことになってしまうと思う。

・・・もう、まったくその通りとしか言いようがない。
敢えて言えば、別に本尊様に限らず、宗旨、開山、開祖と置き換えてもよいのかも、と私は思います。(これすら当たり前ですが・・・)とにかく回り道をして、時間をくって、でも本当に心からこの意見に賛同できるようになったのは、逆に住職塾のお蔭かもしれません。

そもそも”(うちの)お寺じゃなくても一向に差し支えないイベント”なら、はじめからやる必要などないのです。彼岸寺風にいえば「そこに仏教はあるのか?」ということです。

ちょっと矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、"だから今まで通りで良いのだ"とか"新しいことをすべきではない"ということを言いたいのではありません。
その”新しいこと”はもしかしたら仏教的にとても意義在ることで、それが今後何十年続くスタンダードになるようなこともあるでしょう。ただ、私個人にはそのようなエポックメイキングなことを創り出すのは到底無理ですし、そんなことが簡単に生まれるならば、私とは比較にならないほど聡明な僧侶が五万といる訳ですから、とうの昔に誰かが生み出してくれているはずですし…。


お寺、と一口に言っても、機能的なものは一つではありません。一般の方からすれば基本的には「お墓があって法事や葬式をしてもらう場所」だろうと思います。付け加えるならば「観光で行く所」とか。
ただ、私たち僧侶にとっては、それだけではないはずです。聞法の道場だったり、ご祈祷寺だったり、叢林という機能もあるでしょう。

そう考えていくと、そもそも"お寺って何?"という視点からはじめなければならないと私は思っていました。

また、仮にイベントをした場合、「仏教を伝えたい」という気持ちがありますよね。ではその”伝えるべき仏教”は自分にあるか?体現しているのだろうか?ただ教科書を丸暗記したような話をしていないだろうか・・・。

また”何をもって「広まる」ことを意味するのか”とか。
さらに言えば、”仏教を広める”ことがどの範囲、射程で言っているのか?とか。広めることの意義は??
勿論、「梵天勧請」の話もあるし、宗教法人法(第一章1条2「・・・教義を広め、儀式行事を行い・・・」)というのもあるし・・・。でも道元禅師には師匠の如浄禅師から言われた「一箇半箇を接得せよ」って言葉もあったり。

そんな折、出会った文があります。

「はじめて発心するときは、他人のために法をもとめず、名利をなげすてきたる。名利をもとむるにあらず、ただひとすぢに得道をこころざす。かつて国王大臣の恭敬供養をまつこと、期せざるものなり(中略)
 しかあるを、おろかなる人は、たとひ道心ありといへども、はやく本志をわすれて、あやまりて人天の供養をまちて、仏法の功徳いたれりとよろこぶ。国王大臣の帰依しきりなれば、わがみちの現成とおもへり。これは学道の一魔なり。
あはれむこころわするべからずといふも、よろこぶことなかるべし。」
       『正法眼蔵』「谿声山色」巻


本当に、住職塾は考えさせられます(笑)




(蛇足)上記の部分、ラフな現代語訳です。
「(僧侶が)はじめて”出家しよう”との思いを起こすときは、他人のためにすることではなく、まして自分の名誉のためでもない。名誉や名声など求めず、ただひたすらに仏道の成就をこころざす。国王や大臣といった権力者の帰依を期待することなど、まったく思わないものだ。(中略)
しかし、愚かな人は、たとえ出家の心があっても、早々にその志を忘れて、誤って世間の人が尊敬してくれるのをまって、それが仏教の功徳が現れた、とよろこぶ。権力者が帰依してくれたことが、そのまま自分の仏道の達成だと勘違いしてしまう。これは間違っている。権力者をふくめ、世間の人を哀れむ心を忘れてはいけないが、しかし、自分に付き従うことを喜ぶべきではないのである」


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