2011年02月24日

仏教Q&A お寺について

みなさまからのご質問に不肖泰明がお答えしていくコーナーです。今日は3つのご質問にお答えします。

<質問>
*修行について*
インドやチベットのお坊さんを時々テレビでみると、「むっちゃ日々修行してる!!」と感じるのですがどうも日本のお坊さんにはそんな雰囲気がないです。 実際はどうなんですか? 


<答え>
これは・・・答えに窮しますね(笑)というのも、インドやチベットのお坊さんがどんな生活をしているのか、私は見聞きしたわけではないからです。だから比較のしようがないんですよね・・・。

日本の僧侶が修行していないように見える、とのことですが、これは結構複雑な問題です。
というのは、意図的にであれ、無意識的にであれ、テレビが放送する映像は”編集”というマジックによって、いか様にでもコントロールできるからです。つまり、みなさんが”日本の坊主は堕落していて、他国の僧侶は立派だ”と思われたとき、どうしてそんな風に思われるのか、その原因を疑ってみる必要があると思うのです。(もっとも、私も「堕落側」だよなぁ・・・反省face07

閑話休題。
加えて比較の仕様がないのは、日本のお寺とチベットや他国のお寺だと、存在意義(他国では一定期間のみ出家を体験するシステム)も、経営システム(日本のお寺は大抵、寺壇制度をベースに住職とごく少数の家族で経営されている)も、修業期間もお寺の在り方(宗教法人法とか所謂、国法)も、およそすべて違うと思うからです。

それに、日本のお寺、と一口に言っても、私がいる西光寺のような、お檀家さまの布施収入を基盤とした普通のお寺から、観光寺(文化財を多く擁し、観光収入が基盤)、土地がふんだんにあるお寺(檀家さんが数件でも、土地からの収入が莫大なお寺)、祈祷寺(ご祈祷での収入が基盤)、或いは修行道場(永平寺とか)では、在り方がまるで違います。

そうしたことから、”一般の方から求められる事が異なっている”ために、一様に論じることができないのです。極端に言えば、修行が厳しいということは、逆に言ったら”一般の方と接点をなくしてもいい”という態度に陥ることもあるでしょうし、うがった見方をすれば「(厳しい)修行を見世物にする」ことに他ならないのです。

ちなみに・・・私もいた永平寺の修行生活はNHKで何度も放送されているのでご存じと思いますが、それをご覧になると、簡単に「インドやチベットの方が厳しい」とは言えなくなると思いますよ(笑)


それから、これも補足ですが、たぶんインドには本来の仏教の修行僧はほぼいないはずです。
ほぼ、と言ったのは、正確にカウントできないことと、歴史的に見て1200年初頭にイスラムの攻撃を受けて、インド最後の仏教僧院が破壊され、仏教がインドにおいては潰えたからです。ただ、僧院が破壊されたからといって、信者すべてが殺されたわけではなさそうですので、その後はよく分かりません。(後代の中国僧がインドに行ったとき、まだ寺院らしきものがあったとかなかったとか)

インド(というか仏教聖地)にあるお寺のほとんどが日本などの他国から援助を受けて設立された寺院ばかりと聞きます。ただ、日本人でも一人インドで仏教を復興させようとご尽力されている方がいらっしゃるという話も聞いたことがあります。(確か佐々木氏、だったか、桜井氏だったか・・・うろ覚えですみません)

ちょっと手元に資料がないので、正確な記述ができませんでしたが、僧侶の方でお気づきになった点がありましたら、どうぞご指摘ください。


ついでに・・・これは完全に余談ですが、私は過去スリランカに2度行ったことがあります。キャンディという古都(日本で言うなら京都、ちなみに世界遺産)に「仏歯寺」という、そのものズバリ、ブッダの歯を祀るお寺があります。
その中にお参りに行ったとき、歯を祀る黄金の厨子の両脇にいたスリランカの僧侶が、私の顔を見るなり第一声、「Donation!」と手をだしてきました。言うまでもなく、これは「寄付」という意味で、せっかくお参りして心がきれいになるかと思いきや、この僧侶のおかげでゲンナリなってしまいました(笑)

参考までに申しますと、この歯を祀る厨子の前に、厳重にはめ込まれた防弾ガラスがあります。ご存知かとは思いますが、タミル人との内戦などもあり、こうした仏教遺跡が次々と破壊されてきた経緯があるのです。この防弾ガラスを寄付された方こそ、時の曹洞宗大本山永平寺住職 丹羽廉芳禅師であります。何でも厚さ10cm以上あるんだそうで、故禅師様のおかげで、安心してお参りできました。ありがたいことです。



<質問>
*お寺の名前*
よくお寺の名前の前に○○山と書いてあるのですがあの山って実在するの? また何の意味があるんですか?海じゃだめなの?


<答え>

これは非常にいい質問です。
答えは、”本来は実在した山”です。もともとは中国で、山中に建てられたお寺を、○○山××寺というように呼んだことに由来します。ですから、中国などでは、まず山の名前があって、そこに建てたから、その名前使ったようです。

しかし、後代には平地に建てても、その伝統に倣って●●山と山号(さんごう)を付けました。
(ですから、実際に山がなくても付けるし、またあったとしても改称したりしています。永平寺なんかも改称しています)

 中国禅宗系の思想を汲んだお寺が、中国のその風習を真似したので、日本の禅宗系ではほとんどのお寺に「●●山」とついています。でも、逆に山号がないお寺もあります。飛鳥奈良の頃に建立されたお寺がそうです。この時代はまだ日本に”禅宗”という概念がなかったと思われます。

ちなみに、西光寺の山号は「日東山」(にっとうざん)です。



<質問>
*お寺の名前*
 ○○院ってお寺と○○寺ってお寺の名前についてです。 どっちがエライとかあるんですか?


<答え>
どちらがエライとかはないと思います。
辞書的な意味だと、”寺”は「一般には蘭若・精舎などの建造物の総称」、”院”は「垣で囲んだ屋舎。広義には区画を有する建物の意で、官庁や学者の居所をいう」(共に『禅学大辞典』)とあります。

歴史的に言えば、”寺”より”院”の方が新しく使われた言葉のようです。

ただ、『寺院』の項に「寺と院と分けていえば、寺は本寺、院は本寺に付属する坊・塔頭・寺内などをいう」とありますので、本来的には”寺”が本社だとしたら”院”は子会社(?)なのかもしれませんが、現在ではどちらがエライというような区別はできないと思います。

まぁ簡単に言えば、”いつの時代も必ず親会社の方が、子会社より売り上げが大きい”、とは言い切れませんよね。子会社の業績が目覚ましく、それが故に親会社が存続できる、みたいなことは往々にしてあるわけでして。それと同じです。まして、仏教の歴史は会社とはくらべものにならないほどの長さを持っているので、当然お寺ごとの栄枯盛衰はあったと思います。(西光寺も創建時代からすると、異常に住職の数が少ない=住職がいなくて廃寺同然の時代があったはずです)

だから現在ではどちらがエライってことはないのです。


素晴らしいご質問をありがとうございました。 合掌



タグ :豊橋お寺

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Posted by 泰明@西光寺 at 14:26
Comments(2)仏教 Q&A
この記事へのコメント
いろいろと勉強になります。
僕ももっと小原僧侶を困らせるような
質問を考えます。
Posted by お仏壇の分解クリーニング 夢助工房 at 2011年02月24日 16:11
>夢助工房さん

昨日は遅くまで本当にありがとうございました。
楽しい時間を過ごさせていただきました。

あんまり困らせないでくださいね(笑)
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年02月25日 09:51
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