2012年07月15日
伝えたいことがあるんだ。
*今日は幾分しのぎやすいですね。三連休のかたは楽しんでいらっしゃるでしょうか?さて、明日はいよいよ泰明主催の坐禅会です。昨夜から、レジュメを超!真剣に作ってます。*
ここんところ、檀家さまにお送りするお盆の案内状制作にかかりきりだ。
自分の文才の無さが恨めしい。
今までは、というか、ホントにここ数年前まで、西光寺が檀家さまにお送りする手紙は、春秋のお彼岸や、お盆の法要案内だけだった。寺報もない。もちろん、それをどうこういう気は毛頭無いし、それだって大変だ。かつては、手書きで何百という宛名を書いていたわけだし、文面もガリ版刷り(←って分かる?)
それが(僕が小さい時分に)パソコンを導入し、宛名はラベル印刷に。ドット印刷だったからキーカタカタ、という甲高い声が、いつも寺務所からしたもんだった。
それでも、封入物は手で折り、のり付けも勿論自分たちでしていた。今から考えると、途方もない作業だったが、それしかないのだから仕方がない。
繰り返すが、本当に、ここ数年までそんな感じ。で、今は”宛名や文面データを印刷会社に送信>封入までの全ての作業をしてくれる”というオートメーション化(?)に頼り切り。
その時に、はじめて、気がついた。(慣習、疑うことを知らないというのは恐ろしい)
他にも情報を載せよう、と。
今更のエクスキューズではないが、今まで皆無だった訳ではない。新聞の切り抜きや、お寺や住職に関する情報を法要の案内と共に入れていた。でも、本当に”伝えたいこと”はあったのか?我が身から出る言葉を紡いできたのだろうか?仏教の教えを、伝えたい!と切に思ったことはあったのだろうか?
・・・愕然とした。そうだ、ほとんどない。
そんなわけで、最近、護持会の活動や、お寺に関するあれこれ(豆知識など)を載せている。が、しかし、ここでも問題が。
伝えたい、知って欲しいとは思うのだが、前述の通り文才が無い。加えて、分かりやすいだけでいいのだろうか、と言う疑問も首をもたげる。わかりやすすぎると、かえって何も残らない。記憶にも。それ以上に、意味するところが曖昧で粗雑になり、ひいては誤謬を生む温床となる。しかし、専門用語をちりばめた、上から目線の物言いはしたくない。
そんなおり、先週、「布教師講習会」という会があった。実は私も布教師というお役を拝命したので、その研修会だ。
その時は、人権学習と、「典令(=ようするに法要の司会・解説のことですね)について」であった。
人権学習はさておき、典令について、大きなヒントをいただいた。
それは「復唱的解説」というもの。
簡単にいえばこんなかんじ。
「・・・導師さま、ご住職様が上殿されます。本堂にお上がりになられます。
導師さんが焼香された後、三拝いたします。五体投地のお拝を3度されます・・・」
ここで、「導師」「上殿」「三拝」というタームが出てくる。しかし、すぐに言葉を継いで、平易な解説をしている。なるほど~これなら、専門用語も残しつつ、さりとて専門用語を解さない方への配慮もできる。
では何故、専門用語を”残さないといけない”のか?だって、それは仏教のエレメントだからですよ。分かりやすければ何でもいいなんて、そんな人を馬鹿にしたことができますか。
話を明日の坐禅会にうつす。
前ログでアナウンスしたとおり、明日夕刻から坐禅会をします。
今回は明確に7人限定であること、できれば20~40代の方へ(そして所謂”宗教のしの字も知らないし、別にそんなのなくたって生きていけるよ”という、ごく一般的な方)参加して欲しい旨を明記した。果たせるかな、今回ご参加頂く方は、おおむねそのようだ。
坐禅会のレジュメは、世代も考慮し、多面的な説明、文化的な面にも触れた。
当たり前だが、坐禅とは?禅とは?というあたりから、世界的に広がりを見せる、Zen的な世界、文化面にも少し触れる。
専門外なので、さわりだけだが・・・特に、ビートニク(ビートジェネレーション)やその後のヒッピームーブメント、patagoniaのイヴォン・シュイナードや、最近では超有名なスティーブ・ジョブズの事などを記してみた。
果たしてどうなるでしょうか?
お楽しみに★
ここんところ、檀家さまにお送りするお盆の案内状制作にかかりきりだ。
自分の文才の無さが恨めしい。
今までは、というか、ホントにここ数年前まで、西光寺が檀家さまにお送りする手紙は、春秋のお彼岸や、お盆の法要案内だけだった。寺報もない。もちろん、それをどうこういう気は毛頭無いし、それだって大変だ。かつては、手書きで何百という宛名を書いていたわけだし、文面もガリ版刷り(←って分かる?)
それが(僕が小さい時分に)パソコンを導入し、宛名はラベル印刷に。ドット印刷だったからキーカタカタ、という甲高い声が、いつも寺務所からしたもんだった。
それでも、封入物は手で折り、のり付けも勿論自分たちでしていた。今から考えると、途方もない作業だったが、それしかないのだから仕方がない。
繰り返すが、本当に、ここ数年までそんな感じ。で、今は”宛名や文面データを印刷会社に送信>封入までの全ての作業をしてくれる”というオートメーション化(?)に頼り切り。
その時に、はじめて、気がついた。(慣習、疑うことを知らないというのは恐ろしい)
他にも情報を載せよう、と。
今更のエクスキューズではないが、今まで皆無だった訳ではない。新聞の切り抜きや、お寺や住職に関する情報を法要の案内と共に入れていた。でも、本当に”伝えたいこと”はあったのか?我が身から出る言葉を紡いできたのだろうか?仏教の教えを、伝えたい!と切に思ったことはあったのだろうか?
・・・愕然とした。そうだ、ほとんどない。
そんなわけで、最近、護持会の活動や、お寺に関するあれこれ(豆知識など)を載せている。が、しかし、ここでも問題が。
伝えたい、知って欲しいとは思うのだが、前述の通り文才が無い。加えて、分かりやすいだけでいいのだろうか、と言う疑問も首をもたげる。わかりやすすぎると、かえって何も残らない。記憶にも。それ以上に、意味するところが曖昧で粗雑になり、ひいては誤謬を生む温床となる。しかし、専門用語をちりばめた、上から目線の物言いはしたくない。
そんなおり、先週、「布教師講習会」という会があった。実は私も布教師というお役を拝命したので、その研修会だ。
その時は、人権学習と、「典令(=ようするに法要の司会・解説のことですね)について」であった。
人権学習はさておき、典令について、大きなヒントをいただいた。
それは「復唱的解説」というもの。
簡単にいえばこんなかんじ。
「・・・導師さま、ご住職様が上殿されます。本堂にお上がりになられます。
導師さんが焼香された後、三拝いたします。五体投地のお拝を3度されます・・・」
ここで、「導師」「上殿」「三拝」というタームが出てくる。しかし、すぐに言葉を継いで、平易な解説をしている。なるほど~これなら、専門用語も残しつつ、さりとて専門用語を解さない方への配慮もできる。
では何故、専門用語を”残さないといけない”のか?だって、それは仏教のエレメントだからですよ。分かりやすければ何でもいいなんて、そんな人を馬鹿にしたことができますか。
話を明日の坐禅会にうつす。
前ログでアナウンスしたとおり、明日夕刻から坐禅会をします。
今回は明確に7人限定であること、できれば20~40代の方へ(そして所謂”宗教のしの字も知らないし、別にそんなのなくたって生きていけるよ”という、ごく一般的な方)参加して欲しい旨を明記した。果たせるかな、今回ご参加頂く方は、おおむねそのようだ。
坐禅会のレジュメは、世代も考慮し、多面的な説明、文化的な面にも触れた。
当たり前だが、坐禅とは?禅とは?というあたりから、世界的に広がりを見せる、Zen的な世界、文化面にも少し触れる。
専門外なので、さわりだけだが・・・特に、ビートニク(ビートジェネレーション)やその後のヒッピームーブメント、patagoniaのイヴォン・シュイナードや、最近では超有名なスティーブ・ジョブズの事などを記してみた。
果たしてどうなるでしょうか?
お楽しみに★
この記事へのコメント
最近、往年の宝塚スターの訃報が相次いでいますが、御母堂様にお悔やみを申し上げておいて下さい。
Posted by 古志山人 at 2012年09月01日 20:11
ご丁寧にありがとうございます。母にも伝えておきます。合掌
Posted by 泰明@西光寺 at 2012年09月12日 10:01