2012年01月14日
革命的『未来の住職塾』 -前編-
今日からセンター試験なんですね。どうりで朝豊橋駅にたくさん人がいた訳だ・・・。受験生のみなさんがんばってください!!
さて、前回記事の通り、昨夜は東京へ『未来の住職塾』セミナーに参加してきました。今朝、無事に帰ってきました。
さて、このセミナー、感想を一言で言うと・・・
どおもしろかった!(三河弁)
これは、MBAホルダーの2人の若手僧侶による(二人とも三十代前半)、超宗派の僧侶が対象のセミナー。内容は、タイトルの通り、“未来の”住職としてのスキルやロジックを学ぶというもの。
さすがMBAホルダーだけあって、ドラッカーやコトラーとか普通に資料に出てきます。そうしたマネジメント理論とはどういうものかといったサマリー、概論と、それらをお寺にどう活かすか、或いはどう対比しているのか、というのが主な内容でした。
書きたいことが山ほどあるのですが、自分の中でもう少し消化(吟味・熟考)したいということと、書き出すと止まらなくなりそうなので、ポイントをまとめて書いてみたいと思います。
1.予想に反して
最初にスクリーンで説明されたことが、「住職の本分」ということ。
そこには、金子大栄の『住職学』に示された、3本の柱が掲げられていました。
即ち、「教化」「学問」「仏祖崇敬」・・・つまり、「檀家さんに接して教えを説くこと」「仏教の勉強をすること」「仏や偉大な僧侶を敬い、自らの信仰心を涵養すること」です。
もう何度も、くどいくらい言ってきた、私が思う「僧侶の本分」と合致していました。やっぱりそうなんだ、と内心頷くも、同時に“あれ?”と思うことも。
というのは、(これも前回の記事に書きましたが)
「豊橋で過ごす時間が経つにつれ「豊橋の実存」と言うべきか、豊橋には豊橋なりの、西光寺には西光寺なりの、それに適したやり方があるはずで、何でもかんでも先端的なものが良いわけではない、と感じるようになりました。」という風に書いたのですが、これは私が勝手に“今回のセミナーは、もっととんがっている”、つまり、今の仏教を否定するような、もしくは否定まではしないけれど、全く違う価値観を提示してくるのだと思い込んでいたからです。
でも、実際、全く違った。これは私の勘違いでした。
きちんと僧侶の在り方(本分)を辨えてらっしゃってのことだったのです。
むしろ、続くドラッカーのマーケティングや組織論という説明は、結局の所、“温故”であり、決して現況の否定ではなかった。あのような理論(”知新”)を通して、現在の仏教の有り様を描いて見せた所は、素晴らしい取り組みだと思いました。
“温故”と書きましたが、このセミナーでは、今までお寺や仏教において、顧みられなかったこと、当たり前でだれも考えもしなかったことを(たとえば、檀家との関係や、棚経という行為、供養といった項目を)ドラッカーなどのマネジメント理論を駆使して、新たな光を当て、違うものの見方・価値を浮き彫りにしたと言うことです。
そう言う面では、逆に「自らを知る、どういうものか考える」「お寺について深く考え、客観的に見る」という行為を否応なくする訳で、それを通して、逆に“古きに学ぶ”ことも多かった。
これは目から鱗でした。

(あ!!!!ポイントのみ、って書いたのに、結構な文章量に・・・ので、あとの2点については、また次の記事にします。ちなみに、上の変な写真は、会場。携帯で撮ったので、全然上手く写っていないですが、会場は本堂なのです。左側はスクリーン)
さて、前回記事の通り、昨夜は東京へ『未来の住職塾』セミナーに参加してきました。今朝、無事に帰ってきました。
さて、このセミナー、感想を一言で言うと・・・
どおもしろかった!(三河弁)
これは、MBAホルダーの2人の若手僧侶による(二人とも三十代前半)、超宗派の僧侶が対象のセミナー。内容は、タイトルの通り、“未来の”住職としてのスキルやロジックを学ぶというもの。
さすがMBAホルダーだけあって、ドラッカーやコトラーとか普通に資料に出てきます。そうしたマネジメント理論とはどういうものかといったサマリー、概論と、それらをお寺にどう活かすか、或いはどう対比しているのか、というのが主な内容でした。
書きたいことが山ほどあるのですが、自分の中でもう少し消化(吟味・熟考)したいということと、書き出すと止まらなくなりそうなので、ポイントをまとめて書いてみたいと思います。
1.予想に反して
最初にスクリーンで説明されたことが、「住職の本分」ということ。
そこには、金子大栄の『住職学』に示された、3本の柱が掲げられていました。
即ち、「教化」「学問」「仏祖崇敬」・・・つまり、「檀家さんに接して教えを説くこと」「仏教の勉強をすること」「仏や偉大な僧侶を敬い、自らの信仰心を涵養すること」です。
もう何度も、くどいくらい言ってきた、私が思う「僧侶の本分」と合致していました。やっぱりそうなんだ、と内心頷くも、同時に“あれ?”と思うことも。
というのは、(これも前回の記事に書きましたが)
「豊橋で過ごす時間が経つにつれ「豊橋の実存」と言うべきか、豊橋には豊橋なりの、西光寺には西光寺なりの、それに適したやり方があるはずで、何でもかんでも先端的なものが良いわけではない、と感じるようになりました。」という風に書いたのですが、これは私が勝手に“今回のセミナーは、もっととんがっている”、つまり、今の仏教を否定するような、もしくは否定まではしないけれど、全く違う価値観を提示してくるのだと思い込んでいたからです。
でも、実際、全く違った。これは私の勘違いでした。
きちんと僧侶の在り方(本分)を辨えてらっしゃってのことだったのです。
むしろ、続くドラッカーのマーケティングや組織論という説明は、結局の所、“温故”であり、決して現況の否定ではなかった。あのような理論(”知新”)を通して、現在の仏教の有り様を描いて見せた所は、素晴らしい取り組みだと思いました。
“温故”と書きましたが、このセミナーでは、今までお寺や仏教において、顧みられなかったこと、当たり前でだれも考えもしなかったことを(たとえば、檀家との関係や、棚経という行為、供養といった項目を)ドラッカーなどのマネジメント理論を駆使して、新たな光を当て、違うものの見方・価値を浮き彫りにしたと言うことです。
そう言う面では、逆に「自らを知る、どういうものか考える」「お寺について深く考え、客観的に見る」という行為を否応なくする訳で、それを通して、逆に“古きに学ぶ”ことも多かった。
これは目から鱗でした。

(あ!!!!ポイントのみ、って書いたのに、結構な文章量に・・・ので、あとの2点については、また次の記事にします。ちなみに、上の変な写真は、会場。携帯で撮ったので、全然上手く写っていないですが、会場は本堂なのです。左側はスクリーン)