2011年02月19日
葬式嫌いな僧侶。
お~今、朝日新聞土曜版読んでたら、良い記事を発見しました。(最近、be on Saturdayネタが多いですね・・・毎週恒例にしようかなぁ・・・ネタ考えるのも大変だし
)
『磯田道史の この人、その言葉』というコラムです。
このコラムは、歴史学者である磯田氏が、歴史上の人物の語録・言葉を紹介するというもの。
今回は・・・山本玄峰(1865~1961)の言。
「死んでから仏になるはいらぬこと この世のうちによき人となれ」
山本玄峰、その名を聞いたことありますか?多分ないでしょうね。実は、私も記憶の片隅に引っかかっていて、偶然思い出したくらい・・・汗
何で知っているかというと、敬愛する近くの住職さんと話していた時に、たまたまその住職さんが”自分が一番尊敬する僧侶”ということで、教えてくれたのでした。
私たちは曹洞宗ですが、この山本老師は確か臨済宗の僧侶です。
臨済宗や曹洞宗、そして黄檗宗(普茶料理で有名な京都の万福寺が本山です)はみんな同じ「禅宗」というカテゴリーになりまして、まぁご存知だと思いますが、禅宗の開祖は達磨大師、あのダルマさんです。
さて、そんな山本老師、かなり壮絶な生涯を歩まれたそうです。
慶応元年、紀州は湯の峰温泉に生まれ、生まれてすぐに貧困のため捨て子に。床下に放置され、その上に桶をかぶせられた。寒さで死ぬはずだったが、温泉の地熱で生きながらえ、近所の人が聞きつけ、子を欲しがって桶を開けると虫の息。焼酎を吹きかけ、ようやく息を吹き返した。学校に通えず材木を運ぶ仕事をしたが、19歳で眼病になりほとんど視力を失う。死ぬ覚悟で四国遍路へ出て、そこで1人の和尚、山本太玄に拾われる。
「私は目が見えず、字も読めず、葬式が出来ません。こんな人間でもお坊さんになれますか」というと、太玄は「親からもらった目はいつの日にか見えなくなる。しかし仏様からもらった心の眼はいったん開いたら潰れることはない」と答え、自分の名字まで名乗らせた。
この師匠と弟子の遣り取りは、ぐっとくるものがありますね。
本気で「生き」「死に」を見つめた者だけが答えられる、重い言葉です。
山本老師は葬式仏教を嫌い、”この世できちんと生きていくこと”を説かれたそう。正に禅者であります。
ヒリヒリするほど徹底した”生”へのこだわり。この白刃のような生き様は、同じ仏僧として心に留めるべきことであります。
「人間めいめいが心を修めることじゃ。心は化け物じゃから。」
仏教、とりわけ禅宗は、こうした”心の機微”に敏感であります。箒で掃いた石が飛んで行って竹に当った、その”コチン”という音で悟った僧侶もいたと言われているくらいですから。
人が生きるところ、そこに欲望は付きまといます。それを知っているから”心の言いなりになるな”、”心を修めよ”とのお示しなんですね。
ありがたい言葉です。 合掌

『磯田道史の この人、その言葉』というコラムです。
このコラムは、歴史学者である磯田氏が、歴史上の人物の語録・言葉を紹介するというもの。
今回は・・・山本玄峰(1865~1961)の言。
「死んでから仏になるはいらぬこと この世のうちによき人となれ」
山本玄峰、その名を聞いたことありますか?多分ないでしょうね。実は、私も記憶の片隅に引っかかっていて、偶然思い出したくらい・・・汗
何で知っているかというと、敬愛する近くの住職さんと話していた時に、たまたまその住職さんが”自分が一番尊敬する僧侶”ということで、教えてくれたのでした。
私たちは曹洞宗ですが、この山本老師は確か臨済宗の僧侶です。
臨済宗や曹洞宗、そして黄檗宗(普茶料理で有名な京都の万福寺が本山です)はみんな同じ「禅宗」というカテゴリーになりまして、まぁご存知だと思いますが、禅宗の開祖は達磨大師、あのダルマさんです。
さて、そんな山本老師、かなり壮絶な生涯を歩まれたそうです。
慶応元年、紀州は湯の峰温泉に生まれ、生まれてすぐに貧困のため捨て子に。床下に放置され、その上に桶をかぶせられた。寒さで死ぬはずだったが、温泉の地熱で生きながらえ、近所の人が聞きつけ、子を欲しがって桶を開けると虫の息。焼酎を吹きかけ、ようやく息を吹き返した。学校に通えず材木を運ぶ仕事をしたが、19歳で眼病になりほとんど視力を失う。死ぬ覚悟で四国遍路へ出て、そこで1人の和尚、山本太玄に拾われる。
「私は目が見えず、字も読めず、葬式が出来ません。こんな人間でもお坊さんになれますか」というと、太玄は「親からもらった目はいつの日にか見えなくなる。しかし仏様からもらった心の眼はいったん開いたら潰れることはない」と答え、自分の名字まで名乗らせた。
この師匠と弟子の遣り取りは、ぐっとくるものがありますね。
本気で「生き」「死に」を見つめた者だけが答えられる、重い言葉です。
山本老師は葬式仏教を嫌い、”この世できちんと生きていくこと”を説かれたそう。正に禅者であります。
ヒリヒリするほど徹底した”生”へのこだわり。この白刃のような生き様は、同じ仏僧として心に留めるべきことであります。
「人間めいめいが心を修めることじゃ。心は化け物じゃから。」
仏教、とりわけ禅宗は、こうした”心の機微”に敏感であります。箒で掃いた石が飛んで行って竹に当った、その”コチン”という音で悟った僧侶もいたと言われているくらいですから。
人が生きるところ、そこに欲望は付きまといます。それを知っているから”心の言いなりになるな”、”心を修めよ”とのお示しなんですね。
ありがたい言葉です。 合掌
この記事へのコメント
おはようございます。
私も「be」楽しみに読んでいます。
「法話」の題材に最適です。
和代さんのコラムも意外とヒントになってますし。
新潟はようやく春めいて来ましたよ!!
私も「be」楽しみに読んでいます。
「法話」の題材に最適です。
和代さんのコラムも意外とヒントになってますし。
新潟はようやく春めいて来ましたよ!!
Posted by 雲栄山 at 2011年02月20日 07:56
うーん、と考えさせられましたが
何をどう言っていいのか・・・
何をどう言っていいのか・・・
Posted by お仏壇の分解クリーニング 夢助工房 at 2011年02月20日 16:43
>雲栄山さん
こんばんは~。Beっておもしろいよね。
確かに法話の題材になるかも。またどんなことを話したか教えてください。
こっちはすご~く暖かいです。今日なんて13℃くらいあったもん。
>夢助工房さん
コメントありがとうございます。
ホントに考えさせられますね。今、言葉にできなくても、今、理解できなくても、節目節目でこういう生きざまを再確認したいと、私は思っています。
こんばんは~。Beっておもしろいよね。
確かに法話の題材になるかも。またどんなことを話したか教えてください。
こっちはすご~く暖かいです。今日なんて13℃くらいあったもん。
>夢助工房さん
コメントありがとうございます。
ホントに考えさせられますね。今、言葉にできなくても、今、理解できなくても、節目節目でこういう生きざまを再確認したいと、私は思っています。
Posted by 泰明@西光寺
at 2011年02月20日 18:07

1月に行った坊主バーで、後天的に盲人になった僧侶にお会いしました。読経はもちろん、法話も拝聴しました。その日が阪神・淡路大震災の日だったので、それと絡めた話をされていました。「この日にたくさんの方が亡くなりました。今でも不明の方もいます。多くの方の傷は癒えていません。それに対して私たちはどう応えるのか。どう生きるのか」を、真摯に問いかけておられました。"この世できちんと生きていくこと"があるからこそ、それは「弔い」になる、ふとそんなことを思いました。ちなみに、この僧侶Tさんは鉄道オタクでもあり、駅のプラットフォームの案内を複数バージョンにわたって真似できるという方でした(笑)。鉄っちゃんにもいろんな方がいます。
Posted by ヒソカ at 2011年02月21日 09:13
>ヒソカさん
コメントありがとうございます。
面白い鉄っちゃん、いえ、僧侶がいるんですね(笑)
言うまでもないことかもしれませんが、仏教は”生きるための教え”でもあります。しかし、どういうわけか(?)この肝要なところがあまり知られていない気がするんです(笑)
それにしても坊主バー、気になります・・・。一度お参りに、いえ、行ってみたいです。
コメントありがとうございます。
面白い鉄っちゃん、いえ、僧侶がいるんですね(笑)
言うまでもないことかもしれませんが、仏教は”生きるための教え”でもあります。しかし、どういうわけか(?)この肝要なところがあまり知られていない気がするんです(笑)
それにしても坊主バー、気になります・・・。一度お参りに、いえ、行ってみたいです。
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年02月22日 08:58