2011年06月22日

役員会

昨日、一昨日はかなり長い時間パソコンの前に張り付いていました。一昨夕に、西光寺護持会の役員会があり、その為に資料を作り、終わった翌朝から議事録を作ったり、書類に修正をかけたり、更にお初盆の方にお出しする資料なども同時進行で作っていたので・・・肩こりました(笑)

護持会(ごじかい)というのは、聞きなれない言葉かもしれませんね。これは、お寺の全檀家さんと住職(含む副住職など他の僧侶)で構成される会で、文字の通り、”お寺を護り、保持していく”為の会です。当然ながら会長は檀信徒から選出され、役員さんも同様です。

(*通常、「総代さん」と呼ばれる方は、この役員さんたちを指している場合が多い気がします。もちろん、例外はあります。「総代」は俗称であって、絶対的な肩書ではないので、地方によっては別の呼び方をすることもあるからです)

さて、今この現代を生きる我々にとって、「お寺」と聞くと、「住職のモノ」と考えがちです。
しかし、実際に宗教法人法などでも、或いは宗制(しゅうせい、と読みます。曹洞宗内の規定)などの条文を読んでも、そんなもんどこにもありません。

逆に聞きたいのですが、その会社の社長が個人の所有物として”会社”を所有しているのでしょうか?まぁ、そんなところもあるのかもしれませんが、つまりお寺も宗教法人、即ち”法人格を有している”以上、同じことです。

それから別の角度で見ます。お寺とは、当然仏教の”教えや礼拝の拠点”であるべきで、とすれば、僧侶が日々精進し、或いは弟子を育成する、”教義と宗教的教育の施設”でもあります。その一環として法事や葬儀などの宗教儀礼もあるわけで、それは伝わってきて、これからも伝えていくからこそ、過去にも現在にも、たぶん未来にもそれが綿々と続けられるわけです。逆に言えば、ここを止めてしまうと、僧侶はただの”お寺管理者”になるわけで、別に僧侶じゃなくたって構わないのです。もちろん、そうなれば”お寺”とは言えないのは明らかです。

また違う観点からすると、お寺という建物がある以上、それは物質的な”建造物”であるわけで、当然ながら自然災害や経年劣化などで、増改築や場合によっては新築することもあります。
 これはお寺をファシリティーとして扱っているもので、逆に言えばその福利を被るのも、住職個人だけ(←こう考えたがる人が多い)ではなく、そのお寺の檀家さんやお寺参りにくる方、お寺を利用する地域の方も同様に利益を受けることになりますし、そうあるべきだと私は思っています。

簡単に言えば、みなさんがお年忌で待合室に使ってもらったり、地域・自治会などの会合や、お寺の行事で炊き出しができるのが福利であり、その時に気持ちよく利用できるのは、ひとえに檀家さんを中心として”お寺というファシリティー”を絶えず整備・保守してくださるからです。

で、結局、護持会と言うのは”宗教施設としてのお寺”と”ファシリティーとしてのお寺”を檀家さんと僧侶と一緒になって守り続けていきましょうよ、という会です。大事なのは、お寺=住職の所有物と考えないことです。

このような間違った先入観を捨てきれないと、もし、では新しい住職が入ったら、それこそ新住職のやりようによっては、今まで保持していた何もかもをぶち壊して、或いは変えてしまうのが可能になってしまいますし、そうであってみれば、住職の我儘に振り回されて損害を被るのは檀家さん自身です。

だからこその「みんな」なのです。僧俗あわせて「お寺」を守り続けるのです。
そこで安心して、初めて「ご先祖」も大事にできるんでしょうし、お寺=住職の所有物ではなく、さりとて、一部総代たちの利権の食い物にされるのでもなく(意外かもしれませんが、実際、こういうお寺はあります)、檀家さんみんなが、それぞれの”拠り所=お寺”となるべく物心両面にわたって信仰を捧げることができるのです。

役員会
(↑会議前のセッティング)

だいぶ長くなってしまって、本題に入れませんでしたが(笑)、今回は長時間でしたが、中身のある、よい会議でした。今年度から護持会長さんが交代され、前任会長もそうだけど、また今回の新会長さんも素晴らしいお方なので、共に手を取りあいお寺を守っていきたいと思います。私は未熟者の世間知らずですが、どうかこれをお読みのお檀家様も、ご支援・ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

タグ :護持会お寺

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Posted by 泰明@西光寺 at 06:47
Comments(5)お寺のこと
この記事へのコメント
よく お寺さんで落語を聴きますが
それある意味福利ですね
Posted by イッシーイッシー at 2011年06月23日 05:27
読んでいて、「お寺」を教会に、「住職」を牧師・神父や教会生活の長い信徒と読み替えても意味は通じると強く感じました。

 宗教法人法が出たので便乗しますが、教会もこれに則って法人格を有しています、代表役員と責任役員を置いています(これをご理解していない人が結構いて、時々、信徒間で話の通じないことがあります)。教会堂は牧師の所有物ではないですし、教会の福利を受ける人も牧師だけではありません。

>福利を気持ちよく利用できるのは、ひとえに檀家さんを中心として”お寺と
>いうファシリティー”を絶えず整備・保守してくださるからです
 そうなのです。教会の場合は信徒ですが、いろいろな方が見えないところで整備・保守をしてくださっているからこそ、教会のいろいろなところは動くのですし、福利を利用できるのです。決して自動で与えられるわけではない。

>住職の我儘に振り回されて損害を被るのは檀家さん自身
 お寺でもこういう事例はあるんですね。
Posted by ヒソカ at 2011年06月23日 09:29
>イッシーさま

コメントありがとうございます。
そうですね。仰る通り、「落語を聞くことのできる施設」であることが福利になります。それは檀家さんや住職限定ではない、というところが大事なところです。



>ヒソカさん

問題の根は深いですね・・・(笑)

そうですか、キリスト教会でも同様な問題はあるんですね。

恥ずかしながら、私は自分が住職をするまで、宗教法人法や責任役員(代表役員)などの単語や意味を知りませんでした(汗)

まぁ、確かにひとかどの住職でなければ、知る由もないのですが、むしろ、ヒソカさんがきちんとそれらの事に関してご存じなのにびっくりしました(笑)

やはり宗教法人法などにもあるとおり、責任役員会議は、宗教法人の”俗”なる面、そしてそれとは別のサイドで宗教者が司る”聖”なる面があることを正しく理解することは、当たり前ですが基本です。

ですが、その基本が通じない。まぁ確かに我々日本人が日本人であるために法律を読むということがないが如く、同じことかもしれませんね(涙)
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年06月23日 10:10
私の場合は、うちの教会に3人いる責任役員とたまたま個人的に親しいのと、責任役員の役割を学ばざるを得ない状況が教会で発生したので、ちょっと調べたのです。法律の文章を読むこと自体は平気でしたから。
 
 "俗"なる面がきっちり整備されているからこそ、"聖"の面が機能できるのですが、どうもそこんところを理解している信徒が(うちの教会を観察する限り)教会には少ないような気がします。聖と俗というのは、分離させてはダメなんです。当たり前といえば当たり前ですね。

 基本が通じないんです。とほほ。
Posted by ヒソカ at 2011年06月23日 11:04
>ヒソカさん

遅くなってごめんなしゃい(涙)

前に檀家さんに言われたのは「やっぱり、わしたちの世代だと、普通はお寺を”会社”としては見られないんだよ。だから護持会みたいな”檀家主導”というのは一部の檀家には嫌がられる」ということです。

やっぱり、こういう先入観ってあるんですね。”坊主や牧師さんの言う事が絶対だ”みたいな(笑)

宗教法人法は絶対でも永遠でもないけれど、そのルールがないと今の日本の社会の一部としての宗教施設が機能できなくなる、という考えを持ってくれると楽なんですが・・・。

ヒソカさん、うちの責任役員になって欲しいくらいだわ(笑)
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年06月25日 11:37
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