2011年08月29日

続・気持ち悪い(?!)

前回のつづきです

「1つの宗教だけを信じることが“是”とされ、日本人的信仰(=パートタイム宗教)が“非”として揶揄される、その思考や判断基準はどこにあるのか?それを疑うべきでは?」

これ、実は私も長い間「一つの宗教を信仰することが正しいこと」だと思っていました。実際、お檀家さんの家にお参りに行くと、稀に見たこともないような形の仏具や祭壇(多分、立正佼成会とか霊友会ではないかと思います)を目にすることもあります。
こう言ってはなんですが、ちょっと気持ち悪いような、西光寺をなおざりにされているような(笑)変な気持ちがしたものです。

でも、冒頭に戻りますが、この「一つの宗教を信じること=正しいこと」という認識は、何を基準にしているのでしょうか?それは本当に“常識”なのでしょうか?

答えの中で、ぱっと思いつきそうなのが、“欧米的な見方・基準”ではないか、ということです。

明治維新や敗戦後の統治などを起因として、キリスト教を中心にした欧米の文化・思想が日本に流入し、しかも、その文化・思想の背景には“キリスト教”が除かれた状態で定着しているということ。それが上記の認識に繋がっているのではないか。

ちょっと理解するのは難しいかもしれませんが、日本が西洋文化や、すでに日本化していると思っている文化の中心にはまぎれもなく“キリスト教”という偉大な宗教があります。しかし、その事に気が付いている方は意外に少ないのではないかと思います。

例えば、日本人で知らない人はいないであろう『平家物語』の冒頭は「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」ですよね。“祇園精舎”って何か習いましたよね。ブッダが安居(場所を留めて修行をした)されたところです。“諸行無常”も仏教的なフレーズです。それらの単語がほとんど“日本文化”として定着しているほどに、仏教が日本と言う風土に根を張っている証拠なのでしょう。

同じように、ヨーロッパの文化・思想も、2つと切り離せないほど、キリスト教と密着し両者が影響を与え合っている(どちらかと言えば、キリスト教→ヨーロッパ文化 という図式か?)のだと思います。(このあたりのことは、阿部謹也と言う方の著作に詳しいです。)

では、日本的な「宗教」って何か?を考えたいと思います。


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Posted by 泰明@西光寺 at 18:19
Comments(6)仏教のこと
この記事へのコメント
初コメさせていただきます。野外フェスが好きで、ライジング、apbank、サマソニ、イナズマなどを見たりしてます。記事を読んでいてとても共感でき面白いと思います。マニアック的なとことか。でもブログの規則に宗教及び思想的な事は禁止事項になっているみたいですがよい?
Posted by いいの? at 2011年08月29日 18:55
>いいの?さま

こんばんは。コメントありがとうございます!野外フェスがお好きなんですね。私もあの開放的で、自然をダイレクトに感じられる雰囲気が大好きです。

さて、ご指摘ありがとうございます。

私がお借りしている「どすごいブログ」の利用規約を読みましたが、どこにもそのような文言(およびそのように取ることのできる文章)を発見できませんでした。もしご存知でしたら、そのURLなどお教えいただけますか?

どすごいブログの運営局様にご迷惑をおかけするわけにはいきませんし、もし禁止事項ならブログの引っ越しも考えますので・・・。どうぞよろしくお願いします。
Posted by 泰明@西光寺泰明@西光寺 at 2011年08月29日 22:54
宗教・・・新興宗教と呼ばれる宗教の信者さんや
創価学会の学会員さんたちは信仰心って強いですよね。

豊橋から見て田舎と呼ばれる地域の人、そこの仏教徒さん
たちも信仰心は強いと思います。

何でですかね? 日常生活で宗教との接点が多い。ただそれだけ
のような気がします。 ちょっと宗教の話をしただけで気持ちワルがられます・・・

私たちの生活に日頃、宗教がないからこのような感じになる
のではないでしょうか? 外国人からしたらこれだけ宗教に
関心の無い人のほうが気持ち悪いと思うのですが・・・

ただ私が思うに今の宗教者は一般の人との接点を葬儀のみに
依存している。そう感じます。そのあたりどう思いますか?

全ての宗教者がってわけではないですが思い当たることは
あるのではと思います。

もうちょっと布教活動してもいいのではないでしょうか?

以前書いた瞬間にある人からクレームのお電話をいただいた
記事があります。 タイトルは「寺院控え室での会話」です。

会話の内容があまりにも怒れたのでサクッと書いたら
ガツンと怒られました・・・^^

それでは話がそれてしまいましたがこの辺で^^
Posted by 家族葬専門葬儀社あおい葬祭 深谷憲弘 at 2011年09月05日 15:52
>深谷様

コメントありがとうございます!大変興味深い内容で、これだけで記事にできそうな、深い話題であります。

さて、新興宗教の信者さんの方が信仰心が強く見えるのはその通りだと思います。

何故、田舎の方や新興宗教の信者さんの方が信仰心が強く見えるのか、それはちょっと簡単には答えられないと思います。

というのは、まず所謂田舎の場合、都市部に比べて生活スタイルや親族との関係、それから娯楽施設などを含めた環境が異なるからです。だから直葬なども「都市→田舎」というルートで浸透します。これは何も信仰心がどうとかという問題だけではありません。(簡単に言えば、娯楽施設がない→お寺がその役割を果たしてきた、というだけでも、田舎と都市とのお寺の在り方が異なるからです)

新興宗教の信者さんが熱心なのは、ちょっと書けない理由がありますので(笑)、またお会いした時に。

「外国人からしたら日本人は宗教に関心がない」・・・これは難しい問題ですが、一言でいえば、現在の宗教学では「”日本人が宗教に無関心”というのは迷信に近い、要するにデマみたいなもの」らしいです。

結局、外国と日本の”宗教”という言葉の意味・重みが違うために、そう見えるだけで、そもそも神社のお祭りをテレビで放送したり、一般の新聞に掲載すること自体”宗教行為”だと考えるのが宗教学的には普通です。

でも、それを日本人はだれも”宗教行為”だとは考えていない。そこに一つのキーがあるそうです。(ちょうど今アップしている記事は、まさにこのことを考えています)

「今の宗教者は一般の人との接点を葬儀のみに依存している」これは、西光寺だけに限って言えば、イエスです。本当に残念なことですが。
ただ、それを変えていこうと思い、今年は総代会を復活させたり、永平寺旅行を企画したり(11月)、「生きる仏教」の為に活動しています。

もちろん、一般人から見れば「まだまだ」でしょうし、私もこれが初めの一歩だと思っています。ホントに西光寺は全然ダメなんです、その点に関しては・・・(涙)

またお会いしたいです★
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年09月06日 09:01
一歩!!

その一歩を踏み出した泰明様はホントに
スゴイ和尚様だと思います。 尊敬します!!

本日も2件の直葬と1件の家族葬の依頼をうけています。

直葬のお客様には葬儀の意味と素晴らしさを日々
お伝えしているのですがなかなか難しいですね^^

その話はまた今度ゆっくりとお話しますね^^
Posted by 家族葬専門葬儀社あおい葬祭 深谷憲弘 at 2011年09月06日 11:03
>深谷様

ありがとうございます!!
お褒めの言葉を賜り、有り難く思います。

でも、本当にまだ何もやっていないに等しいです。一歩一歩、地味ではありますが、まずはいろんなことを通して、檀家さんとの信頼関係を築きたいと思います。

これからもよろしくお願いいたします。
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年09月07日 16:06
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