2011年02月12日

幸せってなんだっけ?

ダイヤモンド社のビジネス情報サイト" Diamond on line "に興味を引く記事が載っていました。

日本人はもう、経済によって“幸せ”にはなれない。
群馬県の小さな村に“互いを評価し合う幸福”を学べ
――哲学者・内山節インタビュー

http://diamond.jp/articles/-/11057

ビジネス系のサイトなのに、哲学者の方がコメントされている上、”幸せ”という昨今口に出すのも憚られるような、ちょっとナイーヴで一見ビジネスと無関係に見える問題についての記事です。内容も面白かったので、以下抜粋しておきます。


――最近、若者を中心に、「将来に希望を持てない」「長生きしても仕方ない」という厭世観が募っている。長引く不況の影響もあるためか、自殺率は高止まりしている。こういった世相の背景には、どんな原因があるだろうか?

私は今の時代を、「経済が全ての人をすくい上げることができなくなった時代」と考えている。日本人の幸福度と経済成長は、実は比例していない。その背景にあるのは、一時的な不況のせいではなく、長期的に見た世界経済の変化だ。


――しかし、日本は成熟国家になったとはいえ、いまだに世界で指折りの「豊かな国」の1つに数えられている。にもかかわらず、「幸せ」を実感できない。日本人が豊かさに慣れてしまい、自分が十分幸せであることに気づけないという側面もあるのではないか?

 一口に「豊か」といっても、豊かさの認識は、世代間で大きなギャップがある。

 戦後の高度経済成長期を生きた人々は、国の成長が続く過程で、「頑張って働ければそれだけ暮らし向きがよくなる」という希望を持つことができた。終戦後にゼロからスタートし、貧しい生活を少しでもよくしたいと思って頑張り、それを実現したらさらにもう一段上の生活を求める――。かつては、そういう生き方ができた。

 しかし、今の日本は経済成長が終わり、バブルが崩壊して20年も経っている。その間に生まれた25歳以下の世代が、続々と社会に出始めている。

 彼らは、高度成長期もバブル期も知らず、就職難を味わったり、身内がリストラされた記憶しか持ち合わせていない。安定雇用が前提だった昔と違い、今や非正社員の若者が1人もいない家庭を探すことのほうが難しい。



――他者に評価されて幸福感を得るとは、具体的にどういうことか?

私が考える幸福感は、この村(泰明註:内山氏は群馬県の上野村に一年の半分を過ごす。立教大の教授)から大きな影響を受けている。この村の人々は、皆がお互いを助け合い、評価し合いながら生活している。ある意味、とても幸せなことだ。高齢者が多いこの村では、日常生活において必ず誰かの助けが必要となる。(中略)
(泰明補:村人各人が、生活に必要な、例えば薪割りや、漬物作りなど、それぞれの「技」を持っており)その能力が周囲に尊重され、周囲に貢献することで幸せを感じている。つまり、「他者を評価する仕組み」が自然に根付いているのだ。

 上野村に住む人々はそれほど裕福ではないが、こう考ればむしろ都会に住む人々よりも幸せかもしれない。

――上野村に住む人々のように、多くの日本人は今までと違う幸せのあり方に気づき始めているだろうか?

 欲望を追求することで幸せを求めた結果、いつしか他者と結びついて評価しあう幸せは壊れてしまった。それを再構築しなければいけないにもかかわらず、社会は今なお弱肉強食の状態にあり、勝ち組や負け組の格差が生まれている。そんななか、日本人は他者から評価されることの幸せに気づき、気持ちを切り換えようとしている。

 コミュニティの重要性がそこかしこで語られるようになったのは、そのためだろう。インターネットのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が良い例で、匿名性が強いツイッターから顔写真や実名入りのフェイスブックへと、より強いつながりを求めるコミュニティにブームが移りつつある。これは、「自分が求めていることは何か」を、人々がネット的に表現していると言えないだろうか。

今後は、同じ地域に住む人々や、問題意識を同じくする人々が集まり、それぞれが多種多様なコミュニティをつくる世の中になっていく。そのなかで、お互いに助け合い、評価し合う仕組みをつくっていくべきだ。逆に言えば、常日頃から人を尊重する心を持つようにしないと、コミュニティをつくることができない。


いやぁ、いいこと言うなぁ(笑)

引用ばっかりなので、ちょっとは私の個人的意見も書いときます。

「経済がすべてを救い上げられない」というのは、すでに我々の世代(バーリンホウ、と言ってもいいかも・・・笑)なら無意識のうちに気付いているんじゃないでしょうか。
ナチュラルとかオーガニックとか手作りとか、そういうフレーズが巷に溢れ出し、更にそれが多様化していた私たちのティーンエイジは、少なくともゴージャスな、とかハイソサイエティ(死語?)とかブランド崇拝のアンチテーゼだと思うし、そういう文化を潜り抜けてきたと思うので、たぶんバブル期を自覚的に知らないにしても、「お金がすべて」という意識は(もちろん、極めて大事なものなんですが)、上の世代と比べたら少しだけ薄いのかな、なんて思います。

そうした意味では、次の段にある「世代間の価値観の違い、ジェネレーションギャップ」というのは、上記のとおり尤もな見解です。

「他人に評価される=幸せ」というのはくすぐったい言い方かもしれませんが、私も非常に重要視しています。かつて、チベット仏教の最高指導者ダライラマ14世がインタビューで「(仏教が教える)他者を慈しむ心が何故大事なのかと言えば、それは人間が”社会動物”だからだ」と言っておられましたが、まさしくその通りです。

今回のインタビュー記事でも最後の方に「コミュニティの重要性」が説かれていますが、そうした背景から”失ってみて初めてわかったもの”なんだと思います。

実は、(おこがましいけど)私もかなりこの”コミュニティ”に重きをおいていて、それはこのブログを実名で始めたことや、”どすごいブログ”を選んだこともそうしたことに起因しています。だから地域ブログって、もともとそうした”新たなコミュニティ”だし、加えてもっと可能性があるし、どすごいブログで知ったこと(例えば、豊橋の「手しごと屋」さんなんて、まったくドンぴしゃなコミュニティですよね!)を機に新たなコミュニティが生まれる可能性も、そこかしこにあると思いますよ。
もっともっとこうしたブログや通信ツールが活況を帯びれば面白いんじゃないかな~なんて思っています。

ただ、逆の見方からするとこれは深い問題でですね、豊かな暮らしができて、自由な生活ができるようになっちゃったから都市生活ができた訳で、つまりそれが引き金となって、同時にコミュニティの崩壊、核家族、そして孤独死という”副産物”を産んできたのかな、とも思ったりします。どうすればいいんですかね?難しい問題です。


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Posted by 泰明@西光寺 at 12:18
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