2011年09月01日

あぁ、またやってしまった・・・サボり癖・・・

前回の記事を読み直していたら、なんか誤解を生みそうな文章だったので、急いで補足。

文脈を取ると、“キリスト教が他の宗教を認めない排他的な宗教である”と受け取られそうな箇所がありました。しかし、これは全く私の意図するところではないし、誤解を生むといけないので、少し補足をします。

私の拙い、ごく初歩的なキリスト教の知識でも・・・
 ・「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイによる福音書)
 ・そもそもイエス自身は、キリスト教を創始したとは考えておらず、ユダヤ教の枠組みで活動していた。
と言うのが、すぐに思い当たります。

それから、よく誤解をされているのかもしれませんが、“一神教=排他的”というのも、短絡的で間違った理解だと思います。創造主と人の契約と言う意味で、その中間にはどんな存在もない(とはいえ、天使とか聖人という存在もいますが)という点だけを見れば、ひどく排他的に見えるかもしれません。しかし、これは誤解だと思います。

付け加えるならば、たとえば、イスラム教。これも一神教というカテゴリになりますが、アッラーの教えはムハンマドだけかと言うと、実はそうではないようで、クルアーン(コーラン)にはアブラハム、モーゼ、イエスなどの名前が出てきます。
それに、中東では、キリスト教各派をはじめ、ユダヤ教、ゾロアスター教など多数の宗教が共存してきた歴史があるそうです。

ここから考えると、“一神教=排他的”なわけでもないし、“キリスト教=排他的”なわけでもありません。

今回、私の指し示していたキリスト教とは、具体的に言えば、カール大帝がヨーロッパを統治するための手段としてキリスト教を用い、それを基盤にして作り上げた社会が欧州である、という点においての、“キリスト教”であり、“社会・文化”です。言うなれば、すべての慣習・法律・社会の枠組みの基礎が“キリスト教”であり、その上に積み上げられてきたのが“ヨーロッパの文化”だ、ということです。

ですから、もちろん、門外漢なのでこれ以上は踏み込めませんし、私の考えがまるで違っているという可能性もあります。私が見えているのは、“教学的な”というより、歴史的文化的な側面から見た意見ですので。


同じカテゴリー(仏教のこと)の記事画像
『未来の住職塾』を終えて(後編:覚悟)
今日は坊さんの「クリスマス」?!
『未来の住職塾』を終えて(中編:京都・東京あじくらべ)
『未来の住職塾』を終えて(前編:感想)
え~?!!これってホントに●●料理なの?
その「祈り」に意味はあるのか?
同じカテゴリー(仏教のこと)の記事
 『未来の住職塾』を終えて(後編:覚悟) (2013-04-13 17:02)
 今日は坊さんの「クリスマス」?! (2013-04-08 14:53)
 『未来の住職塾』を終えて(中編:京都・東京あじくらべ) (2013-03-28 19:37)
 『未来の住職塾』を終えて(前編:感想) (2013-03-26 12:24)
 え~?!!これってホントに●●料理なの? (2013-03-22 11:25)
 その「祈り」に意味はあるのか? (2013-03-15 18:23)

Posted by 泰明@西光寺 at 22:22
Comments(2)仏教のこと
この記事へのコメント
先月下旬からの一連のブログをがとても興味深く、

機会がありましたらまたお話を聞かせて頂きたいと思っています、、


という事で足跡を残させて頂きます。。
Posted by 青蛉返 at 2011年09月02日 11:40
>青蛉返さま

ご無沙汰しております!

有り難いコメントを頂戴し、恐縮です。
浅学の身なので、果たしてご満足いただけますか不安なところではありますが・・・。またどうぞよろしくお願いします。

またお会いしたいですね★
Posted by 泰明@西光寺泰明@西光寺 at 2011年09月02日 21:59
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。