2013年04月04日

【スピンオフ】住職塾セミナー@東別院での話



住職塾に関する記事を連載しておりますが、ここでスピンオフ記事として、名古屋の東別院にて行われた、住職塾のイントロダクション的講座、『住職塾セミナー』について書きたいと思います。(実はオマケ的に書いていたのですが、結構濃い目の内容になってしまいました・・・笑)

このセミナーは、住職塾に興味のある方を対象とした2時間程度のプレセミナーで、このときは30人ほどの方が来ていました。
本当にたまたまなんですが、私がブログを拝見していた、同じ豊橋市のお寺さんも来られていて、そこで初めてお目にかかれたのでした。もちろん、宗派も違いますし、初対面です。でもこういうご縁が、住職塾らしい(笑)

さて、前回の記事に「来期から講座を担当される素晴らしいあるスタッフの方」について、心底感激したと書きました。
この方は、日本の大手企業のコンサルティングを手がけられ、さらに、誰もが知っている有名IT企業にも籍を置かれていた、超がいっぱいつく(笑)優秀な方です。しかも私と同じ年(?!!)

曰く、
「日本の現状を見てきて、
 1.お金が原動力になる時代は終わり(智恵や意欲など無形の価値こそ力)
 2.商品やサービスはすぐに陳腐化する
 3.「人づくり」に関する社会的機能の衰退
という事を感じた。
自分が、ある仏教系大学のコンサルティングをしていたときに、仏教の可能性に気がついた。仏教がダメになるなら、日本がダメになる。」(超要約してます)


懇親会でも少しお話をさせていただく機会があったのですが、とにかく前職の実情が想像を絶するほど過酷。「よく生きてこられたなぁ」と心配になってしまうほど。でも、このように、日本のある意味トップの方が、仏教の可能性に気がついて下さり、そして賭けてくれている。これって私にとっては、すごく心強いです。つまり、坊さんが「人生お金じゃないですよ。スキルや知識じゃないですよ」と声をからしても「いやいや、社会人経験のない奴に言われたくないわ」みたいに一蹴されてしまうんですよね(涙)

と、いうか、それ以上に、「僧侶・在家」という枠組みの新たなフェーズ(いや、実際のところは新しくもないんだそうですが・・・)、新しい関係性、つまり、”僧侶を養うことで功徳を積み、安心を得る、という本来の役割をもう少し拡大解釈した「僧侶=お寺のよきパートナー、アドバイザー、コンサルタント」”という一歩進んだ関係を提示しつつあるのかも、と内心ではとても期待しております。(詳しく書くと長くなるので、今日は割愛します)


閑話休題。
セミナーの質疑応答の際、”お寺の音楽イベント”についての質問がありました。

それを聞いていた時に、ちょっと思いだしたことがあって。
何というか、「あぁ、やっぱりね」みたいな。実は一年前の光明寺でのプレセミナーでも、内容は違うけれど、音楽イベントに関する質問がでていました。

面白いことに、『未来の住職塾』をやっているうちに、こうした○○イベント的な話って、受講生同士あんまりしなくなるんですよね。何というか、そこの部分にはあまり関心がなくなるというか。

自分でも恥ずかしいことなので、ちょっと表現がうまく出来ないんですが、「お寺のイベント」に対する思いって、受講前は「何かイベントしないと、お寺が衰退してしまう」とか「人が集まらないと」みたいな、要は”変な危機感を募らせた”もので、間違った救いをイベントに求めてしまってました。

言うなれば、イベントは”救世主的機能を持つ、何だか分からないけど強力なアイテム”として見てしまっている。さらに言うなら、イベントをしたことで”今までとは違う”とか”一人でも多く来てくれたら安心”といった、これまた変な満足感がある(苦笑)イベントに使われている、というような。

でも、受講していくうちに、イベントに対する考え方そのものが変化してきて、例えばもしイベントをするのなら(そもそもイベントにウェイトを置いていないので)、仏教的な意味合いや機能、誰に届けたくて、どんな成果があるか、ということに関心が向いてくる。”イベントをまさに仏教の方便として使う”、ようはイベントは、数ある1つの選択肢に過ぎなくなってくる感覚。

これって考えてみれば、至極当たり前で何の不思議もないんですが、やっぱり変な危機感があると、前述のようにおかしな思考に陥ってしまうんですよね(自分のことなので、尚更恥ずかしいですが・・・)と、まぁそういう訳で、イベント救世主論(?)はだれもしなくなる。

で、偶然、拝見していた真言宗のお寺さんが、素晴らしい記事を書かれていました。
http://www.hasedera.net/blog/2013/03/post_319.html
特にココ↓(引用させていただきます)

住職というのは、その縁起に伝えられる開山開基の人々の宗教的なテーマを、より意識的に、自覚的に、選択的に継承し、そのテーマをリフレインし、その動機づけを我が動機として本願を地域社会や時代に向けて具体化し、また個人においてはその本願を生き(ようとす)るのが、責務というか定めなのではないだろうか。

でも、寺づくり、開かれた寺院という言葉が独り歩きして、受けの良い、イベント性のある行事や、あるいは社会参加する仏教(エンゲイジド・ブッディズム)でありたいと急ぐあまりに、本尊の本願とはかけ離れた活動に熱中してしまうとしたら、空疎なことになってしまうと思う。

・・・もう、まったくその通りとしか言いようがない。
敢えて言えば、別に本尊様に限らず、宗旨、開山、開祖と置き換えてもよいのかも、と私は思います。(これすら当たり前ですが・・・)とにかく回り道をして、時間をくって、でも本当に心からこの意見に賛同できるようになったのは、逆に住職塾のお蔭かもしれません。

そもそも”(うちの)お寺じゃなくても一向に差し支えないイベント”なら、はじめからやる必要などないのです。彼岸寺風にいえば「そこに仏教はあるのか?」ということです。

ちょっと矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、"だから今まで通りで良いのだ"とか"新しいことをすべきではない"ということを言いたいのではありません。
その”新しいこと”はもしかしたら仏教的にとても意義在ることで、それが今後何十年続くスタンダードになるようなこともあるでしょう。ただ、私個人にはそのようなエポックメイキングなことを創り出すのは到底無理ですし、そんなことが簡単に生まれるならば、私とは比較にならないほど聡明な僧侶が五万といる訳ですから、とうの昔に誰かが生み出してくれているはずですし…。


お寺、と一口に言っても、機能的なものは一つではありません。一般の方からすれば基本的には「お墓があって法事や葬式をしてもらう場所」だろうと思います。付け加えるならば「観光で行く所」とか。
ただ、私たち僧侶にとっては、それだけではないはずです。聞法の道場だったり、ご祈祷寺だったり、叢林という機能もあるでしょう。

そう考えていくと、そもそも"お寺って何?"という視点からはじめなければならないと私は思っていました。

また、仮にイベントをした場合、「仏教を伝えたい」という気持ちがありますよね。ではその”伝えるべき仏教”は自分にあるか?体現しているのだろうか?ただ教科書を丸暗記したような話をしていないだろうか・・・。

また”何をもって「広まる」ことを意味するのか”とか。
さらに言えば、”仏教を広める”ことがどの範囲、射程で言っているのか?とか。広めることの意義は??
勿論、「梵天勧請」の話もあるし、宗教法人法(第一章1条2「・・・教義を広め、儀式行事を行い・・・」)というのもあるし・・・。でも道元禅師には師匠の如浄禅師から言われた「一箇半箇を接得せよ」って言葉もあったり。

そんな折、出会った文があります。

「はじめて発心するときは、他人のために法をもとめず、名利をなげすてきたる。名利をもとむるにあらず、ただひとすぢに得道をこころざす。かつて国王大臣の恭敬供養をまつこと、期せざるものなり(中略)
 しかあるを、おろかなる人は、たとひ道心ありといへども、はやく本志をわすれて、あやまりて人天の供養をまちて、仏法の功徳いたれりとよろこぶ。国王大臣の帰依しきりなれば、わがみちの現成とおもへり。これは学道の一魔なり。
あはれむこころわするべからずといふも、よろこぶことなかるべし。」
       『正法眼蔵』「谿声山色」巻


本当に、住職塾は考えさせられます(笑)




(蛇足)上記の部分、ラフな現代語訳です。
「(僧侶が)はじめて”出家しよう”との思いを起こすときは、他人のためにすることではなく、まして自分の名誉のためでもない。名誉や名声など求めず、ただひたすらに仏道の成就をこころざす。国王や大臣といった権力者の帰依を期待することなど、まったく思わないものだ。(中略)
しかし、愚かな人は、たとえ出家の心があっても、早々にその志を忘れて、誤って世間の人が尊敬してくれるのをまって、それが仏教の功徳が現れた、とよろこぶ。権力者が帰依してくれたことが、そのまま自分の仏道の達成だと勘違いしてしまう。これは間違っている。権力者をふくめ、世間の人を哀れむ心を忘れてはいけないが、しかし、自分に付き従うことを喜ぶべきではないのである」  


Posted by 泰明@西光寺 at 19:15
Comments(0)ぼ~さんの日常お寺のこと
 

2013年04月01日

音を失った作曲家 佐村河内守さん

エイプリルフールに記事をアップするのが躊躇われる泰明です。「つり記事か?」と思われないかが心配で・・・(笑)

+++

昨夜、NHKの番組で、聴力を失った作曲家、佐村河内氏のドキュメンタリーを放送していた。
ご存知の方が多いと思うが、佐村河内さんは17歳の頃、原因不明の病気を発病し、徐々に聴力を失っていく。
もともと、ピアノやバイオリンなどの英才教育を受け、自身も作曲家を目指していた、そんな時期。

音を失い、絶望の淵にあったが、障碍や病気を持つ子ども達と音楽を通じてのふれあいがきっかけで、徐々に作曲を続けていく。

そして、完成したのが交響曲第一番『Hiroshima』
80分を超える大作である。また、自身も被爆二世ということだ。

現在でも24時間、365日ずっと”轟音”の耳鳴りが続き、それを紛らわすために、一日15種以上の薬を服用しているそう。
それが為か、ときに猛烈な頭痛に襲われ、動くことすらできず、オムツの着用をも余儀なくされる。
また日の光にあたると、頭痛が増幅するようで、自宅も暗幕で覆われ、スタンドライトのみ。また常にサングラスを着用。

作曲方法は、まさに命を削るがごとく。
轟音が鳴り響く頭の中で、それでも音が”降りてこようとする”らしい。机とテーブルとスタンドライトしかない部屋で、瞑想をするかのように佇む氏。耳鳴りの切れ目に見える”音”をつかまえての作曲。しかもアンサンブルはどうするのかといえば、最初の楽器とフレーズを記憶し、その上に別のパートを頭の中で重ねていく。

驚くべき事に、譜面に起こすのは最後の最後。つまり、それまではまったく楽器も、譜面も、PCも使わない。思いついたフレーズを元に、構成を考えるということもしないようだ。

さて、私が最初に受けた印象は”自分が彼の立場なら自死をも考えるかもしれない”ということ。
想像が出来ないほどの世界。音を失う以上に、轟音が鳴り続け、そして身体の問題も抱えている。
生きる希望を次から次へと奪われる。それでも、なお、生きようとする。

「僧侶なのに自死を考えるだと?」と思わないでいただきたい。あくまで自分なら、の話で在り、実際に体験したわけではないのだから。
それにきれい事で言えるような話でもない。”いのちを大切にしましょう”その根拠すら拒絶されるがごとくの世界である。ま、それから考えるのが仏教でもあるが・・・。


番組の後半で、佐村河内氏は東日本大震災のレクイエム(鎮魂歌)を作曲する。
その過程も生々しく撮られていた。

始めに被災地を訪れ、その風景を目の当たりにする。そして横浜の自宅に帰るも、難航し、遅々として作曲ができない。
あるときは、震災で亡くなられた方の膨大な名簿を、点字を読むが如く、一人一人丁寧になぞり、気持ちを汲む。
しかし、できない。
またあるときは夜の公園に出かけるも、曰く「(ここで書くことを)脳が拒絶するようだ」

突然、女川町に向けて車を走らせる。

女川町では、零下2℃、風速10mを超える夜の海岸で、6時間、さまよい歩く。時に、身を切られるような冷たさの海に手を入れて。

最後にはレクイエムが世界的なピアニスト(名前失念)により、演奏される。

+++

私には音楽的素養がないので、曲をどうこう言えないし、言うつもりもないが、ひとつだけ思ったことがある。

つまり、それは佐村河内氏にとって作曲は「生きることそのもの」であるということ。

これは「生きる原動力が作曲」であることと、大きく意を異にする。作曲をする姿勢が、生きる原動力とは到底思えないほどの苦痛や、苦労が画面を通して伝わってくるからである。であればこそ、作曲することがそのまま生きることである。(少なくともそう見える)

時に、被災者の名簿に目を通し、ぐちゃぐちゃになった車を触り、冷たい海に手を入れる。
こうした行為を作曲と無縁とは考えてはいけない。意味の無いことだと考えてはいけない。
それが彼の作曲であり、ひとしくそれが彼の生き方である。

なぜこうしたことを指摘するかと言えば、私にはそれらの行為が、とても美しい宗教的な行為に見えたからだ。とはいえ、●●教というようなジャンル分けされたものではなく、もっとプリミティブなもの。
”客観的に見れば、紙に書かれたインクの塊である文字を、指でなぞっていくだけ。
冷たい夜の海岸で、手を海につっこむだけ。”
しかし、しかしである。
彼にしてみれば、そうせざるを得ないのである。そうでしか生きられないのである。逆に言えば、だからこそ生きている。

先ほどの”いのちを大切に”という浮薄な意思を遙かに超え往く、もっとざらついた、むき出しの”生”。
そこには”生きたい””生きたくない”とか、哀れみとか激励とか、そうした二項対立の概念を乗り越えて、厳然と存在する”生”
それを垣間見た気がした。

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私も僧侶として、スタイルは違えど、そうした生き方をしていきたいものだなぁ、と反省しきりの夜でした。  


Posted by 泰明@西光寺 at 16:33
Comments(0)雑感(ひとりごと)
 

2013年03月28日

『未来の住職塾』を終えて(中編:京都・東京あじくらべ)

前編からのつづきです。


さて中編は、「京都・東京あじくらべ」と題しまして、京都会場の最終回と、翌日の東京第一クラス@光明寺の比較を。
運良く、東京第一の最終回にもお邪魔しましたので、その時の印象を少し。

まず、何というか志が同じ、ということもあるのか、東京会場にもすんなりなじめました(たぶん・・・汗。自分調べ)
たとえ場所や宗派が違っても、気持ちは共有できるのが「住職塾」の良い所。
また、メンバー同士も和気あいあいとしていて、好感が持てます。東京会場でご縁をいただいた方に感謝です。中には、私が以前より拝見していたブログの、当のご本人に偶然お会いできたり、うれしいサプライズもありました。

あ、あと、うれしかったのは、かの有名な光明寺オープンテラスでの昼食。しかも門外漢の私も快く受け入れてくれて、みんなで楽しくランチ。寒かったけど・・・(笑)

ちなみに京都会場のあるメンバーが東京会場を振替受講されたとき「東京会場、飲み会もなしでメッチャ冷たい感じがするわ~(笑)」と仰ってましたが・・・そんなことないですよ!!(>Kさんへ)

余談はさておき、両会場ともに、最終回でありますので、同じように「寺業計画書」の発表があります。

一番思ったのが・・・
「やっぱり人柄が出るわ(笑)」ということ。

もちろん、京都は自分のクラスだから何度も会っているし、ディスカッションとかもしているメンバーなので、みなさんそれぞれのご性格とか、早い話、キャラが分かるんですが、それが計画書にも如実に表れています。
なので、東京会場の方々を拝見していても、はじめてお目に掛かるのに、計画書を拝見していると何となく分かる。しかもその計画をご本人が発表されるわけですので、書いてある文章とか話しぶりとか所作とか、そういうのでもお人柄がにじみ出ているような気がします。これは結構面白い発見でした。

あ、あと東京会場には永平寺の後輩がいらっしゃいました。がんばっている後輩の姿を見られて、なんかうれしかったですface01


それでですね、ここからが本題です。
これはもしかしたら地域差なのかもしれないし、同じ東京会場でも第一と第二では違うのかもしれないので、一般論化はできません。あくまで私が見た限り、という限定でお願いします。

それは「供養、お参り」に対する考え方の濃淡です。

簡単に言えば、京都会場を受講している方は、割に”供養、お参り”(含む永代供養墓)ということを寺業計画書に多く入れられています。(ちなみに京都市内のお寺の方はいらっしゃいません。メンバーは京都・大阪・兵庫・和歌山・愛知・佐賀など)
逆に、東京会場の方で”供養”を中心に持ってきている方は京都に比して少ない印象を受けました。(東京、静岡、神奈川、秋田など)逆に、イベントが多いような気がしました。

これは決して批判でもなんでもなく、ただ”そうだった”、ということなのですが、私個人的に僧侶としての生き方を考えたときに、大きな、そして避けては通れない問題ではなかろうかと思いました。

もちろん、これはあくまで”寺業計画”であり”僧侶としての人生設計や指針”とは違います。
それから、あえてそんなことを書く必要もないだろう、という考えもあるかもしれません。曰く当たり前なんだから、と。

もしくは、「自分としては供養について現状、ベストの状態だと思っている」と言われた方もいらっしゃったように、それもまた真なり、かもしれません。(ちなみに東京会場でお一方いらっしゃいました)

ただ、少し気になったのが、東京会場のみなさん、けっこう檀家数が多いんですね。(明言は避けますが、京都会場はその10分の1以下の規模のお寺をやり繰りされている方も皆無ではありません。)

そうであれば、供養ってとっても大事なことだと思うんです。だって数(法事や葬儀の件数)が違えば、人々への影響力も違ってくると思うので。(地域差もありましょうから、同じ線上には並べられないとしても)

とは言え、やはり”葬式や法事だけ”というお寺のイメージを払拭したい!そのお気持ちも分かります。何年も前は私もそうでした。

でも、思ったんですが、なんで葬式や法事のイメージを払拭しなければいけないのでしょうか?
やましいことをしている気になる?自信が無いから?何故自信がないのでしょうか?
檀家さんにとって”素晴らしい葬式や法事”を提供し、故人様にも、残された遺族(生者)にも共に安心を与えることができているのなら、感謝されこそすれ、否定される筋合いはありません。

(ただ、”つねに安心を与えられるように儀礼の質を上げる”とか、”自身の信心を涵養する”とか”檀家さんにとって「良い葬儀」とは?”、そうしたことを考え続けることは必要ではないかとは思います。)

それから”ネガティブイメージを払拭したらどうなるのか?”という観点もまた考えるべきかと思います。

「何故僧侶が葬式をするのか?」という意味、そして「どのように僧侶が葬式を担ってきたのか?」という歴史を学ぶことなくしては、これに答えることはできないだろうと思うのです。

ちょっと脱線します。過去に何度も書いたとおり、私には心から尊敬でき、かつ楽しく一緒にお酒を飲める(笑)牧師さんがいらっしゃいます。

その方にもある時、申し上げたのですが、「キリスト教ほど熱心に布教し、かつ葬儀のイメージがない(クリスマスの、単純に言えばポジティブなイメージ)宗教が、これだけ活動されて、結果、日本では人口の1%しか信者さんがいないのはどうしてでしょうか?これは単純に布教の仕方云々ではないはずです。
振り返って、うちのお檀家さんでも、例えばお寺の宗派の名前、宗祖の名前、本山、住職の名前、およその経典と内容など言える人は極めてまれです。もしかしたら、それは1%なのかもしれない。だとしたら、もしかしたら、それが日本人の宗教に対する本質ではないでしょうか?」と。

 牧師さんも「う~ん」と仰っていましたが(笑)、これは日本人の思考(=日本人論)に直結し、なおかつ歴史を紐解かないと答えられない難しい問題ですね。それから、また更に別の問題もあります。果たして、一つの宗教のみの信仰を持たなければならないとする信仰感は、日本で古来からあったものでしょうか?ついでに、本当に本当に「今、この時代の人々が一番信仰心がないのか?」ということも慎重に見ていかなければなりません。


やや脱線してきましたが、私の言いたいことは”現状を具に見る”ことです。お寺も、周りの関係も、自分自身も。
そこからでしか始まらないし、始められない。(自戒の意味で)

そうしたとき、自分にはお寺や仏教や宗派や宗教や日本の歴史や伝播の過程など、あらゆる面で知っていることがほとんどないことに、愕然としました。自分は何も知らない、ということに気がつかされました。

で、実は最後「後編-覚悟-」に続いていきます。

・・・あっ、その前にスピンオフ記事として、名古屋東別院で行われた『住職塾セミナー』(単回のプレセミナー)についてをアップします。  


Posted by 泰明@西光寺 at 19:37
Comments(0)ぼ~さんの日常仏教のこと
 

2013年03月26日

『未来の住職塾』を終えて(前編:感想)

昨年(H24)5月に開講した、超宗派のセミナー「未来の住職塾」の第一期が全ての会場で終わりました。松本さんはじめ、講師の方々、スタッフの方、受講生のみなさん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
また、第二期募集も、今日で締め切りですね。
「”未来の住職塾”って何?」って方はここをクリック

当初は東京と京都会場のみ、それも一クラス5~7人くらい集まればいいや、くらいに思っていらしたそうなのですが、このセミナー、ふたを開けてみたら全国5会場に展開し、一期生は70名を超える人数だったようです。

私は京都会場を受講していたのですが、第一期の最初に始まり、そして最初に終わりました。

さて、これから2~3回にわたってこの『未来の住職塾』に対する総括的な記事を書いていこうと思います。いままで受講された方はどうぞ忌憚のないご意見を頂戴したく、またこれから受講される方(二期生)には拙い文章ですが、ほんの少しでもお役に立てれば、と思って記します。

で、泰明にしては珍しく、すでに構想が決まっておりまして(笑)以下のように記します。

<前編>
【得たもの】
・・・住職塾を通して何を得られたのか&感想

<中編>
【京都・東京あじくらべ】
・・・京都の翌日行われた東京第一での最終講座との比較

<後編>
【覚悟 -そして第二期へ-】
・・・う~ん、何だろ。第二期の方へってことくらいでしょうか



と言うことで、まず<前編>です。
得たものや、感想ですが、既にいろんなところで書いているので、端的に行きたいと思います。

1.素晴らしい仲間
・・・これはもう、得たものの筆頭です。
と言うか、私のこの感想文が第二期のパンフレットに載っているくらいでして・・・。

例えば、「お寺ってどういうところなのかな。坊さんの生き方ってどういうものだと思う?」とか「●●って法要があるんだけど、もっと認知度を上げて、宗祖の教えを敷衍するためにはどうしたらいいかな?」とか、そんな話(相談)が気軽に出来る僧侶の仲間っていますか?僕はほとんどいません。申し訳ないけど・・・。
本気で腹を割って話せる仲間ができました。宗派が違うとか同じとか、殆ど意味をなさない。
本気でお寺のこと、仏教のことを考えている仲間がいる。それで充分。

ちなみに・・・泰明は、全6回、毎度講義後にクラスメイトと飲んでました!
1回目と最後6回目の講義後は、事務局主催で懇親会が行われましたが、中4回は”自主的に”(笑)
講義後、終電まで4時間くらいずっと語り合ってました。6時間あまりの講義を受けて、その後で飲み会。自分でもよく体力が保つと思うけど、それでも語り足りなかったよね?(←って誰に言ってんでしょうか)

あ、あと、”同級生のウチに遊びにいく”じゃないけど、クラスメイトのお寺に遊びに行く予定も既にあります★楽しみ!


2.らせん的成長
・・・ちょっと抽象的。実は、これ松本塾長の談。

すなわち、それこそ円を描くように、住職塾を受ける前の自分と、今の自分は、本当のところ表立って何かが変わったわけではありません。やっていることと言えば、相も変わらず、お葬式に法事、役員会に掃除・坐禅、青年会の活動やら何やら。

でも、表だっては変化がないかもしれません。しかし、お寺の事業や在り方一つ一つ具に見直し、本当に悩んで考えて、或いは見つめてきたことなので、同じ事をやっていても実は感覚的には”何かが違う”気がします。もしかしたら、気のせいかもしれませんが・・・(汗)

で、このらせんの意味はこうです。
つまり前段の”同じ事をやってる”のはらせんを上からみたところ。一年経って円を描くが如く、また同じ場所に戻ってきた。
しかしながら、後段”何かが違う”のは、らせんを横から見たところ。一回り成長している(ような気が・・・)ということです。

これは言い得て妙だと、ひどく得心したのですが、その通りかと思います。



3.相手に気持ちや考えを伝えること
・・・これ、私は結構苦手だったりします。今でもそうだけど。でも住職塾のお蔭で、ググッと成長したような気がします。

私の感想って、セミナーの内容にあまり触れていません。
まぁ有料講座だから(笑)ってのも有るんですが、書きませんでした。
テキストとかワークとか、ディスカッションとか、すごいクオリティだと思うし、次々現れる課題に対して、楽しく、どきどきしながら打ち込めました。

ちなみに来期から講座を担当されるあるスタッフの方曰く「日本広しといえども、大企業ですらこれだけのクオリティを保ったセミナーはそうそうない」とのこと。私はこのスタッフの方にお会いして、心底感激したのですが、その話はまた今度。

で、何が言いたいかというと、ある意味、住職塾は”マネジメントに関する、何か最新の、イノヴェイティブな理論とか、やり方”を教えてくれるのではありません。もちろん、そういう側面も多分にあります。

ただ、それって畢竟、「いかにして考え(=教え、=安心)や気持ちを、上手に、深く相手に伝えていくか」ということに集約されるかもしれません。だからこそ、どうしたら伝えられるかを考えるためのフレームワークだったと思う。(もちろん、それだけじゃないですけどね)

これは、既にウチのお寺の護持会活動や、酉の市にも活かされていると実感しております。


4.覚悟・・・最後になります。
これが一番、書きづらいです。上手く表現できるかどうか。
詳しくは、<後編>とも大きくリンクするので、そこで述べたいと思います。

ごく簡単に言えば「おまえは坊さんとして生きていく覚悟があるのか?」ということです。
その覚悟を何度も確かめられ、問われたような講義でした。そうする中で、確かとは言い難いけれど、何ものかを掴んだ、そんなニュアンスです。

・・・とりあえず、前編はここまでにします。  


Posted by 泰明@西光寺 at 12:24
Comments(0)ぼ~さんの日常仏教のこと