2013年05月09日
そうかい、そうかい、総会。
またブログの更新をサボってしまいました・・・。何かと慌ただしくて、すっかりご無沙汰です。読んで下さっている方(特に檀家さま)には申し訳なく思っています。(ホントです)
さて、ここ2週間は、何らかの総会やら会議やらが多くありました。
坊さんって、お経読んでるだけのイメージがあるかと思いますが、意外にお経を読んでる時間は長くありません(笑)
一ヶ寺の住職ともなれば、宗教法人法では代表役員ですし(従ってそれに準じた業務があります)、それ以外に、教区会(宗派によって定義が異なりますが、曹洞宗では「同宗近隣寺院の会」)、法類会(そのお寺の歴史的繋がりのある寺院の会)、市町村の仏教会(たいていは伝統仏教教団で構成される)とか、宗教者連絡会(通常は仏教、神道やキリスト教など)など、程度の差こそあれ、結構いろんな組織に所属しているんですね。
先日は、ここ西光寺にて、東三河曹洞宗青年会の総会がありました。(下の写真参照)
もう何度も書いているので、ご存知の方も多いかと思いますが、曹洞宗青年会は、原則40歳以下の僧侶で構成され、この東三河一円に住する若手僧侶60名弱で組織されます。
2年任期で役員交代があり、ちょうど一年前に泰明もお役を頂戴しました。
活動としては、東日本大震災などのボランティア活動や坐禅会、僧侶対象の研修会などを行っています。
今年は5月26日(もうすぐですね)に、大きな記念大会があります。愛知岐阜三重静岡4県にまたがる10の青年会が一堂に集い、檀家さんや僧侶向けの式典を行います。
担当は輪番制(順繰り)で、今回の担当は、私たちの東三河曹洞宗青年会です。そして・・・この式典の司会を、私不肖泰明めがつとめることになっています。(内心、どきどきです)
この大会のチケットもありますので、また告知しますね。

その翌日は、25年度、第一回目の護持会役員会でした。
護持会(ごじかい)というのは、各お寺の檀家さんで構成される会のことです。会長は檀家さんの中から選出され、名前の通り”護持=お寺を守り、たもつ”ことを目的としています。それだけでなく、大本山への旅行や、各種のイベントなども護持会の協力のもと、行っています。
西光寺の護持会は、十数年間、有名無実化しておりました。2年前に、新会長を選出し、役員さんも大幅に増員しました。
中々泰明が至らないものですから、役員さん始め、檀家さんにもご迷惑をお掛けしております。人間で言ったら2歳児ですから(笑)
しかし、ゆっくりとですが、確実に活動が歩んでいるという手応えはあります。ひとえに役員さんのお蔭です。無償でご奉仕いただいている役員さんには、感謝の言葉もありません。
「もう2年か」と思う一方「まだ2年」という想いもあります。
お寺のため、檀家さんの為に、少しでも良い活動にしていきたいと思っています。
GWの中日は、酉の市関係のことで、さる方にお会いしてきました。詳しいことはもう少し決まってからじゃないと、皆さんにもご報告できないのですが(のどまで出かかっているけど・・・笑)、ともあれ、「お寺」という枠組みを超えた、社会的にも意義のある活動をしよう、という流れです。
実は、4月の一ヶ月は、ほとんどこのために傾注していたと言っても過言ではない日々でした。ブログ放置もこれが原因だったかもしれません。でも、とりあえずは一山越えた感があります。
さてまた昨日は、泰明が住職をさせていただいている豊川市のお寺(満目院)関係の会議でした。いつも思うのは、西光寺と比べて「やっぱり土地柄ってあるなぁ」ということと、「どこにでもすごい(立派な)坊さんはいるなぁ」ということです。
会議以上に、懇親会でのお話に深く感銘を受ける泰明でした。
今日は今日で、これから青年会の会議です。さっきの記念大会についての会議。
何しろ、とても大きなホールですし、記念講演には、『ほんまでっかTV』でおなじみの武田邦彦教授もお招きしているので、司会の責任は重大です(笑)
長々すみません。
最後に、護持会役員会が終わった後、会長さんから頂いた言葉を書いておきます。
「あなたが『お寺は葬式や法事だけの場所じゃない。生きている人、縁ある人に、より充実した人生を送って欲しい』と思っていろいろ活動したい気持ちはよく分かるよ。
ちょっとずつだよ、泰明さん。コツコツと継続していくことさ」
本当に有り難いです。西光寺は檀家さんに恵まれているなぁ、としみじみ思います。 合掌
さて、ここ2週間は、何らかの総会やら会議やらが多くありました。
坊さんって、お経読んでるだけのイメージがあるかと思いますが、意外にお経を読んでる時間は長くありません(笑)
一ヶ寺の住職ともなれば、宗教法人法では代表役員ですし(従ってそれに準じた業務があります)、それ以外に、教区会(宗派によって定義が異なりますが、曹洞宗では「同宗近隣寺院の会」)、法類会(そのお寺の歴史的繋がりのある寺院の会)、市町村の仏教会(たいていは伝統仏教教団で構成される)とか、宗教者連絡会(通常は仏教、神道やキリスト教など)など、程度の差こそあれ、結構いろんな組織に所属しているんですね。
先日は、ここ西光寺にて、東三河曹洞宗青年会の総会がありました。(下の写真参照)
もう何度も書いているので、ご存知の方も多いかと思いますが、曹洞宗青年会は、原則40歳以下の僧侶で構成され、この東三河一円に住する若手僧侶60名弱で組織されます。
2年任期で役員交代があり、ちょうど一年前に泰明もお役を頂戴しました。
活動としては、東日本大震災などのボランティア活動や坐禅会、僧侶対象の研修会などを行っています。
今年は5月26日(もうすぐですね)に、大きな記念大会があります。愛知岐阜三重静岡4県にまたがる10の青年会が一堂に集い、檀家さんや僧侶向けの式典を行います。
担当は輪番制(順繰り)で、今回の担当は、私たちの東三河曹洞宗青年会です。そして・・・この式典の司会を、私不肖泰明めがつとめることになっています。(内心、どきどきです)
この大会のチケットもありますので、また告知しますね。

その翌日は、25年度、第一回目の護持会役員会でした。
護持会(ごじかい)というのは、各お寺の檀家さんで構成される会のことです。会長は檀家さんの中から選出され、名前の通り”護持=お寺を守り、たもつ”ことを目的としています。それだけでなく、大本山への旅行や、各種のイベントなども護持会の協力のもと、行っています。
西光寺の護持会は、十数年間、有名無実化しておりました。2年前に、新会長を選出し、役員さんも大幅に増員しました。
中々泰明が至らないものですから、役員さん始め、檀家さんにもご迷惑をお掛けしております。人間で言ったら2歳児ですから(笑)
しかし、ゆっくりとですが、確実に活動が歩んでいるという手応えはあります。ひとえに役員さんのお蔭です。無償でご奉仕いただいている役員さんには、感謝の言葉もありません。
「もう2年か」と思う一方「まだ2年」という想いもあります。
お寺のため、檀家さんの為に、少しでも良い活動にしていきたいと思っています。
GWの中日は、酉の市関係のことで、さる方にお会いしてきました。詳しいことはもう少し決まってからじゃないと、皆さんにもご報告できないのですが(のどまで出かかっているけど・・・笑)、ともあれ、「お寺」という枠組みを超えた、社会的にも意義のある活動をしよう、という流れです。
実は、4月の一ヶ月は、ほとんどこのために傾注していたと言っても過言ではない日々でした。ブログ放置もこれが原因だったかもしれません。でも、とりあえずは一山越えた感があります。
さてまた昨日は、泰明が住職をさせていただいている豊川市のお寺(満目院)関係の会議でした。いつも思うのは、西光寺と比べて「やっぱり土地柄ってあるなぁ」ということと、「どこにでもすごい(立派な)坊さんはいるなぁ」ということです。
会議以上に、懇親会でのお話に深く感銘を受ける泰明でした。
今日は今日で、これから青年会の会議です。さっきの記念大会についての会議。
何しろ、とても大きなホールですし、記念講演には、『ほんまでっかTV』でおなじみの武田邦彦教授もお招きしているので、司会の責任は重大です(笑)
長々すみません。
最後に、護持会役員会が終わった後、会長さんから頂いた言葉を書いておきます。
「あなたが『お寺は葬式や法事だけの場所じゃない。生きている人、縁ある人に、より充実した人生を送って欲しい』と思っていろいろ活動したい気持ちはよく分かるよ。
ちょっとずつだよ、泰明さん。コツコツと継続していくことさ」
本当に有り難いです。西光寺は檀家さんに恵まれているなぁ、としみじみ思います。 合掌
2013年04月13日
『未来の住職塾』を終えて(後編:覚悟)
あらら、気がついたら『住職塾』第二期が始まってました。急いでアップしなきゃ・・・。
前編・中編からの続き、最後の後編です。
さて、1年の住職塾を通して、実は最後まで通奏低音のように私に鳴り響いていたのは「お寺とは何か?」「僧侶とは何か?」という問いでした。
もう少し詳しく申し上げるのならば「お寺とは、そもそもどのような起源を持ち、どのような機能を持ってきたのか?」ということと「曹洞宗の僧侶として生きるという事は自分にとってどのようなことになるのか?」ということです。
はずかしながら、今、その2つながらはっきりと答えが出ているわけではありません。(まぁ一生掛かっても出ないかもしれない)
今から一年少し前、この住職塾が始まる前、最初のプレセミナー@光明寺に参加したときのこと。
セミナー冒頭で、真宗学の泰斗 金子大榮先生が書かれた『住職道』による住職の心得が紹介されました。(余談ですが、近代の眼蔵家として夙に有名な岸澤惟安老師と親交があったようです)
即ち、住職とは「仏祖崇敬>学問>教化」であると。
私は、心から「その通り」とは思ったものの、覚悟(=道心と言い換えてもいいかもしれません)が脆弱なばかりに、理念としては受け入れることができるのですが、「じゃあ実際どうしたらよいのか?」「やっぱりイベントとかやるべきでは?」とか、要するに表層的なことばかりが気になっておりました。
しかしながら、やや逆説的に聞こえますが、この住職塾を通して、一見、横文字の経営に於けるテクニカルタームやフレームワークを学ばせてもらったことが、結局はこの2つへの「覚悟」を浮き彫りにした結果となりました。
ここでいう覚悟、というのはつまり、お寺や僧侶ということに「深入する」、「受容する」という覚悟。
あるいは「菩提心」というようなニュアンスもあるかもしれません。要は「どんな状況におかれても、やはり曹洞宗の僧侶でいる」という覚悟。
・・・「え?これって当たり前のことじゃない?」「そんな覚悟もなくて、よく坊さんやっていられるね?」
まぁ確かに、そうかもしれません。
ただ、これって口で言うほど簡単なことでもないのかも。少なくとも私にとっては。
「いやいや、それってあんたがお寺の生まれだからでしょ?」
これも確かにそうかもしれません。
では、自ら出家した方が全て良くて、お寺生まれの僧侶は全て悪いのでしょうか?
『正法眼蔵』「袈裟功徳」巻に、戯れでお袈裟をつけた遊女が、ついには発心し得道するという話もあります。
菩提心を発して出家することを誠に尊いことです。
では、菩提心を発すことだけで良いのでしょうか?1回発動することで完了でしょうか?
その観点から行くと、お寺生まれの人間には、一生掛かっても「まともな僧侶」になれない、と言われているような気がしてしまいます。
また、世俗的な”やる気”に満ちあふれているのが、理想の僧侶でしょうか?
私自身は、「自分が僧侶としてやりたいこと」を大見得切って言うことに、ちょっと違和感があります。
別に悪いことではないと思うのです。
ただ、「お坊さんとしてやりたいこと」を大きく言うと、「自分が”お坊さん”という虎の皮を借りて、やりたいことを正当化しているだけ」という、自分のいやらしさが目についてしまうのです。(これは私だけだと思うけど・・・)
何故こんな風に思えてしまうのか・・・。たぶん、次の話にヒントがあるんだと思います。

+++
いきなり話は変わります。
今年のお正月くらいだったと記憶しておりますが、NHK『プロフェッショナル-仕事の流儀-』で、楽焼の当代 楽吉左右衛門さんが特集されていました。私個人的に(詳しくはありませんが)その歴代の作品、もちろん当代も含めて、が、とても好きなので食い入るように見ておりました。
その中で、非常に印象的な言葉がありました。
曰く「自分の焼き物は、”伝統”と”革新”とが振り子のようになっている。両方があることで、進んでいる」
つまり、吉左右衛門さんの作品って、東京芸大の彫刻科出身ということもあってか、非常に屹立とした感じ、空間を拒絶するような孤高の造形があります。一方で、伝統的な楽焼も見事に踏襲されている。どちらかだけではダメで、どちらもあるから進化している。
まったく、この通りかもしれません。
付言すれば、もし振り子のようなら、実は伝統と革新には境界線があまり意味をなさず、もしかしたら、その概念すらも”とりたたて騒ぐほどのことでもなくなる”のかもしれません。
さりとて僅かにでも軌跡外れれば、振り子の運動ではなくなる。一毫でも外れれば、すでに「楽焼」ではなくなる。
肝要なのは、”振り子になること”。
まさに、以心伝心というか、師や仏祖の行履(あんり=生き様)をそっくり受け継いだとき、そして歩みを始めたときに、好むと好まざると「革新」がはじまる。
じゃあ、”革新”ばかりが目に入り、心にちらつく自分に、はたして”伝統”はあったのか・・・?
すなわち、僧侶の生き方、祖師の行履を学んでいたのか?
本当に偶然ですが、住職塾と同時に『正法眼蔵』の講義を東京に受けに行き始めました。
当時は言語化できなくても、漠然としたイメージがあったのかもしれません。
結果的に自分にとって誠にラッキーだったと思います。もしこれを受けていなければ、住職塾での学びも、もっと表層的なものになっていたかもしれない。また、逆に「一生の学び」を気付かせてくれたのが『正法眼蔵』だったと思います。
+++
で、さっきの話に戻ります。
あまりに有名な一節なので、ご存知の方も多いと思います。
『正法眼蔵』「現成公案」の中に、
「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。」
あるいはまた
「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。・・・」
+++
と言うことで、これは自分への戒めと、もしかしたらこれから受講されるされる方にとってお役に立てるかもしれないので、最後のまとめを書いておきます。
1.仏祖崇敬、道心、彼岸寺風にいえば「菩提心に火をつけろ!」は必須アイテム(笑)
2.自らの頭で考えましょう。実は教えてくれること以上に、考えさせられることの方が多いです(涙)
特に「当たり前」のこととしていることこそ、一番危険な罠です。また、学んだことがそのまま”寺業興隆”に繋がる訳ではありません。お金になるとか人が集まるとか、それ以前に”なぜそうしなければならないのか”を考えないといけません。
3.終わりは始まりです。セミナーは終われど、お寺の、そして僧侶としての歩みはこれからです。実行してはじめて意味をなします。共に学ぶ仲間です。そのご縁と行動が何より尊いことです。
・・・口では偉そうなことばっかり言って、実際何にもできてない泰明・・・猛省です
(未来の住職塾に関しての感想は以上です。本当に乱文を最後までお読み下さり、誠にありがとうございました。これはあくまで小原泰明個人の意見ですので、どうぞその点だけご了解ください。このセミナーで出逢えた全ての方に感謝です。 南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧 合掌)
前編・中編からの続き、最後の後編です。
さて、1年の住職塾を通して、実は最後まで通奏低音のように私に鳴り響いていたのは「お寺とは何か?」「僧侶とは何か?」という問いでした。
もう少し詳しく申し上げるのならば「お寺とは、そもそもどのような起源を持ち、どのような機能を持ってきたのか?」ということと「曹洞宗の僧侶として生きるという事は自分にとってどのようなことになるのか?」ということです。
はずかしながら、今、その2つながらはっきりと答えが出ているわけではありません。(まぁ一生掛かっても出ないかもしれない)
今から一年少し前、この住職塾が始まる前、最初のプレセミナー@光明寺に参加したときのこと。
セミナー冒頭で、真宗学の泰斗 金子大榮先生が書かれた『住職道』による住職の心得が紹介されました。(余談ですが、近代の眼蔵家として夙に有名な岸澤惟安老師と親交があったようです)
即ち、住職とは「仏祖崇敬>学問>教化」であると。
私は、心から「その通り」とは思ったものの、覚悟(=道心と言い換えてもいいかもしれません)が脆弱なばかりに、理念としては受け入れることができるのですが、「じゃあ実際どうしたらよいのか?」「やっぱりイベントとかやるべきでは?」とか、要するに表層的なことばかりが気になっておりました。
しかしながら、やや逆説的に聞こえますが、この住職塾を通して、一見、横文字の経営に於けるテクニカルタームやフレームワークを学ばせてもらったことが、結局はこの2つへの「覚悟」を浮き彫りにした結果となりました。
ここでいう覚悟、というのはつまり、お寺や僧侶ということに「深入する」、「受容する」という覚悟。
あるいは「菩提心」というようなニュアンスもあるかもしれません。要は「どんな状況におかれても、やはり曹洞宗の僧侶でいる」という覚悟。
・・・「え?これって当たり前のことじゃない?」「そんな覚悟もなくて、よく坊さんやっていられるね?」
まぁ確かに、そうかもしれません。
ただ、これって口で言うほど簡単なことでもないのかも。少なくとも私にとっては。
「いやいや、それってあんたがお寺の生まれだからでしょ?」
これも確かにそうかもしれません。
では、自ら出家した方が全て良くて、お寺生まれの僧侶は全て悪いのでしょうか?
『正法眼蔵』「袈裟功徳」巻に、戯れでお袈裟をつけた遊女が、ついには発心し得道するという話もあります。
菩提心を発して出家することを誠に尊いことです。
では、菩提心を発すことだけで良いのでしょうか?1回発動することで完了でしょうか?
その観点から行くと、お寺生まれの人間には、一生掛かっても「まともな僧侶」になれない、と言われているような気がしてしまいます。
また、世俗的な”やる気”に満ちあふれているのが、理想の僧侶でしょうか?
私自身は、「自分が僧侶としてやりたいこと」を大見得切って言うことに、ちょっと違和感があります。
別に悪いことではないと思うのです。
ただ、「お坊さんとしてやりたいこと」を大きく言うと、「自分が”お坊さん”という虎の皮を借りて、やりたいことを正当化しているだけ」という、自分のいやらしさが目についてしまうのです。(これは私だけだと思うけど・・・)
何故こんな風に思えてしまうのか・・・。たぶん、次の話にヒントがあるんだと思います。

+++
いきなり話は変わります。
今年のお正月くらいだったと記憶しておりますが、NHK『プロフェッショナル-仕事の流儀-』で、楽焼の当代 楽吉左右衛門さんが特集されていました。私個人的に(詳しくはありませんが)その歴代の作品、もちろん当代も含めて、が、とても好きなので食い入るように見ておりました。
その中で、非常に印象的な言葉がありました。
曰く「自分の焼き物は、”伝統”と”革新”とが振り子のようになっている。両方があることで、進んでいる」
つまり、吉左右衛門さんの作品って、東京芸大の彫刻科出身ということもあってか、非常に屹立とした感じ、空間を拒絶するような孤高の造形があります。一方で、伝統的な楽焼も見事に踏襲されている。どちらかだけではダメで、どちらもあるから進化している。
まったく、この通りかもしれません。
付言すれば、もし振り子のようなら、実は伝統と革新には境界線があまり意味をなさず、もしかしたら、その概念すらも”とりたたて騒ぐほどのことでもなくなる”のかもしれません。
さりとて僅かにでも軌跡外れれば、振り子の運動ではなくなる。一毫でも外れれば、すでに「楽焼」ではなくなる。
肝要なのは、”振り子になること”。
まさに、以心伝心というか、師や仏祖の行履(あんり=生き様)をそっくり受け継いだとき、そして歩みを始めたときに、好むと好まざると「革新」がはじまる。
じゃあ、”革新”ばかりが目に入り、心にちらつく自分に、はたして”伝統”はあったのか・・・?
すなわち、僧侶の生き方、祖師の行履を学んでいたのか?
本当に偶然ですが、住職塾と同時に『正法眼蔵』の講義を東京に受けに行き始めました。
当時は言語化できなくても、漠然としたイメージがあったのかもしれません。
結果的に自分にとって誠にラッキーだったと思います。もしこれを受けていなければ、住職塾での学びも、もっと表層的なものになっていたかもしれない。また、逆に「一生の学び」を気付かせてくれたのが『正法眼蔵』だったと思います。
+++
で、さっきの話に戻ります。
あまりに有名な一節なので、ご存知の方も多いと思います。
『正法眼蔵』「現成公案」の中に、
「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。」
あるいはまた
「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。・・・」
+++
と言うことで、これは自分への戒めと、もしかしたらこれから受講されるされる方にとってお役に立てるかもしれないので、最後のまとめを書いておきます。
1.仏祖崇敬、道心、彼岸寺風にいえば「菩提心に火をつけろ!」は必須アイテム(笑)
2.自らの頭で考えましょう。実は教えてくれること以上に、考えさせられることの方が多いです(涙)
特に「当たり前」のこととしていることこそ、一番危険な罠です。また、学んだことがそのまま”寺業興隆”に繋がる訳ではありません。お金になるとか人が集まるとか、それ以前に”なぜそうしなければならないのか”を考えないといけません。
3.終わりは始まりです。セミナーは終われど、お寺の、そして僧侶としての歩みはこれからです。実行してはじめて意味をなします。共に学ぶ仲間です。そのご縁と行動が何より尊いことです。
・・・口では偉そうなことばっかり言って、実際何にもできてない泰明・・・猛省です

(未来の住職塾に関しての感想は以上です。本当に乱文を最後までお読み下さり、誠にありがとうございました。これはあくまで小原泰明個人の意見ですので、どうぞその点だけご了解ください。このセミナーで出逢えた全ての方に感謝です。 南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧 合掌)
2013年04月04日
【スピンオフ】住職塾セミナー@東別院での話

住職塾に関する記事を連載しておりますが、ここでスピンオフ記事として、名古屋の東別院にて行われた、住職塾のイントロダクション的講座、『住職塾セミナー』について書きたいと思います。(実はオマケ的に書いていたのですが、結構濃い目の内容になってしまいました・・・笑)
このセミナーは、住職塾に興味のある方を対象とした2時間程度のプレセミナーで、このときは30人ほどの方が来ていました。
本当にたまたまなんですが、私がブログを拝見していた、同じ豊橋市のお寺さんも来られていて、そこで初めてお目にかかれたのでした。もちろん、宗派も違いますし、初対面です。でもこういうご縁が、住職塾らしい(笑)
さて、前回の記事に「来期から講座を担当される素晴らしいあるスタッフの方」について、心底感激したと書きました。
この方は、日本の大手企業のコンサルティングを手がけられ、さらに、誰もが知っている有名IT企業にも籍を置かれていた、超がいっぱいつく(笑)優秀な方です。しかも私と同じ年(?!!)
曰く、
「日本の現状を見てきて、
1.お金が原動力になる時代は終わり(智恵や意欲など無形の価値こそ力)
2.商品やサービスはすぐに陳腐化する
3.「人づくり」に関する社会的機能の衰退
という事を感じた。
自分が、ある仏教系大学のコンサルティングをしていたときに、仏教の可能性に気がついた。仏教がダメになるなら、日本がダメになる。」(超要約してます)
懇親会でも少しお話をさせていただく機会があったのですが、とにかく前職の実情が想像を絶するほど過酷。「よく生きてこられたなぁ」と心配になってしまうほど。でも、このように、日本のある意味トップの方が、仏教の可能性に気がついて下さり、そして賭けてくれている。これって私にとっては、すごく心強いです。つまり、坊さんが「人生お金じゃないですよ。スキルや知識じゃないですよ」と声をからしても「いやいや、社会人経験のない奴に言われたくないわ」みたいに一蹴されてしまうんですよね(涙)
と、いうか、それ以上に、「僧侶・在家」という枠組みの新たなフェーズ(いや、実際のところは新しくもないんだそうですが・・・)、新しい関係性、つまり、”僧侶を養うことで功徳を積み、安心を得る、という本来の役割をもう少し拡大解釈した「僧侶=お寺のよきパートナー、アドバイザー、コンサルタント」”という一歩進んだ関係を提示しつつあるのかも、と内心ではとても期待しております。(詳しく書くと長くなるので、今日は割愛します)
閑話休題。
セミナーの質疑応答の際、”お寺の音楽イベント”についての質問がありました。
それを聞いていた時に、ちょっと思いだしたことがあって。
何というか、「あぁ、やっぱりね」みたいな。実は一年前の光明寺でのプレセミナーでも、内容は違うけれど、音楽イベントに関する質問がでていました。
面白いことに、『未来の住職塾』をやっているうちに、こうした○○イベント的な話って、受講生同士あんまりしなくなるんですよね。何というか、そこの部分にはあまり関心がなくなるというか。
自分でも恥ずかしいことなので、ちょっと表現がうまく出来ないんですが、「お寺のイベント」に対する思いって、受講前は「何かイベントしないと、お寺が衰退してしまう」とか「人が集まらないと」みたいな、要は”変な危機感を募らせた”もので、間違った救いをイベントに求めてしまってました。
言うなれば、イベントは”救世主的機能を持つ、何だか分からないけど強力なアイテム”として見てしまっている。さらに言うなら、イベントをしたことで”今までとは違う”とか”一人でも多く来てくれたら安心”といった、これまた変な満足感がある(苦笑)イベントに使われている、というような。
でも、受講していくうちに、イベントに対する考え方そのものが変化してきて、例えばもしイベントをするのなら(そもそもイベントにウェイトを置いていないので)、仏教的な意味合いや機能、誰に届けたくて、どんな成果があるか、ということに関心が向いてくる。”イベントをまさに仏教の方便として使う”、ようはイベントは、数ある1つの選択肢に過ぎなくなってくる感覚。
これって考えてみれば、至極当たり前で何の不思議もないんですが、やっぱり変な危機感があると、前述のようにおかしな思考に陥ってしまうんですよね(自分のことなので、尚更恥ずかしいですが・・・)と、まぁそういう訳で、イベント救世主論(?)はだれもしなくなる。
で、偶然、拝見していた真言宗のお寺さんが、素晴らしい記事を書かれていました。
http://www.hasedera.net/blog/2013/03/post_319.html
特にココ↓(引用させていただきます)
住職というのは、その縁起に伝えられる開山開基の人々の宗教的なテーマを、より意識的に、自覚的に、選択的に継承し、そのテーマをリフレインし、その動機づけを我が動機として本願を地域社会や時代に向けて具体化し、また個人においてはその本願を生き(ようとす)るのが、責務というか定めなのではないだろうか。
でも、寺づくり、開かれた寺院という言葉が独り歩きして、受けの良い、イベント性のある行事や、あるいは社会参加する仏教(エンゲイジド・ブッディズム)でありたいと急ぐあまりに、本尊の本願とはかけ離れた活動に熱中してしまうとしたら、空疎なことになってしまうと思う。
・・・もう、まったくその通りとしか言いようがない。
敢えて言えば、別に本尊様に限らず、宗旨、開山、開祖と置き換えてもよいのかも、と私は思います。(これすら当たり前ですが・・・)とにかく回り道をして、時間をくって、でも本当に心からこの意見に賛同できるようになったのは、逆に住職塾のお蔭かもしれません。
そもそも”(うちの)お寺じゃなくても一向に差し支えないイベント”なら、はじめからやる必要などないのです。彼岸寺風にいえば「そこに仏教はあるのか?」ということです。
ちょっと矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、"だから今まで通りで良いのだ"とか"新しいことをすべきではない"ということを言いたいのではありません。
その”新しいこと”はもしかしたら仏教的にとても意義在ることで、それが今後何十年続くスタンダードになるようなこともあるでしょう。ただ、私個人にはそのようなエポックメイキングなことを創り出すのは到底無理ですし、そんなことが簡単に生まれるならば、私とは比較にならないほど聡明な僧侶が五万といる訳ですから、とうの昔に誰かが生み出してくれているはずですし…。
お寺、と一口に言っても、機能的なものは一つではありません。一般の方からすれば基本的には「お墓があって法事や葬式をしてもらう場所」だろうと思います。付け加えるならば「観光で行く所」とか。
ただ、私たち僧侶にとっては、それだけではないはずです。聞法の道場だったり、ご祈祷寺だったり、叢林という機能もあるでしょう。
そう考えていくと、そもそも"お寺って何?"という視点からはじめなければならないと私は思っていました。
また、仮にイベントをした場合、「仏教を伝えたい」という気持ちがありますよね。ではその”伝えるべき仏教”は自分にあるか?体現しているのだろうか?ただ教科書を丸暗記したような話をしていないだろうか・・・。
また”何をもって「広まる」ことを意味するのか”とか。
さらに言えば、”仏教を広める”ことがどの範囲、射程で言っているのか?とか。広めることの意義は??
勿論、「梵天勧請」の話もあるし、宗教法人法(第一章1条2「・・・教義を広め、儀式行事を行い・・・」)というのもあるし・・・。でも道元禅師には師匠の如浄禅師から言われた「一箇半箇を接得せよ」って言葉もあったり。
そんな折、出会った文があります。
「はじめて発心するときは、他人のために法をもとめず、名利をなげすてきたる。名利をもとむるにあらず、ただひとすぢに得道をこころざす。かつて国王大臣の恭敬供養をまつこと、期せざるものなり(中略)
しかあるを、おろかなる人は、たとひ道心ありといへども、はやく本志をわすれて、あやまりて人天の供養をまちて、仏法の功徳いたれりとよろこぶ。国王大臣の帰依しきりなれば、わがみちの現成とおもへり。これは学道の一魔なり。
あはれむこころわするべからずといふも、よろこぶことなかるべし。」
『正法眼蔵』「谿声山色」巻
本当に、住職塾は考えさせられます(笑)
(蛇足)上記の部分、ラフな現代語訳です。
「(僧侶が)はじめて”出家しよう”との思いを起こすときは、他人のためにすることではなく、まして自分の名誉のためでもない。名誉や名声など求めず、ただひたすらに仏道の成就をこころざす。国王や大臣といった権力者の帰依を期待することなど、まったく思わないものだ。(中略)
しかし、愚かな人は、たとえ出家の心があっても、早々にその志を忘れて、誤って世間の人が尊敬してくれるのをまって、それが仏教の功徳が現れた、とよろこぶ。権力者が帰依してくれたことが、そのまま自分の仏道の達成だと勘違いしてしまう。これは間違っている。権力者をふくめ、世間の人を哀れむ心を忘れてはいけないが、しかし、自分に付き従うことを喜ぶべきではないのである」
2013年03月28日
『未来の住職塾』を終えて(中編:京都・東京あじくらべ)
前編からのつづきです。
さて中編は、「京都・東京あじくらべ」と題しまして、京都会場の最終回と、翌日の東京第一クラス@光明寺の比較を。
運良く、東京第一の最終回にもお邪魔しましたので、その時の印象を少し。
まず、何というか志が同じ、ということもあるのか、東京会場にもすんなりなじめました(たぶん・・・汗。自分調べ)
たとえ場所や宗派が違っても、気持ちは共有できるのが「住職塾」の良い所。
また、メンバー同士も和気あいあいとしていて、好感が持てます。東京会場でご縁をいただいた方に感謝です。中には、私が以前より拝見していたブログの、当のご本人に偶然お会いできたり、うれしいサプライズもありました。
あ、あと、うれしかったのは、かの有名な光明寺オープンテラスでの昼食。しかも門外漢の私も快く受け入れてくれて、みんなで楽しくランチ。寒かったけど・・・(笑)
ちなみに京都会場のあるメンバーが東京会場を振替受講されたとき「東京会場、飲み会もなしでメッチャ冷たい感じがするわ~(笑)」と仰ってましたが・・・そんなことないですよ!!(>Kさんへ)
余談はさておき、両会場ともに、最終回でありますので、同じように「寺業計画書」の発表があります。
一番思ったのが・・・
「やっぱり人柄が出るわ(笑)」ということ。
もちろん、京都は自分のクラスだから何度も会っているし、ディスカッションとかもしているメンバーなので、みなさんそれぞれのご性格とか、早い話、キャラが分かるんですが、それが計画書にも如実に表れています。
なので、東京会場の方々を拝見していても、はじめてお目に掛かるのに、計画書を拝見していると何となく分かる。しかもその計画をご本人が発表されるわけですので、書いてある文章とか話しぶりとか所作とか、そういうのでもお人柄がにじみ出ているような気がします。これは結構面白い発見でした。
あ、あと東京会場には永平寺の後輩がいらっしゃいました。がんばっている後輩の姿を見られて、なんかうれしかったです

それでですね、ここからが本題です。
これはもしかしたら地域差なのかもしれないし、同じ東京会場でも第一と第二では違うのかもしれないので、一般論化はできません。あくまで私が見た限り、という限定でお願いします。
それは「供養、お参り」に対する考え方の濃淡です。
簡単に言えば、京都会場を受講している方は、割に”供養、お参り”(含む永代供養墓)ということを寺業計画書に多く入れられています。(ちなみに京都市内のお寺の方はいらっしゃいません。メンバーは京都・大阪・兵庫・和歌山・愛知・佐賀など)
逆に、東京会場の方で”供養”を中心に持ってきている方は京都に比して少ない印象を受けました。(東京、静岡、神奈川、秋田など)逆に、イベントが多いような気がしました。
これは決して批判でもなんでもなく、ただ”そうだった”、ということなのですが、私個人的に僧侶としての生き方を考えたときに、大きな、そして避けては通れない問題ではなかろうかと思いました。
もちろん、これはあくまで”寺業計画”であり”僧侶としての人生設計や指針”とは違います。
それから、あえてそんなことを書く必要もないだろう、という考えもあるかもしれません。曰く当たり前なんだから、と。
もしくは、「自分としては供養について現状、ベストの状態だと思っている」と言われた方もいらっしゃったように、それもまた真なり、かもしれません。(ちなみに東京会場でお一方いらっしゃいました)
ただ、少し気になったのが、東京会場のみなさん、けっこう檀家数が多いんですね。(明言は避けますが、京都会場はその10分の1以下の規模のお寺をやり繰りされている方も皆無ではありません。)
そうであれば、供養ってとっても大事なことだと思うんです。だって数(法事や葬儀の件数)が違えば、人々への影響力も違ってくると思うので。(地域差もありましょうから、同じ線上には並べられないとしても)
とは言え、やはり”葬式や法事だけ”というお寺のイメージを払拭したい!そのお気持ちも分かります。何年も前は私もそうでした。
でも、思ったんですが、なんで葬式や法事のイメージを払拭しなければいけないのでしょうか?
やましいことをしている気になる?自信が無いから?何故自信がないのでしょうか?
檀家さんにとって”素晴らしい葬式や法事”を提供し、故人様にも、残された遺族(生者)にも共に安心を与えることができているのなら、感謝されこそすれ、否定される筋合いはありません。
(ただ、”つねに安心を与えられるように儀礼の質を上げる”とか、”自身の信心を涵養する”とか”檀家さんにとって「良い葬儀」とは?”、そうしたことを考え続けることは必要ではないかとは思います。)
それから”ネガティブイメージを払拭したらどうなるのか?”という観点もまた考えるべきかと思います。
「何故僧侶が葬式をするのか?」という意味、そして「どのように僧侶が葬式を担ってきたのか?」という歴史を学ぶことなくしては、これに答えることはできないだろうと思うのです。
ちょっと脱線します。過去に何度も書いたとおり、私には心から尊敬でき、かつ楽しく一緒にお酒を飲める(笑)牧師さんがいらっしゃいます。
その方にもある時、申し上げたのですが、「キリスト教ほど熱心に布教し、かつ葬儀のイメージがない(クリスマスの、単純に言えばポジティブなイメージ)宗教が、これだけ活動されて、結果、日本では人口の1%しか信者さんがいないのはどうしてでしょうか?これは単純に布教の仕方云々ではないはずです。
振り返って、うちのお檀家さんでも、例えばお寺の宗派の名前、宗祖の名前、本山、住職の名前、およその経典と内容など言える人は極めてまれです。もしかしたら、それは1%なのかもしれない。だとしたら、もしかしたら、それが日本人の宗教に対する本質ではないでしょうか?」と。
牧師さんも「う~ん」と仰っていましたが(笑)、これは日本人の思考(=日本人論)に直結し、なおかつ歴史を紐解かないと答えられない難しい問題ですね。それから、また更に別の問題もあります。果たして、一つの宗教のみの信仰を持たなければならないとする信仰感は、日本で古来からあったものでしょうか?ついでに、本当に本当に「今、この時代の人々が一番信仰心がないのか?」ということも慎重に見ていかなければなりません。
やや脱線してきましたが、私の言いたいことは”現状を具に見る”ことです。お寺も、周りの関係も、自分自身も。
そこからでしか始まらないし、始められない。(自戒の意味で)
そうしたとき、自分にはお寺や仏教や宗派や宗教や日本の歴史や伝播の過程など、あらゆる面で知っていることがほとんどないことに、愕然としました。自分は何も知らない、ということに気がつかされました。
で、実は最後「後編-覚悟-」に続いていきます。
・・・あっ、その前にスピンオフ記事として、名古屋東別院で行われた『住職塾セミナー』(単回のプレセミナー)についてをアップします。
さて中編は、「京都・東京あじくらべ」と題しまして、京都会場の最終回と、翌日の東京第一クラス@光明寺の比較を。
運良く、東京第一の最終回にもお邪魔しましたので、その時の印象を少し。
まず、何というか志が同じ、ということもあるのか、東京会場にもすんなりなじめました(たぶん・・・汗。自分調べ)
たとえ場所や宗派が違っても、気持ちは共有できるのが「住職塾」の良い所。
また、メンバー同士も和気あいあいとしていて、好感が持てます。東京会場でご縁をいただいた方に感謝です。中には、私が以前より拝見していたブログの、当のご本人に偶然お会いできたり、うれしいサプライズもありました。
あ、あと、うれしかったのは、かの有名な光明寺オープンテラスでの昼食。しかも門外漢の私も快く受け入れてくれて、みんなで楽しくランチ。寒かったけど・・・(笑)
ちなみに京都会場のあるメンバーが東京会場を振替受講されたとき「東京会場、飲み会もなしでメッチャ冷たい感じがするわ~(笑)」と仰ってましたが・・・そんなことないですよ!!(>Kさんへ)
余談はさておき、両会場ともに、最終回でありますので、同じように「寺業計画書」の発表があります。
一番思ったのが・・・
「やっぱり人柄が出るわ(笑)」ということ。
もちろん、京都は自分のクラスだから何度も会っているし、ディスカッションとかもしているメンバーなので、みなさんそれぞれのご性格とか、早い話、キャラが分かるんですが、それが計画書にも如実に表れています。
なので、東京会場の方々を拝見していても、はじめてお目に掛かるのに、計画書を拝見していると何となく分かる。しかもその計画をご本人が発表されるわけですので、書いてある文章とか話しぶりとか所作とか、そういうのでもお人柄がにじみ出ているような気がします。これは結構面白い発見でした。
あ、あと東京会場には永平寺の後輩がいらっしゃいました。がんばっている後輩の姿を見られて、なんかうれしかったです


それでですね、ここからが本題です。
これはもしかしたら地域差なのかもしれないし、同じ東京会場でも第一と第二では違うのかもしれないので、一般論化はできません。あくまで私が見た限り、という限定でお願いします。
それは「供養、お参り」に対する考え方の濃淡です。
簡単に言えば、京都会場を受講している方は、割に”供養、お参り”(含む永代供養墓)ということを寺業計画書に多く入れられています。(ちなみに京都市内のお寺の方はいらっしゃいません。メンバーは京都・大阪・兵庫・和歌山・愛知・佐賀など)
逆に、東京会場の方で”供養”を中心に持ってきている方は京都に比して少ない印象を受けました。(東京、静岡、神奈川、秋田など)逆に、イベントが多いような気がしました。
これは決して批判でもなんでもなく、ただ”そうだった”、ということなのですが、私個人的に僧侶としての生き方を考えたときに、大きな、そして避けては通れない問題ではなかろうかと思いました。
もちろん、これはあくまで”寺業計画”であり”僧侶としての人生設計や指針”とは違います。
それから、あえてそんなことを書く必要もないだろう、という考えもあるかもしれません。曰く当たり前なんだから、と。
もしくは、「自分としては供養について現状、ベストの状態だと思っている」と言われた方もいらっしゃったように、それもまた真なり、かもしれません。(ちなみに東京会場でお一方いらっしゃいました)
ただ、少し気になったのが、東京会場のみなさん、けっこう檀家数が多いんですね。(明言は避けますが、京都会場はその10分の1以下の規模のお寺をやり繰りされている方も皆無ではありません。)
そうであれば、供養ってとっても大事なことだと思うんです。だって数(法事や葬儀の件数)が違えば、人々への影響力も違ってくると思うので。(地域差もありましょうから、同じ線上には並べられないとしても)
とは言え、やはり”葬式や法事だけ”というお寺のイメージを払拭したい!そのお気持ちも分かります。何年も前は私もそうでした。
でも、思ったんですが、なんで葬式や法事のイメージを払拭しなければいけないのでしょうか?
やましいことをしている気になる?自信が無いから?何故自信がないのでしょうか?
檀家さんにとって”素晴らしい葬式や法事”を提供し、故人様にも、残された遺族(生者)にも共に安心を与えることができているのなら、感謝されこそすれ、否定される筋合いはありません。
(ただ、”つねに安心を与えられるように儀礼の質を上げる”とか、”自身の信心を涵養する”とか”檀家さんにとって「良い葬儀」とは?”、そうしたことを考え続けることは必要ではないかとは思います。)
それから”ネガティブイメージを払拭したらどうなるのか?”という観点もまた考えるべきかと思います。
「何故僧侶が葬式をするのか?」という意味、そして「どのように僧侶が葬式を担ってきたのか?」という歴史を学ぶことなくしては、これに答えることはできないだろうと思うのです。
ちょっと脱線します。過去に何度も書いたとおり、私には心から尊敬でき、かつ楽しく一緒にお酒を飲める(笑)牧師さんがいらっしゃいます。
その方にもある時、申し上げたのですが、「キリスト教ほど熱心に布教し、かつ葬儀のイメージがない(クリスマスの、単純に言えばポジティブなイメージ)宗教が、これだけ活動されて、結果、日本では人口の1%しか信者さんがいないのはどうしてでしょうか?これは単純に布教の仕方云々ではないはずです。
振り返って、うちのお檀家さんでも、例えばお寺の宗派の名前、宗祖の名前、本山、住職の名前、およその経典と内容など言える人は極めてまれです。もしかしたら、それは1%なのかもしれない。だとしたら、もしかしたら、それが日本人の宗教に対する本質ではないでしょうか?」と。
牧師さんも「う~ん」と仰っていましたが(笑)、これは日本人の思考(=日本人論)に直結し、なおかつ歴史を紐解かないと答えられない難しい問題ですね。それから、また更に別の問題もあります。果たして、一つの宗教のみの信仰を持たなければならないとする信仰感は、日本で古来からあったものでしょうか?ついでに、本当に本当に「今、この時代の人々が一番信仰心がないのか?」ということも慎重に見ていかなければなりません。
やや脱線してきましたが、私の言いたいことは”現状を具に見る”ことです。お寺も、周りの関係も、自分自身も。
そこからでしか始まらないし、始められない。(自戒の意味で)
そうしたとき、自分にはお寺や仏教や宗派や宗教や日本の歴史や伝播の過程など、あらゆる面で知っていることがほとんどないことに、愕然としました。自分は何も知らない、ということに気がつかされました。
で、実は最後「後編-覚悟-」に続いていきます。
・・・あっ、その前にスピンオフ記事として、名古屋東別院で行われた『住職塾セミナー』(単回のプレセミナー)についてをアップします。
2013年03月26日
『未来の住職塾』を終えて(前編:感想)
昨年(H24)5月に開講した、超宗派のセミナー「未来の住職塾」の第一期が全ての会場で終わりました。松本さんはじめ、講師の方々、スタッフの方、受講生のみなさん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
また、第二期募集も、今日で締め切りですね。
「”未来の住職塾”って何?」って方はここをクリック
当初は東京と京都会場のみ、それも一クラス5~7人くらい集まればいいや、くらいに思っていらしたそうなのですが、このセミナー、ふたを開けてみたら全国5会場に展開し、一期生は70名を超える人数だったようです。
私は京都会場を受講していたのですが、第一期の最初に始まり、そして最初に終わりました。
さて、これから2~3回にわたってこの『未来の住職塾』に対する総括的な記事を書いていこうと思います。いままで受講された方はどうぞ忌憚のないご意見を頂戴したく、またこれから受講される方(二期生)には拙い文章ですが、ほんの少しでもお役に立てれば、と思って記します。
で、泰明にしては珍しく、すでに構想が決まっておりまして(笑)以下のように記します。

と言うことで、まず<前編>です。
得たものや、感想ですが、既にいろんなところで書いているので、端的に行きたいと思います。
1.素晴らしい仲間
・・・これはもう、得たものの筆頭です。
と言うか、私のこの感想文が第二期のパンフレットに載っているくらいでして・・・。
例えば、「お寺ってどういうところなのかな。坊さんの生き方ってどういうものだと思う?」とか「●●って法要があるんだけど、もっと認知度を上げて、宗祖の教えを敷衍するためにはどうしたらいいかな?」とか、そんな話(相談)が気軽に出来る僧侶の仲間っていますか?僕はほとんどいません。申し訳ないけど・・・。
本気で腹を割って話せる仲間ができました。宗派が違うとか同じとか、殆ど意味をなさない。
本気でお寺のこと、仏教のことを考えている仲間がいる。それで充分。
ちなみに・・・泰明は、全6回、毎度講義後にクラスメイトと飲んでました!
1回目と最後6回目の講義後は、事務局主催で懇親会が行われましたが、中4回は”自主的に”(笑)
講義後、終電まで4時間くらいずっと語り合ってました。6時間あまりの講義を受けて、その後で飲み会。自分でもよく体力が保つと思うけど、それでも語り足りなかったよね?(←って誰に言ってんでしょうか)
あ、あと、”同級生のウチに遊びにいく”じゃないけど、クラスメイトのお寺に遊びに行く予定も既にあります★楽しみ!
2.らせん的成長
・・・ちょっと抽象的。実は、これ松本塾長の談。
すなわち、それこそ円を描くように、住職塾を受ける前の自分と、今の自分は、本当のところ表立って何かが変わったわけではありません。やっていることと言えば、相も変わらず、お葬式に法事、役員会に掃除・坐禅、青年会の活動やら何やら。
でも、表だっては変化がないかもしれません。しかし、お寺の事業や在り方一つ一つ具に見直し、本当に悩んで考えて、或いは見つめてきたことなので、同じ事をやっていても実は感覚的には”何かが違う”気がします。もしかしたら、気のせいかもしれませんが・・・(汗)
で、このらせんの意味はこうです。
つまり前段の”同じ事をやってる”のはらせんを上からみたところ。一年経って円を描くが如く、また同じ場所に戻ってきた。
しかしながら、後段”何かが違う”のは、らせんを横から見たところ。一回り成長している(ような気が・・・)ということです。
これは言い得て妙だと、ひどく得心したのですが、その通りかと思います。
3.相手に気持ちや考えを伝えること
・・・これ、私は結構苦手だったりします。今でもそうだけど。でも住職塾のお蔭で、ググッと成長したような気がします。
私の感想って、セミナーの内容にあまり触れていません。
まぁ有料講座だから(笑)ってのも有るんですが、書きませんでした。
テキストとかワークとか、ディスカッションとか、すごいクオリティだと思うし、次々現れる課題に対して、楽しく、どきどきしながら打ち込めました。
ちなみに来期から講座を担当されるあるスタッフの方曰く「日本広しといえども、大企業ですらこれだけのクオリティを保ったセミナーはそうそうない」とのこと。私はこのスタッフの方にお会いして、心底感激したのですが、その話はまた今度。
で、何が言いたいかというと、ある意味、住職塾は”マネジメントに関する、何か最新の、イノヴェイティブな理論とか、やり方”を教えてくれるのではありません。もちろん、そういう側面も多分にあります。
ただ、それって畢竟、「いかにして考え(=教え、=安心)や気持ちを、上手に、深く相手に伝えていくか」ということに集約されるかもしれません。だからこそ、どうしたら伝えられるかを考えるためのフレームワークだったと思う。(もちろん、それだけじゃないですけどね)
これは、既にウチのお寺の護持会活動や、酉の市にも活かされていると実感しております。
4.覚悟・・・最後になります。
これが一番、書きづらいです。上手く表現できるかどうか。
詳しくは、<後編>とも大きくリンクするので、そこで述べたいと思います。
ごく簡単に言えば「おまえは坊さんとして生きていく覚悟があるのか?」ということです。
その覚悟を何度も確かめられ、問われたような講義でした。そうする中で、確かとは言い難いけれど、何ものかを掴んだ、そんなニュアンスです。
・・・とりあえず、前編はここまでにします。
また、第二期募集も、今日で締め切りですね。
「”未来の住職塾”って何?」って方はここをクリック
当初は東京と京都会場のみ、それも一クラス5~7人くらい集まればいいや、くらいに思っていらしたそうなのですが、このセミナー、ふたを開けてみたら全国5会場に展開し、一期生は70名を超える人数だったようです。
私は京都会場を受講していたのですが、第一期の最初に始まり、そして最初に終わりました。
さて、これから2~3回にわたってこの『未来の住職塾』に対する総括的な記事を書いていこうと思います。いままで受講された方はどうぞ忌憚のないご意見を頂戴したく、またこれから受講される方(二期生)には拙い文章ですが、ほんの少しでもお役に立てれば、と思って記します。
で、泰明にしては珍しく、すでに構想が決まっておりまして(笑)以下のように記します。
<前編>
【得たもの】
・・・住職塾を通して何を得られたのか&感想
<中編>
【京都・東京あじくらべ】
・・・京都の翌日行われた東京第一での最終講座との比較
<後編>
【覚悟 -そして第二期へ-】
・・・う~ん、何だろ。第二期の方へってことくらいでしょうか

と言うことで、まず<前編>です。
得たものや、感想ですが、既にいろんなところで書いているので、端的に行きたいと思います。
1.素晴らしい仲間
・・・これはもう、得たものの筆頭です。
と言うか、私のこの感想文が第二期のパンフレットに載っているくらいでして・・・。
例えば、「お寺ってどういうところなのかな。坊さんの生き方ってどういうものだと思う?」とか「●●って法要があるんだけど、もっと認知度を上げて、宗祖の教えを敷衍するためにはどうしたらいいかな?」とか、そんな話(相談)が気軽に出来る僧侶の仲間っていますか?僕はほとんどいません。申し訳ないけど・・・。
本気で腹を割って話せる仲間ができました。宗派が違うとか同じとか、殆ど意味をなさない。
本気でお寺のこと、仏教のことを考えている仲間がいる。それで充分。
ちなみに・・・泰明は、全6回、毎度講義後にクラスメイトと飲んでました!
1回目と最後6回目の講義後は、事務局主催で懇親会が行われましたが、中4回は”自主的に”(笑)
講義後、終電まで4時間くらいずっと語り合ってました。6時間あまりの講義を受けて、その後で飲み会。自分でもよく体力が保つと思うけど、それでも語り足りなかったよね?(←って誰に言ってんでしょうか)
あ、あと、”同級生のウチに遊びにいく”じゃないけど、クラスメイトのお寺に遊びに行く予定も既にあります★楽しみ!
2.らせん的成長
・・・ちょっと抽象的。実は、これ松本塾長の談。
すなわち、それこそ円を描くように、住職塾を受ける前の自分と、今の自分は、本当のところ表立って何かが変わったわけではありません。やっていることと言えば、相も変わらず、お葬式に法事、役員会に掃除・坐禅、青年会の活動やら何やら。
でも、表だっては変化がないかもしれません。しかし、お寺の事業や在り方一つ一つ具に見直し、本当に悩んで考えて、或いは見つめてきたことなので、同じ事をやっていても実は感覚的には”何かが違う”気がします。もしかしたら、気のせいかもしれませんが・・・(汗)
で、このらせんの意味はこうです。
つまり前段の”同じ事をやってる”のはらせんを上からみたところ。一年経って円を描くが如く、また同じ場所に戻ってきた。
しかしながら、後段”何かが違う”のは、らせんを横から見たところ。一回り成長している(ような気が・・・)ということです。
これは言い得て妙だと、ひどく得心したのですが、その通りかと思います。
3.相手に気持ちや考えを伝えること
・・・これ、私は結構苦手だったりします。今でもそうだけど。でも住職塾のお蔭で、ググッと成長したような気がします。
私の感想って、セミナーの内容にあまり触れていません。
まぁ有料講座だから(笑)ってのも有るんですが、書きませんでした。
テキストとかワークとか、ディスカッションとか、すごいクオリティだと思うし、次々現れる課題に対して、楽しく、どきどきしながら打ち込めました。
ちなみに来期から講座を担当されるあるスタッフの方曰く「日本広しといえども、大企業ですらこれだけのクオリティを保ったセミナーはそうそうない」とのこと。私はこのスタッフの方にお会いして、心底感激したのですが、その話はまた今度。
で、何が言いたいかというと、ある意味、住職塾は”マネジメントに関する、何か最新の、イノヴェイティブな理論とか、やり方”を教えてくれるのではありません。もちろん、そういう側面も多分にあります。
ただ、それって畢竟、「いかにして考え(=教え、=安心)や気持ちを、上手に、深く相手に伝えていくか」ということに集約されるかもしれません。だからこそ、どうしたら伝えられるかを考えるためのフレームワークだったと思う。(もちろん、それだけじゃないですけどね)
これは、既にウチのお寺の護持会活動や、酉の市にも活かされていると実感しております。
4.覚悟・・・最後になります。
これが一番、書きづらいです。上手く表現できるかどうか。
詳しくは、<後編>とも大きくリンクするので、そこで述べたいと思います。
ごく簡単に言えば「おまえは坊さんとして生きていく覚悟があるのか?」ということです。
その覚悟を何度も確かめられ、問われたような講義でした。そうする中で、確かとは言い難いけれど、何ものかを掴んだ、そんなニュアンスです。
・・・とりあえず、前編はここまでにします。
2013年03月22日
え~?!!これってホントに●●料理なの?
明日でお彼岸も終わりですね。
西光寺では、彼岸入りの日、17日に本堂にて春彼岸の法要をいたしました。
当日は日曜日で、とても天気が良く、暖かでしたので、大変多くの方にお参り頂き、有り難かったです。
反面、本堂に入りきらず、廊下でお立ち頂きました方もいらっしゃいました。申し訳なかったです。
さて、お彼岸というのは・・・去年も書いたかもしれませんが、元々は苦しみ多き迷いの世界=此岸(この世界)から、安楽なる世界、悟りの世界(彼岸)へわたる、ということです。般若心経の正式名称は「まかはんにゃ”はらみた”しんぎょう」といいますが、このカッコの”はらみた”の語源がパーラミター、つまり”到彼岸”(彼岸にいたる)ということなのです。
そういえば、お彼岸中にお墓参りに来られた方が、「まぁ、どのお墓もきれいにお花が替えられているわね~」と仰っていました。それだけ、みなさんお参りに来て下さったということ。誠に有り難いことです。
いきなり、お彼岸とは全然関係ない話になります。
私、泰明は料理が趣味なのですが、前々からやってみたかったことがあります。
それは、「フレンチやイタリアンのエッセンスを採り入れた、おしゃれな精進料理ができないか?」ということです。
「いや、なんでフレンチなの?」とか突っ込まないで下さい。長くなるので(笑)そのうち書くかもしれませんが。
精進料理というのは、もともと修行僧が精進し、修行をつつがなく行い、仏道を成就するために定められた料理で、中国で完成された様式とされています。
簡単に言えば、ヴィーガン、つまり、お肉、お魚、卵、牛乳など乳製品を使いません。(これだってかなりすごいことです)
それに加えて、五葷(ごくん)と呼ばれる野菜も使いません。これは実はいろいろに定義されますが、一般的には「にんにく」「たまねぎ」「にら」「らっきょう」「あさつき」などを指します。
(ちなみに、インドで生まれたブッダ=お釈迦様のころは、お肉も魚も食べていたようです)
なんで精進料理が生まれたのか、これまた興味深いのですが、私もまだ勉強不足で、あまりお話はできません・・・ごめんなさい。
ただ、インドから仏教が中国に入り、陰陽五行説の影響を受けたこと(=中国的聖性)。そもそも托鉢して回るという習慣が中国に根付いておらず、いきおい、自分たちで調理をしなければならなかったこと。お寺の所在する位置が、山奥に入っていったこと、などが指摘されます。
私が修行させてもらっていた大本山永平寺でもこれに準じた料理で、朝はおかゆとごま塩、たくあん。昼は一汁一菜。夜は一汁二菜といった感じ。出汁は椎茸と昆布。野菜の煮物などがおかずです。ごま豆腐が有名ですが、実は、あれは修行僧用ではなく、お客様用のお料理だったりします。
話を戻して。
なんと言っても、こんなモダン精進料理(?)、レシピがないので(笑)、よく買っている『料理通信』のバックナンバーをぱらぱら見たり、かつて行ったpassage53の料理を思い出したり、行ってみたいお店No1の大阪"la cime"高田シェフのブログを覗いたり。(高田シェフの盛りつけ、ホントに芸術的です)結構考えました。
で、今回はとりあえず、二つ作ってみました。

<カリフラワーとクルミのロースト、カレー風味(パプリカマヨネーズ)>
ゆでたカリフラワーとクルミ、イタリアンパセリをカレー粉、塩で和えたもの。「え?カレー粉って精進??」いわゆるルウは動物油脂やタマネギなどが入っていますが、カレー粉って要するにターメリックとかを調合しただけなので、実は五葷や動物性のものは入っていないんですね。
「え?マヨネーズって卵使ってんじゃん」そうなんですが、これは豆乳をピーナッツオイルで乳化させ、そこへフレンチマスタード、白ワインヴィネガーと塩で味を調整し、パプリカパウダーを入れて色を作りました。
このマヨネーズ、本当に美味しい!本物そっくりのテクスチャーです。お皿の赤いのがパプリカパウダー。

<ジャガイモのピューレ、枝豆のセルクル仕立て バジルソースとラディッシュ>
こっちはFacebookで先行アップしました(笑)
ジャガイモを豆乳でのばして、ドライタイムとキャトルエピス(南仏料理で使われる4種=キャトルのスパイスを調合したもの)を振って香り付け。
バジルソースはいわゆる”ジェノベーゼ”みたいですが、ニンニクとチーズを使わず、カシューナッツとオリーブオイルだけで作っています。
セルクル(丸い型)でソースとジャガイモを。ラディッシュで同じく”円”を意識してみました。
もしリクエストが有れば、また作ってみたいと思います。
・
・・
・・・え?味はどうかって?
是非、お作りになってお試し下さい★
西光寺では、彼岸入りの日、17日に本堂にて春彼岸の法要をいたしました。
当日は日曜日で、とても天気が良く、暖かでしたので、大変多くの方にお参り頂き、有り難かったです。
反面、本堂に入りきらず、廊下でお立ち頂きました方もいらっしゃいました。申し訳なかったです。
さて、お彼岸というのは・・・去年も書いたかもしれませんが、元々は苦しみ多き迷いの世界=此岸(この世界)から、安楽なる世界、悟りの世界(彼岸)へわたる、ということです。般若心経の正式名称は「まかはんにゃ”はらみた”しんぎょう」といいますが、このカッコの”はらみた”の語源がパーラミター、つまり”到彼岸”(彼岸にいたる)ということなのです。
そういえば、お彼岸中にお墓参りに来られた方が、「まぁ、どのお墓もきれいにお花が替えられているわね~」と仰っていました。それだけ、みなさんお参りに来て下さったということ。誠に有り難いことです。
いきなり、お彼岸とは全然関係ない話になります。
私、泰明は料理が趣味なのですが、前々からやってみたかったことがあります。
それは、「フレンチやイタリアンのエッセンスを採り入れた、おしゃれな精進料理ができないか?」ということです。
「いや、なんでフレンチなの?」とか突っ込まないで下さい。長くなるので(笑)そのうち書くかもしれませんが。
精進料理というのは、もともと修行僧が精進し、修行をつつがなく行い、仏道を成就するために定められた料理で、中国で完成された様式とされています。
簡単に言えば、ヴィーガン、つまり、お肉、お魚、卵、牛乳など乳製品を使いません。(これだってかなりすごいことです)
それに加えて、五葷(ごくん)と呼ばれる野菜も使いません。これは実はいろいろに定義されますが、一般的には「にんにく」「たまねぎ」「にら」「らっきょう」「あさつき」などを指します。
(ちなみに、インドで生まれたブッダ=お釈迦様のころは、お肉も魚も食べていたようです)
なんで精進料理が生まれたのか、これまた興味深いのですが、私もまだ勉強不足で、あまりお話はできません・・・ごめんなさい。
ただ、インドから仏教が中国に入り、陰陽五行説の影響を受けたこと(=中国的聖性)。そもそも托鉢して回るという習慣が中国に根付いておらず、いきおい、自分たちで調理をしなければならなかったこと。お寺の所在する位置が、山奥に入っていったこと、などが指摘されます。
私が修行させてもらっていた大本山永平寺でもこれに準じた料理で、朝はおかゆとごま塩、たくあん。昼は一汁一菜。夜は一汁二菜といった感じ。出汁は椎茸と昆布。野菜の煮物などがおかずです。ごま豆腐が有名ですが、実は、あれは修行僧用ではなく、お客様用のお料理だったりします。
話を戻して。
なんと言っても、こんなモダン精進料理(?)、レシピがないので(笑)、よく買っている『料理通信』のバックナンバーをぱらぱら見たり、かつて行ったpassage53の料理を思い出したり、行ってみたいお店No1の大阪"la cime"高田シェフのブログを覗いたり。(高田シェフの盛りつけ、ホントに芸術的です)結構考えました。
で、今回はとりあえず、二つ作ってみました。

<カリフラワーとクルミのロースト、カレー風味(パプリカマヨネーズ)>
ゆでたカリフラワーとクルミ、イタリアンパセリをカレー粉、塩で和えたもの。「え?カレー粉って精進??」いわゆるルウは動物油脂やタマネギなどが入っていますが、カレー粉って要するにターメリックとかを調合しただけなので、実は五葷や動物性のものは入っていないんですね。
「え?マヨネーズって卵使ってんじゃん」そうなんですが、これは豆乳をピーナッツオイルで乳化させ、そこへフレンチマスタード、白ワインヴィネガーと塩で味を調整し、パプリカパウダーを入れて色を作りました。
このマヨネーズ、本当に美味しい!本物そっくりのテクスチャーです。お皿の赤いのがパプリカパウダー。

<ジャガイモのピューレ、枝豆のセルクル仕立て バジルソースとラディッシュ>
こっちはFacebookで先行アップしました(笑)
ジャガイモを豆乳でのばして、ドライタイムとキャトルエピス(南仏料理で使われる4種=キャトルのスパイスを調合したもの)を振って香り付け。
バジルソースはいわゆる”ジェノベーゼ”みたいですが、ニンニクとチーズを使わず、カシューナッツとオリーブオイルだけで作っています。
セルクル(丸い型)でソースとジャガイモを。ラディッシュで同じく”円”を意識してみました。
もしリクエストが有れば、また作ってみたいと思います。
・
・・
・・・え?味はどうかって?
是非、お作りになってお試し下さい★