2013年03月28日

『未来の住職塾』を終えて(中編:京都・東京あじくらべ)

前編からのつづきです。


さて中編は、「京都・東京あじくらべ」と題しまして、京都会場の最終回と、翌日の東京第一クラス@光明寺の比較を。
運良く、東京第一の最終回にもお邪魔しましたので、その時の印象を少し。

まず、何というか志が同じ、ということもあるのか、東京会場にもすんなりなじめました(たぶん・・・汗。自分調べ)
たとえ場所や宗派が違っても、気持ちは共有できるのが「住職塾」の良い所。
また、メンバー同士も和気あいあいとしていて、好感が持てます。東京会場でご縁をいただいた方に感謝です。中には、私が以前より拝見していたブログの、当のご本人に偶然お会いできたり、うれしいサプライズもありました。

あ、あと、うれしかったのは、かの有名な光明寺オープンテラスでの昼食。しかも門外漢の私も快く受け入れてくれて、みんなで楽しくランチ。寒かったけど・・・(笑)

ちなみに京都会場のあるメンバーが東京会場を振替受講されたとき「東京会場、飲み会もなしでメッチャ冷たい感じがするわ~(笑)」と仰ってましたが・・・そんなことないですよ!!(>Kさんへ)

余談はさておき、両会場ともに、最終回でありますので、同じように「寺業計画書」の発表があります。

一番思ったのが・・・
「やっぱり人柄が出るわ(笑)」ということ。

もちろん、京都は自分のクラスだから何度も会っているし、ディスカッションとかもしているメンバーなので、みなさんそれぞれのご性格とか、早い話、キャラが分かるんですが、それが計画書にも如実に表れています。
なので、東京会場の方々を拝見していても、はじめてお目に掛かるのに、計画書を拝見していると何となく分かる。しかもその計画をご本人が発表されるわけですので、書いてある文章とか話しぶりとか所作とか、そういうのでもお人柄がにじみ出ているような気がします。これは結構面白い発見でした。

あ、あと東京会場には永平寺の後輩がいらっしゃいました。がんばっている後輩の姿を見られて、なんかうれしかったですface01

『未来の住職塾』を終えて(中編:京都・東京あじくらべ)
それでですね、ここからが本題です。
これはもしかしたら地域差なのかもしれないし、同じ東京会場でも第一と第二では違うのかもしれないので、一般論化はできません。あくまで私が見た限り、という限定でお願いします。

それは「供養、お参り」に対する考え方の濃淡です。

簡単に言えば、京都会場を受講している方は、割に”供養、お参り”(含む永代供養墓)ということを寺業計画書に多く入れられています。(ちなみに京都市内のお寺の方はいらっしゃいません。メンバーは京都・大阪・兵庫・和歌山・愛知・佐賀など)
逆に、東京会場の方で”供養”を中心に持ってきている方は京都に比して少ない印象を受けました。(東京、静岡、神奈川、秋田など)逆に、イベントが多いような気がしました。

これは決して批判でもなんでもなく、ただ”そうだった”、ということなのですが、私個人的に僧侶としての生き方を考えたときに、大きな、そして避けては通れない問題ではなかろうかと思いました。

もちろん、これはあくまで”寺業計画”であり”僧侶としての人生設計や指針”とは違います。
それから、あえてそんなことを書く必要もないだろう、という考えもあるかもしれません。曰く当たり前なんだから、と。

もしくは、「自分としては供養について現状、ベストの状態だと思っている」と言われた方もいらっしゃったように、それもまた真なり、かもしれません。(ちなみに東京会場でお一方いらっしゃいました)

ただ、少し気になったのが、東京会場のみなさん、けっこう檀家数が多いんですね。(明言は避けますが、京都会場はその10分の1以下の規模のお寺をやり繰りされている方も皆無ではありません。)

そうであれば、供養ってとっても大事なことだと思うんです。だって数(法事や葬儀の件数)が違えば、人々への影響力も違ってくると思うので。(地域差もありましょうから、同じ線上には並べられないとしても)

とは言え、やはり”葬式や法事だけ”というお寺のイメージを払拭したい!そのお気持ちも分かります。何年も前は私もそうでした。

でも、思ったんですが、なんで葬式や法事のイメージを払拭しなければいけないのでしょうか?
やましいことをしている気になる?自信が無いから?何故自信がないのでしょうか?
檀家さんにとって”素晴らしい葬式や法事”を提供し、故人様にも、残された遺族(生者)にも共に安心を与えることができているのなら、感謝されこそすれ、否定される筋合いはありません。

(ただ、”つねに安心を与えられるように儀礼の質を上げる”とか、”自身の信心を涵養する”とか”檀家さんにとって「良い葬儀」とは?”、そうしたことを考え続けることは必要ではないかとは思います。)

それから”ネガティブイメージを払拭したらどうなるのか?”という観点もまた考えるべきかと思います。

「何故僧侶が葬式をするのか?」という意味、そして「どのように僧侶が葬式を担ってきたのか?」という歴史を学ぶことなくしては、これに答えることはできないだろうと思うのです。

ちょっと脱線します。過去に何度も書いたとおり、私には心から尊敬でき、かつ楽しく一緒にお酒を飲める(笑)牧師さんがいらっしゃいます。

その方にもある時、申し上げたのですが、「キリスト教ほど熱心に布教し、かつ葬儀のイメージがない(クリスマスの、単純に言えばポジティブなイメージ)宗教が、これだけ活動されて、結果、日本では人口の1%しか信者さんがいないのはどうしてでしょうか?これは単純に布教の仕方云々ではないはずです。
振り返って、うちのお檀家さんでも、例えばお寺の宗派の名前、宗祖の名前、本山、住職の名前、およその経典と内容など言える人は極めてまれです。もしかしたら、それは1%なのかもしれない。だとしたら、もしかしたら、それが日本人の宗教に対する本質ではないでしょうか?」と。

 牧師さんも「う~ん」と仰っていましたが(笑)、これは日本人の思考(=日本人論)に直結し、なおかつ歴史を紐解かないと答えられない難しい問題ですね。それから、また更に別の問題もあります。果たして、一つの宗教のみの信仰を持たなければならないとする信仰感は、日本で古来からあったものでしょうか?ついでに、本当に本当に「今、この時代の人々が一番信仰心がないのか?」ということも慎重に見ていかなければなりません。


やや脱線してきましたが、私の言いたいことは”現状を具に見る”ことです。お寺も、周りの関係も、自分自身も。
そこからでしか始まらないし、始められない。(自戒の意味で)

そうしたとき、自分にはお寺や仏教や宗派や宗教や日本の歴史や伝播の過程など、あらゆる面で知っていることがほとんどないことに、愕然としました。自分は何も知らない、ということに気がつかされました。

で、実は最後「後編-覚悟-」に続いていきます。

・・・あっ、その前にスピンオフ記事として、名古屋東別院で行われた『住職塾セミナー』(単回のプレセミナー)についてをアップします。


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