2011年06月14日
ゼロからすべてを生み出すという事
今日は気温も上がって、心地よい風が吹いていますね。
さて、昨日は「ドイツ声明公演」の打ち合わせ+会議のため、埼玉県は大宮市のお寺に行ってきました。
何度か申し上げておりますが、今月末28日(火)から10日間、ドイツへ行ってきます。
ドイツの3箇所において、曹洞宗の声明(しょうみょう、と読みます。節やメロディーのついた伝統的なお経)を披露するべく、20名の僧侶とともに法要をします。
3箇所は、ヴィッテンベルク(マルティン・ルターで有名)、シュトゥットガルト(サッカー日本代表の岡崎慎司が所属するクラブがある…昨日まで知らんかった)、それからケルンです。2つがホール、1つは教会が会場となります。
昨日は、旅程やこちらから持っていく仏具の点検、それから法要の通し練習などを行いました。
またしても写真はないですが、同会の僧侶の方が写真を撮られていましたので、一枚拝借します(笑)
(他の写真はコチラ)

(kamenoさん、お借りします。私も写っているかと思ったけど・・・不明です。一番右端かな?)
特に印象に残ったこと、2つを。
1.「ゼロからすべてを作り上げるという事」
これは、法要の事なんですが、仏具や法具をすべてこちらから持っていかなければなりません。
(実は今回、この大宮のお寺で会議をしたのは、紛失や所有者不明を極力抑えるために、このお寺一か所からほとんどの仏具をお借りすることになっているからです。)
重要なことは、当然行先は日本ではないので、”持っていくのを忘れても、手に入る・間に合うであろう”という自明視を捨てること。
それから、公演であるので、ある程度の”パフォーマンス”要素も考慮に入れなければいけないこと。
具体的に書くと、例えば木魚や鐘は持っていきますが、そうかといって、法要に使うものを何でもかんでも持っていけるかというと、積載量の問題で不可能。(そうじゃなくても大道具を合わせると60万近くの輸送費がかかるらしい・・・尤も、これはルフトハンザの全面的なご厚意により、かなりのディスカウントをしていただけるそうですが)
例えば、祭壇ひとつとっても、もし日本であるならば、持っていかずとも事前に業者に頼んで、祭壇に見えるような大道具として(机を積み上げて白いシーツで覆ってもらうというような)セットしてもらうことも可能だと思います。もちろん、予算などの問題もありますが、何より共通認識として”祭壇”がどういうものか僧侶も業者も理解できるから。
しかし、それが望めないドイツでは、こちらからある程度の形のものを持っていかなければなりません。ただし、さっき言ったように、通常我々が考えているようなサイズの祭壇は当然運べません。よしんば飛行機に載ったとしても、ドイツでトランジットもあるし、バス移動もあるからです。
加えて、法要に”パフォーマンス”的な要素を加えるという事。
これはどういう事かと申しますと、通常、日本で、例えばコンサートホールで法要を行う場合、祭壇を壇上の一番奥に配置して、ステージを本堂に見立てて行います。ですから、法要中、祭壇の仏様に向かって礼拝するとき、読経するときなどは、観客はすべて”僧侶の背中”を見ているわけです。
もちろん、日本においてはそれをやっても何ら違和感はありませんし、苦情もでないでしょう。しかし、そうした共通認識のないドイツにおいて、ドイツの方々に見ていただくにはそれでいいのだろうか、ドイツ語の解説・ナレーションが適宜入るとはいえ、美しい所作や祈りのシーンをすべて”背中”から見せていいのだろうか?、という事で、祭壇をステージの一番客席寄り中央に配置し、僧侶と観衆が対面するように法要をすることになっています。(更には、曹洞宗の儀礼は通常、ステージに向かって左右に分かれて縦に並ぶのですが、もし同じようにしてしまうと、後ろの人がまるで見えない、ということで、”ハ”の字になるように特殊な並びをして、全体が見えるようにする予定です。)
以上を勘案し、祭壇は持っていける大きさで、なおかつ観衆から何をやっているのか見える程度の大きさ(あまり大きいと、衝立みたいになってしまうから)のものを選んで、それを基準に燭台や花壺などを選んで持っていかなくてはなりません。慎重に仏具を選んでいきます。
或いは、祭壇にお花を飾りますが、仏具としての花瓶があります。ただ、その花をどうするのか、例えば、現地調達ができるのか、できたとしてどんな花でもいいのか、或いは日本式を尊重して造花を持っていくのか。
また、焼香をする炉(香炉)や線香を立てる鉢には灰が入っているのですが、これをどのようにして持っていくのか。別の袋に灰だけ入れるのも可能ですが、事前準備や後片付けの問題も出てきます。特に焼香用の香炉には炭が入っていますので、ホール内での使用が許可されているのか、法要終了後にどれほどのスピードで片づけをしなければならないか(つまり出演が我々のグループだけではない)も考慮しなければなりません。
と、まぁ器物ひとつとっても、非常に入念に考えて準備がなされたのでした。
ゼロから作り上げることは大変なことです。でも、逆にこれだけ考えて行われる法要であればこそ、その法要の意味も自ずから鮮明に、生き生きしてくるに違いありません。
(2つめは長くなってしまったので、次のログで)
さて、昨日は「ドイツ声明公演」の打ち合わせ+会議のため、埼玉県は大宮市のお寺に行ってきました。
何度か申し上げておりますが、今月末28日(火)から10日間、ドイツへ行ってきます。
ドイツの3箇所において、曹洞宗の声明(しょうみょう、と読みます。節やメロディーのついた伝統的なお経)を披露するべく、20名の僧侶とともに法要をします。
3箇所は、ヴィッテンベルク(マルティン・ルターで有名)、シュトゥットガルト(サッカー日本代表の岡崎慎司が所属するクラブがある…昨日まで知らんかった)、それからケルンです。2つがホール、1つは教会が会場となります。
昨日は、旅程やこちらから持っていく仏具の点検、それから法要の通し練習などを行いました。
またしても写真はないですが、同会の僧侶の方が写真を撮られていましたので、一枚拝借します(笑)
(他の写真はコチラ)

(kamenoさん、お借りします。私も写っているかと思ったけど・・・不明です。一番右端かな?)
特に印象に残ったこと、2つを。
1.「ゼロからすべてを作り上げるという事」
これは、法要の事なんですが、仏具や法具をすべてこちらから持っていかなければなりません。
(実は今回、この大宮のお寺で会議をしたのは、紛失や所有者不明を極力抑えるために、このお寺一か所からほとんどの仏具をお借りすることになっているからです。)
重要なことは、当然行先は日本ではないので、”持っていくのを忘れても、手に入る・間に合うであろう”という自明視を捨てること。
それから、公演であるので、ある程度の”パフォーマンス”要素も考慮に入れなければいけないこと。
具体的に書くと、例えば木魚や鐘は持っていきますが、そうかといって、法要に使うものを何でもかんでも持っていけるかというと、積載量の問題で不可能。(そうじゃなくても大道具を合わせると60万近くの輸送費がかかるらしい・・・尤も、これはルフトハンザの全面的なご厚意により、かなりのディスカウントをしていただけるそうですが)
例えば、祭壇ひとつとっても、もし日本であるならば、持っていかずとも事前に業者に頼んで、祭壇に見えるような大道具として(机を積み上げて白いシーツで覆ってもらうというような)セットしてもらうことも可能だと思います。もちろん、予算などの問題もありますが、何より共通認識として”祭壇”がどういうものか僧侶も業者も理解できるから。
しかし、それが望めないドイツでは、こちらからある程度の形のものを持っていかなければなりません。ただし、さっき言ったように、通常我々が考えているようなサイズの祭壇は当然運べません。よしんば飛行機に載ったとしても、ドイツでトランジットもあるし、バス移動もあるからです。
加えて、法要に”パフォーマンス”的な要素を加えるという事。
これはどういう事かと申しますと、通常、日本で、例えばコンサートホールで法要を行う場合、祭壇を壇上の一番奥に配置して、ステージを本堂に見立てて行います。ですから、法要中、祭壇の仏様に向かって礼拝するとき、読経するときなどは、観客はすべて”僧侶の背中”を見ているわけです。
もちろん、日本においてはそれをやっても何ら違和感はありませんし、苦情もでないでしょう。しかし、そうした共通認識のないドイツにおいて、ドイツの方々に見ていただくにはそれでいいのだろうか、ドイツ語の解説・ナレーションが適宜入るとはいえ、美しい所作や祈りのシーンをすべて”背中”から見せていいのだろうか?、という事で、祭壇をステージの一番客席寄り中央に配置し、僧侶と観衆が対面するように法要をすることになっています。(更には、曹洞宗の儀礼は通常、ステージに向かって左右に分かれて縦に並ぶのですが、もし同じようにしてしまうと、後ろの人がまるで見えない、ということで、”ハ”の字になるように特殊な並びをして、全体が見えるようにする予定です。)
以上を勘案し、祭壇は持っていける大きさで、なおかつ観衆から何をやっているのか見える程度の大きさ(あまり大きいと、衝立みたいになってしまうから)のものを選んで、それを基準に燭台や花壺などを選んで持っていかなくてはなりません。慎重に仏具を選んでいきます。
或いは、祭壇にお花を飾りますが、仏具としての花瓶があります。ただ、その花をどうするのか、例えば、現地調達ができるのか、できたとしてどんな花でもいいのか、或いは日本式を尊重して造花を持っていくのか。
また、焼香をする炉(香炉)や線香を立てる鉢には灰が入っているのですが、これをどのようにして持っていくのか。別の袋に灰だけ入れるのも可能ですが、事前準備や後片付けの問題も出てきます。特に焼香用の香炉には炭が入っていますので、ホール内での使用が許可されているのか、法要終了後にどれほどのスピードで片づけをしなければならないか(つまり出演が我々のグループだけではない)も考慮しなければなりません。
と、まぁ器物ひとつとっても、非常に入念に考えて準備がなされたのでした。
ゼロから作り上げることは大変なことです。でも、逆にこれだけ考えて行われる法要であればこそ、その法要の意味も自ずから鮮明に、生き生きしてくるに違いありません。
(2つめは長くなってしまったので、次のログで)
この記事へのコメント
お疲れ様です。
菅原師もご随喜されるのかな?
カメノさんも同行されるということは…。
菅原師もご随喜されるのかな?
カメノさんも同行されるということは…。
Posted by 雲榮山永谷寺 at 2011年06月14日 18:36
わぁ!
お坊さんがいっぱい写ってる!!
と、感動しました(笑
(こんなにいっぱいお坊さんがいっぱい集まってるのをみたことない)
一人で「おぉ!!すごっ!!」とか言って
これ絶対隣に聞こえてる←
それにしても、なんだかすごいですね。
特に、教会が会場ってところなんかは。。。
僕は去年・一昨年と、ウガンダの子供たちのコンサートの豊橋での公演に
行ったのですが、そのときのことを思い出しました。
(あんな感じなのだろうか……って。)
ドイツの人の目には仏教がどんなふうに映るのか気になります。
なんていうか、お坊さんたちの美しい所作が伝わってくれるとうれしいなぁ
なぁんて思ったりしてます(笑
あぁあ、時間とお金があったら見に行けるのになぁ…
準備は大変そうだけれど
きっとうまくいくと思います!!
お坊さんがいっぱい写ってる!!
と、感動しました(笑
(こんなにいっぱいお坊さんがいっぱい集まってるのをみたことない)
一人で「おぉ!!すごっ!!」とか言って
これ絶対隣に聞こえてる←
それにしても、なんだかすごいですね。
特に、教会が会場ってところなんかは。。。
僕は去年・一昨年と、ウガンダの子供たちのコンサートの豊橋での公演に
行ったのですが、そのときのことを思い出しました。
(あんな感じなのだろうか……って。)
ドイツの人の目には仏教がどんなふうに映るのか気になります。
なんていうか、お坊さんたちの美しい所作が伝わってくれるとうれしいなぁ
なぁんて思ったりしてます(笑
あぁあ、時間とお金があったら見に行けるのになぁ…
準備は大変そうだけれど
きっとうまくいくと思います!!
Posted by 志穏 at 2011年06月15日 00:17
教会を会場として行うのは、ヴィッテンベルク、シュトゥットガルト、ケルンのどの都市でしょうか?もしかしたらドイツに留学中の友人に案内を出せるかもしれないので。教会で行う場合は、残響がどのくらい残るかによって、声明する側も工夫する必要があるかもしれません。残響が長いと、前に出した声と後の声がぶつかってしまうことがあるのです。
道具を忘れた・ないとなったら、現地でいろいろ工夫して、場合によっては自作の仏具を作った方がいいかもしれませんね。
ネルケ無方さんのような方もいるので、ドイツ人も多少は仏教を「知って」いるかもしれませんが、声明を生で聴く機会はなかなかないでしょうね。朗々たる声明なら、祭壇や仏具がどうしたこうしたはあまり気にしないと思います。細かい準備も大切でしょうが、「ドイツで何をするのか」という本質を見失わなければ、大丈夫だと思います。
道具を忘れた・ないとなったら、現地でいろいろ工夫して、場合によっては自作の仏具を作った方がいいかもしれませんね。
ネルケ無方さんのような方もいるので、ドイツ人も多少は仏教を「知って」いるかもしれませんが、声明を生で聴く機会はなかなかないでしょうね。朗々たる声明なら、祭壇や仏具がどうしたこうしたはあまり気にしないと思います。細かい準備も大切でしょうが、「ドイツで何をするのか」という本質を見失わなければ、大丈夫だと思います。
Posted by ヒソカ at 2011年06月15日 07:52
みなさまコメントありがとうございます。
>雲栄山さま
お久しぶり!
先輩は行かれません。kamenoさんは、僕たちの声明会の先生(M老師)と旧知の仲らしいです。kamenoさんはホントにすごい方だね。文化庁の申請なんかも一手にされて、結局、通っちゃったくらいだもん。
>志穏さん
あはは~。確かにお坊さんがいっぱいいますね!
どんないきさつで教会になったのかは謎ですが、何にしろありがたいことです。
声明会の先生がいつも言われていることですが、「日常の生活すべてが表れてしまうのが、曹洞宗の法要である。その法要の時だけ”うまくやろう”としてもダメだ。」ということなので、僧侶としての暮らしぶりが露骨に出てきてしまう、ということなんでしょうね。
日々精進ですが、その精進こそが、国境を越えて人々に感動を与えられる原動力なのかもしれません。
頑張ってきます!
>ヒソカさん
教会はケルンみたいです。が、いま手元の資料によると、「ロマネスクの夏 2011 音楽祭」という音楽祭の一環で、ケルンに点在するロマネスク時代の教会が会場とされているのですが、文面からすると、複数の教会が会場となります。
ちなみに、我々は「ケルン ミュージアム シュニュッツゲン Koln Museum Schnutgen」という会場(教会?)みたいです。
3会場とも場所も違えば勝手も違うので、正直”出たとこ勝負”感が全開ですが(笑)、まぁ普段からの行を淡々と、粛々と行うのみかなぁ、という気がしています。ヒソカさんの言われる通りですね。
>雲栄山さま
お久しぶり!
先輩は行かれません。kamenoさんは、僕たちの声明会の先生(M老師)と旧知の仲らしいです。kamenoさんはホントにすごい方だね。文化庁の申請なんかも一手にされて、結局、通っちゃったくらいだもん。
>志穏さん
あはは~。確かにお坊さんがいっぱいいますね!
どんないきさつで教会になったのかは謎ですが、何にしろありがたいことです。
声明会の先生がいつも言われていることですが、「日常の生活すべてが表れてしまうのが、曹洞宗の法要である。その法要の時だけ”うまくやろう”としてもダメだ。」ということなので、僧侶としての暮らしぶりが露骨に出てきてしまう、ということなんでしょうね。
日々精進ですが、その精進こそが、国境を越えて人々に感動を与えられる原動力なのかもしれません。
頑張ってきます!
>ヒソカさん
教会はケルンみたいです。が、いま手元の資料によると、「ロマネスクの夏 2011 音楽祭」という音楽祭の一環で、ケルンに点在するロマネスク時代の教会が会場とされているのですが、文面からすると、複数の教会が会場となります。
ちなみに、我々は「ケルン ミュージアム シュニュッツゲン Koln Museum Schnutgen」という会場(教会?)みたいです。
3会場とも場所も違えば勝手も違うので、正直”出たとこ勝負”感が全開ですが(笑)、まぁ普段からの行を淡々と、粛々と行うのみかなぁ、という気がしています。ヒソカさんの言われる通りですね。
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年06月15日 09:02