2011年05月05日

アンパンマンの哲学

先日の拙記事『ビンラディンとアメリカとダンマパダ』には私の想像を超えて、多くのコメントをいただいた。誠にありがたいことである。

と、同事に、みなさんの今回の事件に対する関心の小さからぬことを改めて知り、正直、少し驚いてもいる。

別に私は何でもかんでも「仏教」や「宗教」にこじつけて記事を書いているつもりも毛頭ないのだが、それでも、身に沁みついている考え方のようなものもあるのだろうか。

特に、イデオロギーが宗教と結びつきやすいこと、或いは権力の行使に宗教を利用する、と言った方が的確かもしれないが、(tenjin師も言われてましたが、”戦争の背景は宗教だ”というのは、いささか浅薄で誤った認識だそうです)そうした事柄にたいし、或る意味「傍観者」である私たち日本人が、アメリカの諸業や、ビンラディンの死や、これから起こりうる報復行為に対し、危惧し恐れ、思うことの大きさを知り得たし、また考えるべきであろうとも思う。

一体、世界宗教と呼ばれる宗教は、根底には「殺すなかれ」「良いことをしろ。悪いことはするな」と教えているはずである。この場合、何をって善悪を判断するのか、とかそうした哲学・教学的な問題はさておいても、宗教が一人間に、如何なる影響・行動・倫理を与えることができるのか、宗教者の端くれとして、悩まないことはない。

勿論、かつて南師も『語る禅僧』の中で、旧知の政治運動家に「で、おたくは結局、餓えた子供の前で坐禅できるわけ?」と聞かれて、その時は答えに窮したというが、宗教の限界というのも(こんなことは教えてもらったことはないですが)宗教者自身、考える問題だと思う。

逆に、(これは金子牧師に教えていただいたのだが、)アンパンマンの作者、やなせたかし氏の言われる通り「日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと」とは蓋し名言。そこに宗教性は必要ではないのかもしれないが、正義とは何か、善とは何かを考える契機にはなるはずである。

別件だが、先の阪神大震災の折、キリスト教の神父さんや牧師さん、或いは仏教の僧侶が多く被災地へボランティアへ行ったが、山折哲雄氏は「そこに宗教者の姿はなかった」と言っている。つまり、そうした宗教者は「ボランティアへ行っているが、やっていることは他のボランティアと一緒」と見做され、「宗教者として、イエス・キリストやブッダの言葉を広め、語りかけていた者は皆無であった」と述べ、最終的に「日本の宗教はすでに機能していない」と結論付けていた。(『さまよえる日本宗教』より)

私はこれに相当な違和感を覚える。誰だって被災して食べるもの、着るものと言った生活を確保すべき時に、「ブッダはこう言われた」と言える僧侶がいるだろうか。いるとしたら甚だ勘違いと言わざるを得ない。しかし、だからと言って、言わなかった僧侶は「宗教者」ではないのか?ただ一緒にいて、ともに涙を流し、ともに作業をする、それも宗教者の在り方ではないか。

話が転々として恐縮だが、実際的な生活・思想・ライフスタイルと宗教との関係は、重要な問題であるし、私も浅学ながらこれからも考えていきたいことである。

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Posted by 泰明@西光寺 at 16:50
Comments(6)仏教のこと
この記事へのコメント
はじめまして、makeです。

久しぶりに家族でお墓参りに行き、お賽銭箱の前に貼ってあったチラシを見てこのブログを知りました^^

日本の宗教は機能してない、少なくとも私はそんなことはないと思います。

私はこのお寺に来て拝むことで、ご先祖様のことを思い出して、自らの襟を正す気持ちになります。善悪や仏教の教えと言う話とはちょっと違うかもしれませんが、このなんとも言えない感じは、宗教の、仏教の…お寺の力なんじゃないかなーとじんわり感じました^^

宗教が機能して「いない」、機能して「いる」って、どんな状態をさしているのでしょうね?(・x・)
Posted by make at 2011年05月05日 17:17
ああ、それは山折氏がおかしいよ。なんていうのかな、それは宗教者の実際を知らない学者の言う言葉だよね。イエスやブッダならそこでどうするのか。それを知らない。また、実際の日本人の宗教的な感情を知ってるくせにそういう発言って、ちょっとどうかと思うよね
Posted by kanegon at 2011年05月05日 17:21
こんばんは。
今日まで母が実家から僕のアパートに来てくれてたので
ブログのコメントはできなかったけど、
しっかり読ませてもらってました★


「正義とはなにか」とか「善とはなにか」ということについては
僕のなかでは一つのテーマです。
数ヶ月前、
大学の二次試験の対策のために高校に行ったときには、
空いた時間に担任の先生と「正義とはなにか」ということを
軽く討論しては、先生を困らせてました。


考え方はひとそれぞれだから
山折氏の考え方もアリなのかもしれないけれど
僕は納得も共感もできません。
僕は宗教者に対して
「布教をする人」ではなくって
「あらゆる人の不安や恐怖をぬぐい去る人」
とか
「本当のボランティア精神を持ち合わせている人」
というイメージがあるので
被災地に行ってまで、「宗教者」として、
どこかの神様や仏様のおっしゃったことを広めている人を見たら、
むしろ幻滅します。

「ただ一緒にいて、ともに涙を流し、ともに作業をする」
ってことをしてくれたら、「宗教者」としても、一般のボランティアとしても
じゅうぶんなんだと思います!
それだけやってもまだ、人々の心に、なにかがもの足りない時、
ひょっこり取り出すものが、「宗教者」にとっては、
「誰かの名言」ではなく、「どこかの神様や仏様のおっしゃったこと」
なんだろうと僕は思います。
Posted by 志穏 at 2011年05月05日 20:42
>makeさま

こんにちは。はじめまして。コメントありがとうございます。
お檀家様ですか?誠に有り難いことです。

私にとって、何よりうれしいコメントをいただきました。

そうですね。makeさんが西光寺に来られるたび、ご先祖様の事を思い、敬うことは素晴らしいことだと思います。それに、そうしたことを口にできる(=コメントしてくださった)こともまた大変に有り難く、まさしくこれが”宗教”の有難味なんだと思います。

宗教が「機能」する、しない、というのは一概に言えない難しい判断ですが、少なくとも、「自らの襟を正す気持ち」を抱かれるのは、「機能している」と申せましょう。自ら立ち止まり、人生を振り返る、そうした機能が宗教にはあるからです。

そうした宗教に関することって、何やら今の風潮では”取るに足らないもの”と受け取られがちですが、こんな未曾有の震災が起きてしまったことや、それによって原発の問題が横たわっていること、また実際に被災者の方々の生活を考えると、実は私たち人間にとって、宗教とは切実な問題なんだと気づかされます。

それにしても、チラシもご覧いただいて恐縮です(笑)

こんなブログですが、一応、毎日ボチボチ更新しようと思っていますので、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
Posted by 泰明@西光寺泰明@西光寺 at 2011年05月06日 09:28
>Kanegon師

コメントありがとうございます。

「宗教者の実際を知らない学者の言う言葉」、確かにそう思います。宗教学者って一体なんだろう?と思いましたもん(笑)

イエスやブッダならそこでどうするか、というのはステキなフレーズですね!確かに、私たちは聖典や仏典の解釈、教学も大事ですが、その自らの身をもって宗教性を体現するのが大事ですね!
Posted by 泰明@西光寺泰明@西光寺 at 2011年05月06日 09:34
>志穏さん

コメントありがとうございます!
大学1年生でいらっしゃうるのですね。それにしても大学生で、こんな風に考えてらっしゃるのは素晴らしいと思います。我が学生生活を振り替えるに、恥ずかしい思いしかできません(笑)

さて、「正義とは何か」。とても難しく面白いテーマだと思います。今簡単に答えは(もちろん)出せませんが、たぶん、それを一生考え続けることが、一つの答えなんだろうと思います。


志穏さんがコメントくださったとおり、私も”「布教をする人」ではなくって「あらゆる人の不安や恐怖をぬぐい去る人」
とか「本当のボランティア精神を持ち合わせている人」
というイメージ”を持っています。

それが、実際にブッダやイエスの言葉、或いは生涯をたどって、自分の人生も歩めたらいいな、と思っています。

加えて、今回の記事では、「宗教が人間にとって善悪などの行動基準・思想基盤としてどれほど影響するのか」ということを、私(宗教者の端くれ)として考えていきたい、ということを書きました。

難しい問題ですが、これもまた、「正義」の話と同じように、考え続けていくことだと思います。答えが出た瞬間には、次の問題が出てくるようなものだと思いますから(笑)でも、考えるのをやめてはいけないような気もしています。

これからも一緒に考えていきましょう!
Posted by 泰明@西光寺泰明@西光寺 at 2011年05月06日 09:44
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