2012年03月30日
奈良東大寺の大仏はどうして造られたのか?
同じく『曹洞禅グラフ』にあったインタビュー。奈良国立博物館学芸部長の西山 厚氏へのインタビューです。
「東大寺の大仏は何故作られたのか?」
このあと、聖武天皇の生い立ちや時代背景、大仏建立の物語が語られているのですが、ここでは触れません。(それはそれで面白いのです)
私が大切だと思えるのは、引用した最後の文。アンダーラインを引いた箇所です。
全く話は変わりますが、曹洞宗に限らず、広く読まれているお経に『妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈』というのがあります。一言で言えば、観音様の無限のお力を信じ、そしてその広大無辺な慈悲の力を、詩で賛嘆し綴るもの、と言えましょう。

当初、このお経の意味をちょっと調べているとき、あまりにも非科学的な、それこそSF的な挿話(例えば・・・火が燃えさかる抗に突き落とされそうになったとき、観音様のお力を念じると、たちまち火は消え、水となり池となって助かる・・・とか)に、バカバカしさというか、変な気持ちになったのを覚えています。
仏教は生き方を教えてくれるものではないのか、もっと哲学的で、もっと実践的なことがお経には書いてないのか、とそのときは思ったものです。
が、しかし、その後学びを進めるにつれ、或いは信仰というものをおぼろげながら考えるとき、この考えは、ひどく偏狭な物に思えてきました。
この経典が設立した時代、そして中国に将来された過程。翻訳され、どれほどの人々の信仰を集め、安寧を与えてきたのか・・・きっと現代人は想像もつかないほどの労苦と、信仰心に裏打ちされた驚異的な実行力があり、数々の弾圧もあったでしょう。そして、そうした状況で、必死で安寧を祈り、読誦し書写し、後世に伝えてきた人々の事を思うとき、“現代の”目でしか見られない自分の判断というのは、ひどく滑稽なものに思えてきました。
何より大切なのは、こうした非科学的なことを馬鹿にする自分は、“合理的で科学的な”ものだ、そして古くからの信仰や風習を“役に立たない物”と思い込む、その愚かさに気付いたことでした。
そんな“自分”など、苦労を知らず、絶望を味わったことがなく、“宗教など非科学的な価値のないもの”と思っている。だがしかし、そんな“自分”でさえ、ものすごく脆くて、危なっかしい自己なのだということに気がついたからです。
以来、このお経はマイフェイバリット(笑)になっていますが、歴史に限らず、こうした思いを読み取り、自らのものとして思いを馳せると言うことが、どれほど大切なことなのか、気付かされたのでした。
「東大寺の大仏は何故作られたのか?」
聖武天皇が何故、大仏を作られたのか、それを正確に知る人は少ないのではないか?
例えば、学校の試験なら「聖武天皇は仏教の力で国を守り、みなを幸せにしようと考え、大仏を作った」と答えれば、多分100点をくれるだろう。しかし、本当のところはそうではない。
「大仏造立の詔」にそれがある。そこには「万代の副業を修めて、動植ことごとく栄えむとす」、つまり、すべての動植物が共に栄える世の中を作りたい、これが大仏造立を決意した理由である。
通常、動物も植物も共に栄える世界などあり得ないという理由で、研究者はその部分をとばしてしまう。しかし、それではおかしい。聖武天皇の思いに近づくべき。
大仏を作るのは、未曾有の大事業。であればこそ、莫大な労力とお金がかかる。それなのに、天皇はおかしなことを言う。“大きな力で作るな。たくさんの富で造るな。一本の草・一握りの土を持ってやって来て大仏造営を手伝いたいという人があれば、その人に手伝って貰いなさい”と。
なぜ、こんな役にも立たないような小さな力で、あの大仏を立てられたのか。何を考えていたのか。聖武天皇がどうして、そのような気持ちを抱くに至ったか、これをかんがえるのが大事。それなしに結論を急ぐのは、歴史上の出来事なんか、所詮は他人事だからでしょう。
このあと、聖武天皇の生い立ちや時代背景、大仏建立の物語が語られているのですが、ここでは触れません。(それはそれで面白いのです)
私が大切だと思えるのは、引用した最後の文。アンダーラインを引いた箇所です。
全く話は変わりますが、曹洞宗に限らず、広く読まれているお経に『妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈』というのがあります。一言で言えば、観音様の無限のお力を信じ、そしてその広大無辺な慈悲の力を、詩で賛嘆し綴るもの、と言えましょう。

当初、このお経の意味をちょっと調べているとき、あまりにも非科学的な、それこそSF的な挿話(例えば・・・火が燃えさかる抗に突き落とされそうになったとき、観音様のお力を念じると、たちまち火は消え、水となり池となって助かる・・・とか)に、バカバカしさというか、変な気持ちになったのを覚えています。
仏教は生き方を教えてくれるものではないのか、もっと哲学的で、もっと実践的なことがお経には書いてないのか、とそのときは思ったものです。
が、しかし、その後学びを進めるにつれ、或いは信仰というものをおぼろげながら考えるとき、この考えは、ひどく偏狭な物に思えてきました。
この経典が設立した時代、そして中国に将来された過程。翻訳され、どれほどの人々の信仰を集め、安寧を与えてきたのか・・・きっと現代人は想像もつかないほどの労苦と、信仰心に裏打ちされた驚異的な実行力があり、数々の弾圧もあったでしょう。そして、そうした状況で、必死で安寧を祈り、読誦し書写し、後世に伝えてきた人々の事を思うとき、“現代の”目でしか見られない自分の判断というのは、ひどく滑稽なものに思えてきました。
何より大切なのは、こうした非科学的なことを馬鹿にする自分は、“合理的で科学的な”ものだ、そして古くからの信仰や風習を“役に立たない物”と思い込む、その愚かさに気付いたことでした。
そんな“自分”など、苦労を知らず、絶望を味わったことがなく、“宗教など非科学的な価値のないもの”と思っている。だがしかし、そんな“自分”でさえ、ものすごく脆くて、危なっかしい自己なのだということに気がついたからです。
以来、このお経はマイフェイバリット(笑)になっていますが、歴史に限らず、こうした思いを読み取り、自らのものとして思いを馳せると言うことが、どれほど大切なことなのか、気付かされたのでした。
この記事へのコメント
全部汚い
Posted by なめこ at 2012年08月23日 22:18