2011年04月27日
永平寺と青年僧侶
昨夜、無事に福井県の永平寺より戻ってまいりました。
今日はそのことについて書こうと思っていたのですが・・・お弔いが続いていて、書けそうにありません。それプラス、私は車の運転がとても苦手なのに、2日間で500km近く運転していたおかげで(しかも、とてもエライ坊さんを乗せて)緊張と疲労でフラフラしてます
またゆっくりと書きます。
でも、ひとつだけ。
永平寺、やはり素晴らしいところでした。
さて別件。
前に書いたボランティアの件ですが、曹洞宗の青年会で福島県へ現在、炊き出しのボランティアに行っている方がいます。
その内の一人は何と!新城市議にして、どすごいブロガー&そしてもちろん曹洞宗の僧侶
師のブログがその状況・様子を子細に述べられていて、とても為になるので、勝手にリンク・転載します(行敬さん、帰ってきたら連絡しますね)
http://alternative.dosugoi.net/e174971.html
(↑全文)
******一部抜粋(転載)******
福島県と宮城県において、市内の様子を見聞きしました。
避難所の方たちの傾聴活動や炊き出しに関わらせていただき、地元の新聞を読んだり、地元ラジオを聴く中で思ったことがあります。
住民が自らの手で一刻も早く自らの町を立ち直らせ復興しようとする志の強さは、外から見ているだけでは分らないほど強く放射能や余震と戦い続けている姿にこちらが逆に教えられることが多いように思います。
被災者の受け入れ問題は他の自治体の課題事項であり続けるのかもしれませんが、それよりも何よりも、自分達の地元でなくなった方たちを供養して、再び、ふるさとを元気にしたいという住民の方たちの思いに同調していくことの方がずっと大切だと感じるようになりました。
心無いメディアや独善的なNPOに心を傷つけられてきたのか、スタッフや避難所の方たちも最初は複雑な顔をされます。それでも、ちゃんとこちらが態度や姿勢、行動で誠意を示せば言葉をかけてくださったり、御礼を言いにわざわざ体育館の外まで来て下さいます。
曹洞宗の青年僧は、修行道場で一回は、心理的極限状態を経験しているため、平常時にはそれほど目立たなくても、有事の際の動き方については、すでに体にプログラミングされたものがあります。
今回、もっとも難しいと感じたのが、行茶ボランティア。お茶やお菓子を進めながら御檀家さんと話をするように何気ない話から入って、被災された方たちが話す言葉に耳を傾ける傾聴活動。
誰もが心のそこに深い傷を負っており、この心が負うストレスのガス抜きのお手伝いをします。
********************
最後の2節は、本当にそうだな、と思わされます。
永平寺などの修行道場では、徹底的に所作・身体行為を教え込まれます。何も思わなくても体が動く。そしてどんな時でもそれができるのは、ある意味、こういう時こそ発揮されるのかもしれませんね。ついでに、置かれている環境も普通ではないですから、みなさんの想像以上に”芯に身についているもの”があるのかもしれません。
行茶ボランティアも、難しいとは思います。でも、これができるという事は、それだけ日常、僧侶が檀家さんとのコミュニケーションを取れているからこそ、場所が違っても、平生と同じようにそれができるのかもしれませんね。(もちろん、僧侶だけ、と言っているのではないですよ。)
それでは、また明日!
今日はそのことについて書こうと思っていたのですが・・・お弔いが続いていて、書けそうにありません。それプラス、私は車の運転がとても苦手なのに、2日間で500km近く運転していたおかげで(しかも、とてもエライ坊さんを乗せて)緊張と疲労でフラフラしてます

でも、ひとつだけ。
永平寺、やはり素晴らしいところでした。
さて別件。
前に書いたボランティアの件ですが、曹洞宗の青年会で福島県へ現在、炊き出しのボランティアに行っている方がいます。
その内の一人は何と!新城市議にして、どすごいブロガー&そしてもちろん曹洞宗の僧侶

師のブログがその状況・様子を子細に述べられていて、とても為になるので、勝手にリンク・転載します(行敬さん、帰ってきたら連絡しますね)
http://alternative.dosugoi.net/e174971.html
(↑全文)
******一部抜粋(転載)******
福島県と宮城県において、市内の様子を見聞きしました。
避難所の方たちの傾聴活動や炊き出しに関わらせていただき、地元の新聞を読んだり、地元ラジオを聴く中で思ったことがあります。
住民が自らの手で一刻も早く自らの町を立ち直らせ復興しようとする志の強さは、外から見ているだけでは分らないほど強く放射能や余震と戦い続けている姿にこちらが逆に教えられることが多いように思います。
被災者の受け入れ問題は他の自治体の課題事項であり続けるのかもしれませんが、それよりも何よりも、自分達の地元でなくなった方たちを供養して、再び、ふるさとを元気にしたいという住民の方たちの思いに同調していくことの方がずっと大切だと感じるようになりました。
心無いメディアや独善的なNPOに心を傷つけられてきたのか、スタッフや避難所の方たちも最初は複雑な顔をされます。それでも、ちゃんとこちらが態度や姿勢、行動で誠意を示せば言葉をかけてくださったり、御礼を言いにわざわざ体育館の外まで来て下さいます。
曹洞宗の青年僧は、修行道場で一回は、心理的極限状態を経験しているため、平常時にはそれほど目立たなくても、有事の際の動き方については、すでに体にプログラミングされたものがあります。
今回、もっとも難しいと感じたのが、行茶ボランティア。お茶やお菓子を進めながら御檀家さんと話をするように何気ない話から入って、被災された方たちが話す言葉に耳を傾ける傾聴活動。
誰もが心のそこに深い傷を負っており、この心が負うストレスのガス抜きのお手伝いをします。
********************
最後の2節は、本当にそうだな、と思わされます。
永平寺などの修行道場では、徹底的に所作・身体行為を教え込まれます。何も思わなくても体が動く。そしてどんな時でもそれができるのは、ある意味、こういう時こそ発揮されるのかもしれませんね。ついでに、置かれている環境も普通ではないですから、みなさんの想像以上に”芯に身についているもの”があるのかもしれません。
行茶ボランティアも、難しいとは思います。でも、これができるという事は、それだけ日常、僧侶が檀家さんとのコミュニケーションを取れているからこそ、場所が違っても、平生と同じようにそれができるのかもしれませんね。(もちろん、僧侶だけ、と言っているのではないですよ。)
それでは、また明日!
この記事へのコメント
こんにちは。
おつかれのなか、素晴らしい記事をUPしていただいたことに感謝いたします。
>心無いメディアや独善的なNPOに心を傷つけられてきたのか、スタッフや避難所の方たちも最初は複雑な顔をされます。
悲しい現実ですね。
でも、おっしゃるとおり、最後の2節に救われます。
できうる限りの支援を、それぞれが継続していくことを願い、誓いたいと思います。
おつかれのなか、素晴らしい記事をUPしていただいたことに感謝いたします。
>心無いメディアや独善的なNPOに心を傷つけられてきたのか、スタッフや避難所の方たちも最初は複雑な顔をされます。
悲しい現実ですね。
でも、おっしゃるとおり、最後の2節に救われます。
できうる限りの支援を、それぞれが継続していくことを願い、誓いたいと思います。
Posted by i.u.建築企画 at 2011年04月27日 15:43
>i.u.建築企画さま
コメントありがとうございます。
本当にそうですね、やはり、”できることを、できるだけ”するのが肝要なのだと思います。
今回のような大震災では、”継続”というのが非常に重要なキーになってきそうですね。特に日本人は古来より「水に流す」といった過去の事をきれいに忘れてしまう民俗性があるので、今回はそれが裏目にでなければいいが、と思っていたりします。
そういう意味で、仏教の〇回忌や、それだけではなく神道などの〇〇祭という”節目を大事にし、振り返る”という宗教行為は、実は意味あることだと感じています。
コメントありがとうございます。
本当にそうですね、やはり、”できることを、できるだけ”するのが肝要なのだと思います。
今回のような大震災では、”継続”というのが非常に重要なキーになってきそうですね。特に日本人は古来より「水に流す」といった過去の事をきれいに忘れてしまう民俗性があるので、今回はそれが裏目にでなければいいが、と思っていたりします。
そういう意味で、仏教の〇回忌や、それだけではなく神道などの〇〇祭という”節目を大事にし、振り返る”という宗教行為は、実は意味あることだと感じています。
Posted by 泰明@西光寺
at 2011年04月28日 08:31
