2011年09月03日

凄い風だ・・・

(前回のつづき・・・)

何だか突き放した言い方ですが、急に結論になります。

パートタイム宗教は、別に今に始まったことじゃないんです。おそらくは、物凄く様々な要因(自然風土や地理的要因、支配体制、文化、言語に至るまで)があって、多分、近世日本的なものなんだと思います。

尾藤正英によれば、「神道と仏教、およびそれに民俗宗教を加えた三者が、日本における伝統的宗教を代表するものと一般にみなされているが、その三者は、単純に併存しているのではなく、相互に影響し合い、あるいは補完し合う関係をなすことにより、伝統的社会の中で生活する人々にとって、まさに生きた宗教として機能することができていたのであろう」とあります。

ほとんどこの文に答えが収束されますね。
複合的に補完し合う、これが日本宗教の大きな特徴なのかもしれません。であればこそ、逆に“生きた宗教として機能することができた”わけです。

他の宗教に寛容だから、それは時として“なまぬるい”と感じるかもしれません。
でも、それでいいんじゃないかと思えます。

自分自身振り返ると、初詣は西光寺に隣接した神明社に行くし、(それは自分と西光寺の土地神と思っているので)、初宮参りも隣の神明社と、妻の実家の近くの石巻神社にも行きました。(ちなみに、道元禅師も白山の神様を信仰していたはず。永平寺を建てるときも、神官とみられる方を呼び、地鎮祭的なことをしたとか)

勿論、何でも良いとか、適当に掻い摘んで、という意味ではありません。しかし、何事もすべて現代の考え・物の見方が正しい、という思い込みは一度捨てるべきかもしれませんね。だってそれがすべてじゃないし、現代の考えというのも一種のバイアスですから。(基本的にここに気が付かないと、全く理解が進まない)
だから、真剣に歴史を見つめ、先人たちの生活に思いを馳せる、というか。およそ日本仏教を批判したがる人は、その観点が抜け落ちているかに見えますが・・・。

もしそうでなければ、なぜ昔の日本人が既に“パートタイム宗教的”な、例えば、神仏習合が存在していたりとか、権現という存在を祀っていたりとかが永久に理解できないでしょう。

(もういっちょ)

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Posted by 泰明@西光寺 at 19:01
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