2011年02月01日
これからの「葬儀」の話をしよう -1-
マイケル・サンデルをパクってしまいました・・・(笑)
さて、みなさんも本当に興味のあるであろう、お葬式について、稚拙ではありますが歴史的・教義的・社会的・経済的といったさまざまな観点から、一緒に考えていきたいと思っています。
まず、今日は
え?葬式って仏教じゃないの?仏教とは関係ないの??
です。
いきなり、「なんだよそれ?」と疑問や疑心をいだかれた方が多いでしょう。
葬式と仏教が関係ないなんて・・・っていうか、坊さんって葬式とか法事をやる人のことでしょ?
「葬式と仏教が関係ないなら、なんで坊さんは葬式してんだよ?」と思いませんか?
お気持ちはよくわかります。ですが、もし「坊さん=葬式とか法事だけをやる人」とお考えなら、私は反対です。少なくとも、それだけが僧侶の定義(だと思っているの)であれば、ほぼ間違いです。
仏教って何でしょう?何が目的なんでしょうか?
前にも書きましたが(一言でいうのは非常に乱暴ですが、あえてわかりやすく書けば)仏教の目的は「心の平安を得る」ことです。
今度は僧侶の立場から、葬儀を見た場合。
実は、少しでも仏教の勉強をしている僧侶の中には、「教義にないから」とか「古いお経には、ブッダが葬儀を禁止していたと書いてある」(大抵は『大パリニッバーナ経』の一部分を示していわれる説。しかしこの「葬儀を禁止していた」という理解は適切ではない)として「葬儀は仏教に非ず」と思いこみ、(だから積極的に葬儀を肯定できない、ということでもある)「葬式仏教」と言われる見当違いの批判を苦々しく思っている方も多くいると思います。
(隠し立てせずに言えば、私も最近までそう思っていました。しかし、実はそんなに簡単な図式では理解できないことにも気づきました。・・・いや、別に今まで「手を抜いていた」とか「葬儀を軽く見ていた」とかでは決してないですよ。)

こうした「皆さんの意見=葬式は仏教」「僧侶の意見=葬式は仏教ではない」という真っ向から矛盾することはどうして起きるのでしょうか。
私の属している曹洞宗には「曹洞宗総合研究センター」という碩学の集団があり、ここが『葬祭 -現代的意義と課題-』という本を出しました。平成15年のことです。
この序文を書かれたのは、当時の研究センター所長 奈良康明博士で、この中に答えというか、非常に重要な一節がありました。それを引用します。
いかがでしょうか?
たぶん、この「民俗信仰」と「仏教教義や宗学」(”宗学”ってのは、宗派ごとの教義・学問です)との差異が、そうした矛盾する観点を生むのだと思います。
じゃあどうすればいいのか?
奈良先生の文章に「重層化」という言葉があります。ごくごくかいつまんで言えば「聖=仏教教義・宗学」と「俗=民俗信仰」という矛盾が、矛盾としてではなく、あたかも黒から白まで無限のグラデーションを描くように折り重なっている、と言えるかもしれません。
その「白黒はっきりつける」のではなく、(奈良先生が「仏教と民俗両方の要素が分かちがたく混融している」と言われるように)、「白も黒も取り入れ、織り込まれている」ことを理解することが、今までの葬儀も、そしてこれからの葬儀も改めて意味あるものに、意義あるものに、リヴァイヴしていく方策になるのではと考えています。(そして、そうした観点から、奈良先生の文章は非常に参考になります。)
なんだか、非常に抽象的な概念になってしまいましたが、これから何回も何回もこの事について、考えていきたいと思います。今日は長くなってしまったので、この辺で筆を置きます。
さて、みなさんも本当に興味のあるであろう、お葬式について、稚拙ではありますが歴史的・教義的・社会的・経済的といったさまざまな観点から、一緒に考えていきたいと思っています。
まず、今日は
え?葬式って仏教じゃないの?仏教とは関係ないの??
です。
いきなり、「なんだよそれ?」と疑問や疑心をいだかれた方が多いでしょう。
葬式と仏教が関係ないなんて・・・っていうか、坊さんって葬式とか法事をやる人のことでしょ?
「葬式と仏教が関係ないなら、なんで坊さんは葬式してんだよ?」と思いませんか?
お気持ちはよくわかります。ですが、もし「坊さん=葬式とか法事だけをやる人」とお考えなら、私は反対です。少なくとも、それだけが僧侶の定義(だと思っているの)であれば、ほぼ間違いです。
仏教って何でしょう?何が目的なんでしょうか?
前にも書きましたが(一言でいうのは非常に乱暴ですが、あえてわかりやすく書けば)仏教の目的は「心の平安を得る」ことです。
今度は僧侶の立場から、葬儀を見た場合。
実は、少しでも仏教の勉強をしている僧侶の中には、「教義にないから」とか「古いお経には、ブッダが葬儀を禁止していたと書いてある」(大抵は『大パリニッバーナ経』の一部分を示していわれる説。しかしこの「葬儀を禁止していた」という理解は適切ではない)として「葬儀は仏教に非ず」と思いこみ、(だから積極的に葬儀を肯定できない、ということでもある)「葬式仏教」と言われる見当違いの批判を苦々しく思っている方も多くいると思います。
(隠し立てせずに言えば、私も最近までそう思っていました。しかし、実はそんなに簡単な図式では理解できないことにも気づきました。・・・いや、別に今まで「手を抜いていた」とか「葬儀を軽く見ていた」とかでは決してないですよ。)

こうした「皆さんの意見=葬式は仏教」「僧侶の意見=葬式は仏教ではない」という真っ向から矛盾することはどうして起きるのでしょうか。
私の属している曹洞宗には「曹洞宗総合研究センター」という碩学の集団があり、ここが『葬祭 -現代的意義と課題-』という本を出しました。平成15年のことです。
この序文を書かれたのは、当時の研究センター所長 奈良康明博士で、この中に答えというか、非常に重要な一節がありました。それを引用します。
仏教は葬祭儀礼を取り上げ、信者たちのために主宰するようになったが、元来葬祭は民俗信仰としてあったものである。日本人の素朴な心情と世界観、死後観が根底にある。(中略)当然のこととして、両者の間に種々の融合、並列、重層化などの「文化変容」がおこる。本来的な仏教教義や宗学だけで儀礼を作り上げてきたわけではない。したがって(中略)仏教と民俗両方の要素が分かちがたく混融していることは当然なのであって、(中略)仏教葬祭は多種多様な諸観念や慣行が複合して成立している。(下線部は泰明による)
いかがでしょうか?
たぶん、この「民俗信仰」と「仏教教義や宗学」(”宗学”ってのは、宗派ごとの教義・学問です)との差異が、そうした矛盾する観点を生むのだと思います。
じゃあどうすればいいのか?
奈良先生の文章に「重層化」という言葉があります。ごくごくかいつまんで言えば「聖=仏教教義・宗学」と「俗=民俗信仰」という矛盾が、矛盾としてではなく、あたかも黒から白まで無限のグラデーションを描くように折り重なっている、と言えるかもしれません。
その「白黒はっきりつける」のではなく、(奈良先生が「仏教と民俗両方の要素が分かちがたく混融している」と言われるように)、「白も黒も取り入れ、織り込まれている」ことを理解することが、今までの葬儀も、そしてこれからの葬儀も改めて意味あるものに、意義あるものに、リヴァイヴしていく方策になるのではと考えています。(そして、そうした観点から、奈良先生の文章は非常に参考になります。)
なんだか、非常に抽象的な概念になってしまいましたが、これから何回も何回もこの事について、考えていきたいと思います。今日は長くなってしまったので、この辺で筆を置きます。
この記事へのコメント
深谷社長より、薦められて拝見しました。今回の内容は、葬儀社の私も大変興味があり、勉強になりました。次回のブログも楽しみにしています。
Posted by イワオ at 2011年02月01日 17:50
いつも拝見させていただいています。
私は特に昔から頭が悪く、いろんな事に
興味はあるのですがそれを理解するのに
相当の時間がかかったり、結局理解できなかったりです。
知りたかったけど何処で聞く?何処が教えてくれる?
何を聞いていいかわからない。興味あるけどわからない。
きっと私だけではないと思います。
毎日楽しみにしています。
私は特に昔から頭が悪く、いろんな事に
興味はあるのですがそれを理解するのに
相当の時間がかかったり、結局理解できなかったりです。
知りたかったけど何処で聞く?何処が教えてくれる?
何を聞いていいかわからない。興味あるけどわからない。
きっと私だけではないと思います。
毎日楽しみにしています。
Posted by お仏壇の分解クリーニング 夢助工房 at 2011年02月01日 22:04
>イワオさま
こんにちは。初めまして。コメントありがとうございます。
深谷さんのお知り合いの葬儀社さんなのですね。ご覧いただき、恐縮です。
今回のこの「これからの・・・」は僧侶から見た一方的な考えや見方(要するに”絶対葬式は必要だ!!”と上から目線で訴える)ではなく、もうすこし、多角的に、肩の力を抜いて、そしてみなさんと一緒に考えていけたらいいな、と思っています。
ですから、「葬儀社さんのホンネ」みたいな回も書いてみたいと思っています。またご意見賜れば幸甚です。これからもよろしくお願いします。
>夢助工房さま
こんにちは。コメントありがとうございます。
上記のイワオさまへのコメントにも書きましたが、「僧侶の一方的な意見」ではなく、みなさんと一緒に考えていけるようなスタンスで書きたいと思っています。
ですから、どうなるかは分かりませんが「この連載を読み終わったら、ちょっと葬式に対する見方、理解が変わったかも」と思っていただけたら、うれしいです。
私も未熟者なので、ぜひご一緒に考えていただけたらありがたいです。 合掌
こんにちは。初めまして。コメントありがとうございます。
深谷さんのお知り合いの葬儀社さんなのですね。ご覧いただき、恐縮です。
今回のこの「これからの・・・」は僧侶から見た一方的な考えや見方(要するに”絶対葬式は必要だ!!”と上から目線で訴える)ではなく、もうすこし、多角的に、肩の力を抜いて、そしてみなさんと一緒に考えていけたらいいな、と思っています。
ですから、「葬儀社さんのホンネ」みたいな回も書いてみたいと思っています。またご意見賜れば幸甚です。これからもよろしくお願いします。
>夢助工房さま
こんにちは。コメントありがとうございます。
上記のイワオさまへのコメントにも書きましたが、「僧侶の一方的な意見」ではなく、みなさんと一緒に考えていけるようなスタンスで書きたいと思っています。
ですから、どうなるかは分かりませんが「この連載を読み終わったら、ちょっと葬式に対する見方、理解が変わったかも」と思っていただけたら、うれしいです。
私も未熟者なので、ぜひご一緒に考えていただけたらありがたいです。 合掌
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年02月02日 09:37