2011年06月23日
僧侶の悲しみに満ちたつぶやき
今、先の「役員会」のログを書いていました。
実は以下の文は、その推敲中に消してしまったんですが、でもどうしても書いて(つぶやいて)おきたいので、ポロリとこぼしてみます。
+++++++++++++
私自身、悲しいのは、どうしてもマスコミや一部の”えせ宗教学者”の論が一般に受け入れられ、さもそれが真実であるかのように思われることです。(何故『葬式は、要らない』の島田裕己氏は”自分はオウムに肩入れしていて、宗教学者を名乗っているのにも関わらず、オウムの危険性すら指摘できませんでした。すみませんでした”と言わないんだろう・・・)
仏教に関して、或いはお寺に関して、住職に関して、ということです。
今、このように口を極めて書いているのは、結局、現代に生きる僧侶(宗教者)は、本来的な僧侶(つまり仏教の修行者)という役割だけでなく、会社の経営者としても責任を負わされていることです。それを一般の方も、僧侶自身もきちんと認識すべき必要があろうと思うからです。
普通に考えれば分かることですが、”会社の経営”だって、それ一個とっただけでも、大変なことです。経営の本は星の数ほど出版され、学者が生涯をかけて研究し、理論をたて、経営者自身も一生を捧げて取り組むべき尊く重い責務の仕事です。
であってみれば、現代に生きる僧侶は”仏教を学び、実践する”という本来的な生き方とは別に、こんなにも大変な”経営”もある程度は担わなければならないのです。つまり、宗教・教義の発信地であり礼拝所と、経営しつつ守るべきものとしての「お寺」を。
僧侶や特定の住職を非難するのは簡単です。ただし、少なくとも以上のことを直視して考えれば、そんなに簡単に非難できるものではないでしょう。”仏教を学び、実践する”というのは、何も葬式や法事をやってばかりいることではありません。仏門を志して、経典を読み、祖録を学び、死ぬまで修行を続けることですし、同時に、弟子を育てる、という教育的な側面も要求されます。
ハッキリ言って、経営と仏事を完璧に両立しつつ住職ができる僧侶というのは皆無だと思うのです。
だってそうでしょう。生涯をそれのみにささげるべき、大きな道が2つもあるんですから、半端なことではできません。もちろん、私もです。
で、あればこそ、お檀家様のお力添えをいただいて、少なくとも住職が仏道を細々とでも行じていけるような環境を作り上げるべきだし(「愛山護法」という言葉がありますが、まさにこの事)、逆に住職は凄腕の経営者になる必要はないと思っています。
経営に関しては”素人だ”と僧侶が認識しないから、「俺が住職だ!」と息巻いて勘違いしちゃうという事もまた、僧侶は自覚すべきだろうとも思います。だから税制上の優遇に胡坐をかいて、それでいいと誤認してしまう。だって、会社の目的は、乱暴に言えば「利潤の追求」に他ならないわけだし、それは仏教とは何にも関係がない。
住職があまりにも経営者然として、「利潤の追求」に邁進するから”坊主丸儲け”が目につくだけで、前にも書きましたが、曹洞宗の僧侶の平均年収は350万円です。ちなみにサラリーマンの平均年収(男性・平成21年)は499.7万円だそうです。だからこそ、一般的な経営感覚を持った檀家さんが、自分のお寺を愛し、経営センスを以て、お寺を守ってくれたら、と思います。
私が護持会役員さんや、檀家さんに対して本当に思うことは、どうか「寺=住職/檀家=顧客」という無機質で誤った区分をしないでほしいということです。分かりやすい図式だし、ほとんどの人はこう考えていると思いますが、それでは両者が歩み寄り、本当の意味で宗教の素晴らしさを甘受することはできません。
理想論だと揶揄されても、敢えて書きますが、”檀家さんがお寺を支え、お寺で僧侶が仏道を学び、仏道を学んだ僧侶が檀家さんの心を支える”というサイクルを、(納得できなくてもいいけど)、知っていただきたいのです。それが”本来のお寺”であって、”これからも続いていくお寺”じゃないかな、と感じています。

実は以下の文は、その推敲中に消してしまったんですが、でもどうしても書いて(つぶやいて)おきたいので、ポロリとこぼしてみます。
+++++++++++++
私自身、悲しいのは、どうしてもマスコミや一部の”えせ宗教学者”の論が一般に受け入れられ、さもそれが真実であるかのように思われることです。(何故『葬式は、要らない』の島田裕己氏は”自分はオウムに肩入れしていて、宗教学者を名乗っているのにも関わらず、オウムの危険性すら指摘できませんでした。すみませんでした”と言わないんだろう・・・)
仏教に関して、或いはお寺に関して、住職に関して、ということです。
今、このように口を極めて書いているのは、結局、現代に生きる僧侶(宗教者)は、本来的な僧侶(つまり仏教の修行者)という役割だけでなく、会社の経営者としても責任を負わされていることです。それを一般の方も、僧侶自身もきちんと認識すべき必要があろうと思うからです。
普通に考えれば分かることですが、”会社の経営”だって、それ一個とっただけでも、大変なことです。経営の本は星の数ほど出版され、学者が生涯をかけて研究し、理論をたて、経営者自身も一生を捧げて取り組むべき尊く重い責務の仕事です。
であってみれば、現代に生きる僧侶は”仏教を学び、実践する”という本来的な生き方とは別に、こんなにも大変な”経営”もある程度は担わなければならないのです。つまり、宗教・教義の発信地であり礼拝所と、経営しつつ守るべきものとしての「お寺」を。
僧侶や特定の住職を非難するのは簡単です。ただし、少なくとも以上のことを直視して考えれば、そんなに簡単に非難できるものではないでしょう。”仏教を学び、実践する”というのは、何も葬式や法事をやってばかりいることではありません。仏門を志して、経典を読み、祖録を学び、死ぬまで修行を続けることですし、同時に、弟子を育てる、という教育的な側面も要求されます。
ハッキリ言って、経営と仏事を完璧に両立しつつ住職ができる僧侶というのは皆無だと思うのです。
だってそうでしょう。生涯をそれのみにささげるべき、大きな道が2つもあるんですから、半端なことではできません。もちろん、私もです。
で、あればこそ、お檀家様のお力添えをいただいて、少なくとも住職が仏道を細々とでも行じていけるような環境を作り上げるべきだし(「愛山護法」という言葉がありますが、まさにこの事)、逆に住職は凄腕の経営者になる必要はないと思っています。
経営に関しては”素人だ”と僧侶が認識しないから、「俺が住職だ!」と息巻いて勘違いしちゃうという事もまた、僧侶は自覚すべきだろうとも思います。だから税制上の優遇に胡坐をかいて、それでいいと誤認してしまう。だって、会社の目的は、乱暴に言えば「利潤の追求」に他ならないわけだし、それは仏教とは何にも関係がない。
住職があまりにも経営者然として、「利潤の追求」に邁進するから”坊主丸儲け”が目につくだけで、前にも書きましたが、曹洞宗の僧侶の平均年収は350万円です。ちなみにサラリーマンの平均年収(男性・平成21年)は499.7万円だそうです。だからこそ、一般的な経営感覚を持った檀家さんが、自分のお寺を愛し、経営センスを以て、お寺を守ってくれたら、と思います。
私が護持会役員さんや、檀家さんに対して本当に思うことは、どうか「寺=住職/檀家=顧客」という無機質で誤った区分をしないでほしいということです。分かりやすい図式だし、ほとんどの人はこう考えていると思いますが、それでは両者が歩み寄り、本当の意味で宗教の素晴らしさを甘受することはできません。
理想論だと揶揄されても、敢えて書きますが、”檀家さんがお寺を支え、お寺で僧侶が仏道を学び、仏道を学んだ僧侶が檀家さんの心を支える”というサイクルを、(納得できなくてもいいけど)、知っていただきたいのです。それが”本来のお寺”であって、”これからも続いていくお寺”じゃないかな、と感じています。

Posted by 泰明@西光寺 at 13:15
Comments(5)
Comments(5)
この記事へのコメント
いいね!を100回は押してあげたいね。
Posted by kanegon
at 2011年06月23日 14:01

kanegonさんに同感です。
Posted by ヒソカ at 2011年06月23日 16:07
真面目な施術家が良い経営者になれないのも同じかもね。
僕は自分の仕事に信念を持つことにしています。
『お客様と真っ直ぐ向き合えない仕事はしない』
だからそれなりの報酬は頂くし、それなりの結果を出す。
一般企業も本来は同じですよ。
お客様が企業や社員を育ててる部分もあります。
昔部下にもそう伝えていました、『気づきを与えて下さるお客様に感謝の気持ちをもち、その気持ちに応えてゆく』
片側だけの関係ではないのです。
多分お坊さんはアピールし伝える事が下手なのかもしれませんよ。
だって…みんなお坊さんの事まったく知らないから怖いんですから(多分)
触れ合う時間を増やし伝える事が出来る様になった時なにかが変わるかもしれませんよ♪
僕は自分の仕事に信念を持つことにしています。
『お客様と真っ直ぐ向き合えない仕事はしない』
だからそれなりの報酬は頂くし、それなりの結果を出す。
一般企業も本来は同じですよ。
お客様が企業や社員を育ててる部分もあります。
昔部下にもそう伝えていました、『気づきを与えて下さるお客様に感謝の気持ちをもち、その気持ちに応えてゆく』
片側だけの関係ではないのです。
多分お坊さんはアピールし伝える事が下手なのかもしれませんよ。
だって…みんなお坊さんの事まったく知らないから怖いんですから(多分)
触れ合う時間を増やし伝える事が出来る様になった時なにかが変わるかもしれませんよ♪
Posted by ホシヲ at 2011年06月24日 01:22
はじめまして。
ブログを拝見し、かつての自分を反省しました。
私は、長いこと、神も仏もあるもんかの心境で暮らしてきました。
そういう時、お金の件で、宗教家の方を非難するのが
言葉は悪いけれど、手っ取り早いんですよね。
世の中の正論だから。
でも、正論ばかりを武器に安心していると
現実が見えなくなりますね。
宗教家の方にも、ご家族や守るべきものがある事。
真摯に学んでおられる方も、沢山いらっしゃる事。
自分だって、お金がないと暮らしていけない事とか。
そして、正論では見抜けない大切な何かを教えてくれるのが、宗教なのかも。
改めて、そう感じました。
私の信仰は仏教ではありませんが、なんだか、とても嬉しいです。
本音を伝えて下さり、ありがとうございました。
ブログを拝見し、かつての自分を反省しました。
私は、長いこと、神も仏もあるもんかの心境で暮らしてきました。
そういう時、お金の件で、宗教家の方を非難するのが
言葉は悪いけれど、手っ取り早いんですよね。
世の中の正論だから。
でも、正論ばかりを武器に安心していると
現実が見えなくなりますね。
宗教家の方にも、ご家族や守るべきものがある事。
真摯に学んでおられる方も、沢山いらっしゃる事。
自分だって、お金がないと暮らしていけない事とか。
そして、正論では見抜けない大切な何かを教えてくれるのが、宗教なのかも。
改めて、そう感じました。
私の信仰は仏教ではありませんが、なんだか、とても嬉しいです。
本音を伝えて下さり、ありがとうございました。
Posted by 四十路女 at 2011年06月24日 17:06
遅くなりました!すみません!!
>kanegon師
100人に「いいね!」を押してもらうよりもうれしいです。なりより有り難いお言葉を頂戴しました。
>ヒソカさん
どうもありがとうございます。最近、バタバタしてて精神的に安定しないのか(笑)、ブラックなログになってしまいました・・・。
>ホシヲさん
そっかぁ。頷かされること多々あります。winwinの法則と言うか、やはり”自分の喜び=他人の喜び”という関係ができたら、それが最高ですもんね。
よい施術家=よい経営者というのはそうかもしれませんね。
ただ、仏教がもう一段めんどくさい(笑)のは、別に信者がいてもいなくても関係なく”僧侶(仏教者)”なんですよね。
もちろん、これには長く深い説明が必要ですが、だから、最終的にはお寺がなくても、信者が0人でも、それでも”僧侶やれますか?”と突き付けられたとき、迷わず”はい”と答えられるのが真の仏教者だと思います。が、今の僕には到底言えませんが(笑)
ホシヲさんの御言葉はいつも良い気付きを与えてくれます。ありがとうございます。このブログを始めてよかったな、と素直に思えますもん。
>四十路女さま
こんにちは。はじめまして。コメントありがとうございます★
ありがたいお言葉を頂戴しました。
こんなことを言うと、どん引きされそうですが、かく言う私も「神も仏もあるもんかの心境」で長いこと暮らしていました。お寺に生まれ育っても、いやだからこそ、日本の仏教に対する猜疑心ってあったと思います。「葬式なんて仏教じゃない」「寺壇制度なんてなくなればいい」と本気で思ってましたから(笑)
でも、もし本当に「大金だけせしめる悪徳坊主」ばかりだとしたら、今より遥か昔に仏教は消滅したはずだし、もし「そんな坊主ばかりだから、仏教を伝えていない」のなら、どうしてなくならないのか・・・と思ったときに、初めて仏教を勉強しようと思ったのです。
仰る通り、「お金の件で、宗教家の方を非難するのは、手っ取り早」くて、楽しいんです。悪口を言うとスカッとしますしね。
でも、そんな愚劣な感情のために仏教が存在するのではないし、逆にそんなこと(結局、仏教の中身については触れていない)でしか非難できない大衆の姿に、自身気が付くべきだと思いました。
”正論ばかりを武器に安心していると現実が見えなくなります”・・・これは全くその通りだと思います。そこに安住してしまうのは即ち思考停止であり、正論がずっと変わらず”正論”でいるというのも幻想なんです。
現代人の持つ強い癖”合理主義への盲信”ですね。
こんなヘンテコなブログですが(笑)これからもよろしくお願いいたします。
>kanegon師
100人に「いいね!」を押してもらうよりもうれしいです。なりより有り難いお言葉を頂戴しました。
>ヒソカさん
どうもありがとうございます。最近、バタバタしてて精神的に安定しないのか(笑)、ブラックなログになってしまいました・・・。
>ホシヲさん
そっかぁ。頷かされること多々あります。winwinの法則と言うか、やはり”自分の喜び=他人の喜び”という関係ができたら、それが最高ですもんね。
よい施術家=よい経営者というのはそうかもしれませんね。
ただ、仏教がもう一段めんどくさい(笑)のは、別に信者がいてもいなくても関係なく”僧侶(仏教者)”なんですよね。
もちろん、これには長く深い説明が必要ですが、だから、最終的にはお寺がなくても、信者が0人でも、それでも”僧侶やれますか?”と突き付けられたとき、迷わず”はい”と答えられるのが真の仏教者だと思います。が、今の僕には到底言えませんが(笑)
ホシヲさんの御言葉はいつも良い気付きを与えてくれます。ありがとうございます。このブログを始めてよかったな、と素直に思えますもん。
>四十路女さま
こんにちは。はじめまして。コメントありがとうございます★
ありがたいお言葉を頂戴しました。
こんなことを言うと、どん引きされそうですが、かく言う私も「神も仏もあるもんかの心境」で長いこと暮らしていました。お寺に生まれ育っても、いやだからこそ、日本の仏教に対する猜疑心ってあったと思います。「葬式なんて仏教じゃない」「寺壇制度なんてなくなればいい」と本気で思ってましたから(笑)
でも、もし本当に「大金だけせしめる悪徳坊主」ばかりだとしたら、今より遥か昔に仏教は消滅したはずだし、もし「そんな坊主ばかりだから、仏教を伝えていない」のなら、どうしてなくならないのか・・・と思ったときに、初めて仏教を勉強しようと思ったのです。
仰る通り、「お金の件で、宗教家の方を非難するのは、手っ取り早」くて、楽しいんです。悪口を言うとスカッとしますしね。
でも、そんな愚劣な感情のために仏教が存在するのではないし、逆にそんなこと(結局、仏教の中身については触れていない)でしか非難できない大衆の姿に、自身気が付くべきだと思いました。
”正論ばかりを武器に安心していると現実が見えなくなります”・・・これは全くその通りだと思います。そこに安住してしまうのは即ち思考停止であり、正論がずっと変わらず”正論”でいるというのも幻想なんです。
現代人の持つ強い癖”合理主義への盲信”ですね。
こんなヘンテコなブログですが(笑)これからもよろしくお願いいたします。
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年06月25日 11:29