2011年08月27日

宗教って、気持ち悪い??

先日、Facebookを見ていたら、「自分の親戚は●●宗の檀家なのに、知り合いがいるからという理由で葬儀は神道にした。全く、典型的な日本人だわ・・・」と、このような文章を目にしました。言うまでもなく、これは“一般的な私たち日本人”の宗教心に対する自嘲や侮蔑のニュアンスが含まれていますね。

「パートタイム宗教」という言葉、みなさんもご存じだと思います。
正月は神社へ行き、クリスマスを祝い、除夜の鐘をお寺に撞きに行く・・・こうした“節操のない”のが私たち日本人である。日本人は宗教心がないのではないか、と。

正直に言えば、私もそう思っていた時期があります。
「何で日本人はきちんと自分の宗教を言えないんだ。ちゃんと知りもしないのに、他の宗教をつまみ食いしているんじゃないか。」と、何とも恥ずかしいような、自分たちが劣っているような感情さえ抱いていました。

でも、最近、仏教の勉強をちょっとずつするようになって、実は気づいたことがあります。

それは・・・

「1つの宗教だけを信じることが“是”とされ、日本人的信仰(=パートタイム宗教)が“非”として揶揄される、その思考や判断基準はどこにあるのか?それを疑うべきでは?」

「“お盆や彼岸は、神道の行事である”とか“葬式は仏教ではない”などと言うような主張があるが、そこに宗教的な区分を一方的に押し付けて、本来の豊かな宗教性を持つ行事を、分断・断片化させているのではないか?その分析的なものの見方は果たして正しいのだろうか?」


という事柄です。2つの考えは、密接に結びついているともいえるし、別々の考え方とも言えるかもしれませんので、今日は問題提起のみにしておきまして、次回つまびらかにしていきます。


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Posted by 泰明@西光寺 at 15:15
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