2012年03月08日
葬式はどうして高いのか?
こんばんは。またまた間が空いてしまいました。(檀家様へ・・・春彼岸のご案内では、大変失礼致しました。改めてお詫び申し上げます。)
さて、先週からやたらといろんな事が起きていて、懸案事項がいくつか。詳細は書けませんが、4月中には全て片づく予定です。いつも言い訳ばかりですが、どうしてもブログは後回しになってしまう。それにやるべき事というより、考えるべき事が多いときは、どうしてもブログはおろそかにしがち。
とりあえず、何か記事になることはないか、とあれこれ思いめぐらせているのですが、これまたありそうでない。「あ、これ記事にしよう」とその時は思っても鶏頭の泰明はすぐに忘れてしまうのです。ので、ちょっと気になる文章から。
仏教企画通信、というタブロイド判の紙面があります。名前の通り、主に曹洞宗系の仏教者や学者が寄稿したり、インタビュー記事が掲載されているものなのですが、そこに書いてあった文。
**************
檀家制度の目的の一つは、幕府が統治のために、人を家単位で土地に縛り付けようとしたことにあります。今の寺檀崩壊の原因は、核家族化によって家の概念がなくなった時、個人宗教への転換ができなかったからです。
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異論や反発もありましょうが、まず大凡において、私は賛成です。事実、現代でも良きにつけ悪しきにつけ、この制度が(形骸化されているとはいえ)続いている。良きにつけ・・・と書いたのは、個人主義が跋扈するこの現代世界においても、みなさんが気づいていないだけで、少しは家制度が良い面もあると思うのです。
それは差し置いても・・・私は、極論からすると、早く“個人会員”と“家会員”を基調とするハイブリッド型檀家制度を構築してみたい。そうしたお寺で、お寺を運営して行けたらいいな、と思っています。
もう一つ付け加えると、何故キチンと個人会員、家会員という名目(檀家、ではなく)にしたいかと言えば、最終的には会費制に近い形で、住職やそのほか従業員の給与や、本堂・客殿と言った施設に関わる修営繕費、或いは曹洞宗に納める宗費などをまかない、それら収支を公開して運営できれば、という目的もあるのです。
その為には、個人・家関わらず、会員(檀家)それぞれが“西光寺の会員(檀家)である。曹洞宗を、仏教を信仰している”という自覚を持っていただきたいと思うからです。その為の「会員」という名目です。
で、これをすることのメリットは、一言で言えば、「葬式は何故高いか?」の答えになるからです。
前にも書きましたが、お寺の維持・管理費(固定費)というのは、実際のところかなり高いと思います。これは住職が高給取りだからではなく(何回も書きますが、曹洞宗の僧侶の平均年収は350万円です。サラリーマン全体より85万円ほど少ない)、施設自体にお金がかかるから。考えても見てください。お墓参りにくる方は、本堂にお賽銭を上げなければタダです。でも、桶に水を汲んでいきますよね。その水道代ってお寺が出している訳です。花を捨てたら、個人のゴミとは見なされないので、その処分代もかかってきます。
実はこの高額の固定費をまかなっているのが、葬儀の布施なんです。逆に言えば、固定費をちゃんと年会費でまかなえれば、葬儀なんてタダ同然、それこそ「お気持ちで」の世界で済むわけです。ちなみに、西光寺は護持会費3000円(年額)ですが、この金額では純然たる管理費にするにはほど遠い額です。これはほとんど全てのお寺も同様かと思います。(ある地方都市の小規模寺院の場合、管理費でまかなおうとすると、一軒6万円にもなる、という試算も聞いたことがある)
この後にも結構興味深い文章が続きますが、今日はこの辺で。また書きます。
さて、先週からやたらといろんな事が起きていて、懸案事項がいくつか。詳細は書けませんが、4月中には全て片づく予定です。いつも言い訳ばかりですが、どうしてもブログは後回しになってしまう。それにやるべき事というより、考えるべき事が多いときは、どうしてもブログはおろそかにしがち。
とりあえず、何か記事になることはないか、とあれこれ思いめぐらせているのですが、これまたありそうでない。「あ、これ記事にしよう」とその時は思っても鶏頭の泰明はすぐに忘れてしまうのです。ので、ちょっと気になる文章から。
仏教企画通信、というタブロイド判の紙面があります。名前の通り、主に曹洞宗系の仏教者や学者が寄稿したり、インタビュー記事が掲載されているものなのですが、そこに書いてあった文。
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檀家制度の目的の一つは、幕府が統治のために、人を家単位で土地に縛り付けようとしたことにあります。今の寺檀崩壊の原因は、核家族化によって家の概念がなくなった時、個人宗教への転換ができなかったからです。
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異論や反発もありましょうが、まず大凡において、私は賛成です。事実、現代でも良きにつけ悪しきにつけ、この制度が(形骸化されているとはいえ)続いている。良きにつけ・・・と書いたのは、個人主義が跋扈するこの現代世界においても、みなさんが気づいていないだけで、少しは家制度が良い面もあると思うのです。
それは差し置いても・・・私は、極論からすると、早く“個人会員”と“家会員”を基調とするハイブリッド型檀家制度を構築してみたい。そうしたお寺で、お寺を運営して行けたらいいな、と思っています。
もう一つ付け加えると、何故キチンと個人会員、家会員という名目(檀家、ではなく)にしたいかと言えば、最終的には会費制に近い形で、住職やそのほか従業員の給与や、本堂・客殿と言った施設に関わる修営繕費、或いは曹洞宗に納める宗費などをまかない、それら収支を公開して運営できれば、という目的もあるのです。
その為には、個人・家関わらず、会員(檀家)それぞれが“西光寺の会員(檀家)である。曹洞宗を、仏教を信仰している”という自覚を持っていただきたいと思うからです。その為の「会員」という名目です。
で、これをすることのメリットは、一言で言えば、「葬式は何故高いか?」の答えになるからです。
前にも書きましたが、お寺の維持・管理費(固定費)というのは、実際のところかなり高いと思います。これは住職が高給取りだからではなく(何回も書きますが、曹洞宗の僧侶の平均年収は350万円です。サラリーマン全体より85万円ほど少ない)、施設自体にお金がかかるから。考えても見てください。お墓参りにくる方は、本堂にお賽銭を上げなければタダです。でも、桶に水を汲んでいきますよね。その水道代ってお寺が出している訳です。花を捨てたら、個人のゴミとは見なされないので、その処分代もかかってきます。
実はこの高額の固定費をまかなっているのが、葬儀の布施なんです。逆に言えば、固定費をちゃんと年会費でまかなえれば、葬儀なんてタダ同然、それこそ「お気持ちで」の世界で済むわけです。ちなみに、西光寺は護持会費3000円(年額)ですが、この金額では純然たる管理費にするにはほど遠い額です。これはほとんど全てのお寺も同様かと思います。(ある地方都市の小規模寺院の場合、管理費でまかなおうとすると、一軒6万円にもなる、という試算も聞いたことがある)
この後にも結構興味深い文章が続きますが、今日はこの辺で。また書きます。