2012年01月02日

二日に思うこと

おはようございます。
楽しいお正月をお過ごしでしょうか?がんばれ駒大!!(駅伝ネタでごめんなさい。母校ですので)

西光寺はすでにお通夜、お葬儀のご予定が続いています。
新年からこんな記事を書くなよ!と思われるでしょうが、しばしお聞き下さい。

曹洞宗の僧侶は、一般的にこの1月2日に遺偈(ゆいげ)と呼ばれる、自分の“辞世の句”を作ります。標準的には4言4行の詩です。

一年のはじめに、自らの僧侶として歩んできた人生、境涯などを詩にしたため、もしもの時に備えます。では、本当にもしも、の時がきたらどうなるのかと言えば、葬儀の時に祭壇右上方に掲げられるのです。

僧侶は年頭にあたって、生死を思うのです。「正月から縁起でもない」とみなさんは思われるでしょう。確かにそうです。でも、僧侶は出家者です。世俗の縁を絶ちきって出家するから僧侶なのです。

だからこそ、この新しく受けた一年(だから“享年”という)を大切にし、そしてこの一年の最初にいつ来るとも知れない“臨終を思う”のです。文化も時代も違いますが、ルネッサンス期ヨーロッパの“メメント・モリ”みたいなものかもしれません。(詳しいことは知りませんが)

葬儀の時に読む文(回向文)の中にも“生縁既に尽きて、大命俄に落つ”というフレーズがあります。
「生きていられるのは無数の要因があって、それらが積み重なって始めて“生きて”いられる。その要因(縁)が尽きて、命の終わりが来れば、尊い命、昨日まで元気だった命も突然に失ってしまう」というような意味です。

年頭にして生死を思う、なんとも仏教的な生き方だと思います。


・・・あ、でもここ2年くらい、遺偈書くのサボッとったわ・・・。反省。


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Posted by 泰明@西光寺 at 10:23
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