2011年03月07日
シノドスって何どす?
*be on Saturday (Asashi shinbun) on Mar. 5th 2011
朝日新聞土曜版(青be)について、泰明が勝手に綴るこのコーナー、はやくも4回目(くらい)になりました。
先週の青beも面白く読ませていただきました。毎回仏教をからめたりすると、若干面倒くさい、お説教臭くなるので、今回はホントに雑感です。
ご紹介するのは一面インタビュー記事『フロントランナー』、今回は シノドス代表取締役 芹沢一也さんです。さっそく文面を適宜拾ってみます。
こういう発想、大好きです!いいこと言うなぁ。こういう発想ができるメディアがどんどん出てくると、もっと面白くなると思うんだけどな~。
70年以前の方とのジェネレーションギャップについては、一概にこうも言えないところもありますが、ここ数年、ずっと自分より年上の方々と(仕事で)接してきた感想を申し述べるならば、確かにうなずける部分もあります。
記事中「しっかりした専門をもちながらも、一般の人に届く言葉で語れる能力のある人は絶対数が少ないんですよ。」という発言もありましたが、その通りだと思います。結局、私が持つ年配の方の一般的なイメージは「しっかりした専門」をお持ちの方がほとんどなんですが、それをクロスオーバーさせるという発想に行きつかないのか、もしくは専門分化・細分化することが是、とされてきたのか、「アカデミズムの研究領域をまた」ごうとはしないように、または嫌っているかのように見えます。(もちろん、私のイメージ、ですよ)
そういう意味では、敢えて言うまでもないかもしれませんが、「日本の仏教」を考えるときに、仏教学者や僧侶だけの知見で理解するのは甚だ心もとないと言わざるを得ず、末木先生が『日本仏教史』の「終章 日本仏教への一視角」で述べられている通りで、歴史学・文献学はもちろんの事、民俗学や神道の教理や風習くらいまでは見ておかないと、浮かび上がってこないのです。(あっ、結局仏教になっちゃった・・・。ごめんなさい)
脱線してしまいましたが、こうした面白く価値あるメディアが今後どんどん誕生していき、そうした中で現在存在している諸問題の解決への一助を、私たち宗教者も担えるようになれば、と願ってやみません。
朝日新聞土曜版(青be)について、泰明が勝手に綴るこのコーナー、はやくも4回目(くらい)になりました。
先週の青beも面白く読ませていただきました。毎回仏教をからめたりすると、若干
ご紹介するのは一面インタビュー記事『フロントランナー』、今回は シノドス代表取締役 芹沢一也さんです。さっそく文面を適宜拾ってみます。
端正な容姿と洗練された服装。(泰明註:ホントにイケメンでスタイリッシュです)「知の交流スペース」をうたうシノドスは、とかくおやじ臭いとされがちな論壇メディアの中で際立った存在だ。
1970年以降に生まれた若手学者を束ね、インターネットをフル活用し、政治経済から国際、教育、医療、哲学思想まで様々な分野の寄稿やインタビューを発信している。
「いま大事なのは、たとえば雇用情勢を好転させるための経済政策の議論です。どういう解決策があるのか。選択したら、どんな利と害があるのか。なのにマスメディアは相変わらず政局を論じている。人々が本当に知りたい問題を、専門家が多角的に解き明かす場が必要です。」
「現代の日本や世界が直面する問題は、アカデミズムの研究領域をまたぐかたちで存在しています。当然、領域を超え、学際的に研究者が協力して、問題を解明、解決していかなければいけない。そういう議論の場をシノドスというメディアはめざしていて、例えば、貧困問題を考えるとき、社会保障の専門家も、経済学者も、運動家もいます。」
「(なぜ1970年代生まれ以降の世代が中心なのか?、という問いに対し)シノドスについて説明する際、70年代以降生まれの人は、すぐ理解してくださる。それより上の人たちは、いまいちピンとこない。恐らく世代間ギャップがあるんですね。」
「上の世代の人たちは、政治でも経済でも、既存のものをただ批判するスタイル。だけど70年代以降に生まれた人たちは(中略)批判ばかりしていても仕方ないと思い、それより社会をどう立て直していくかを考えようとします。解決のための処方箋を描いていく作業、いわば実践の局面で、自分に何ができるかという感度が高い。」
「(影響を受けた知識人は?、という問いに対し)日本では、福沢諭吉を信頼しています。言論人は立場を貫くことをよしとされますが、彼は原理主義者ではなく、今ある状況の中でベターなことをするという発想が好きです。
こういう発想、大好きです!いいこと言うなぁ。こういう発想ができるメディアがどんどん出てくると、もっと面白くなると思うんだけどな~。
70年以前の方とのジェネレーションギャップについては、一概にこうも言えないところもありますが、ここ数年、ずっと自分より年上の方々と(仕事で)接してきた感想を申し述べるならば、確かにうなずける部分もあります。
記事中「しっかりした専門をもちながらも、一般の人に届く言葉で語れる能力のある人は絶対数が少ないんですよ。」という発言もありましたが、その通りだと思います。結局、私が持つ年配の方の一般的なイメージは「しっかりした専門」をお持ちの方がほとんどなんですが、それをクロスオーバーさせるという発想に行きつかないのか、もしくは専門分化・細分化することが是、とされてきたのか、「アカデミズムの研究領域をまた」ごうとはしないように、または嫌っているかのように見えます。(もちろん、私のイメージ、ですよ)
そういう意味では、敢えて言うまでもないかもしれませんが、「日本の仏教」を考えるときに、仏教学者や僧侶だけの知見で理解するのは甚だ心もとないと言わざるを得ず、末木先生が『日本仏教史』の「終章 日本仏教への一視角」で述べられている通りで、歴史学・文献学はもちろんの事、民俗学や神道の教理や風習くらいまでは見ておかないと、浮かび上がってこないのです。(あっ、結局仏教になっちゃった・・・。ごめんなさい)
脱線してしまいましたが、こうした面白く価値あるメディアが今後どんどん誕生していき、そうした中で現在存在している諸問題の解決への一助を、私たち宗教者も担えるようになれば、と願ってやみません。
この記事へのコメント
私が師と仰ぐ内田樹先生は、しっかりした専門を持ちながら、一般の人に届く言葉を語れる方ですね(お会いしたことがないので、ヴァーチャル師匠なんですが)。大阪大学総長の鷲田清一先生もそうです。
私が学生時代に読んだフランスの社会学者のモランの自伝にはこういう副題がついています、「雑食的知の冒険」。彼の専門は社会学なんですけれど、哲学、心理学、自然科学、認識論、いろんな分野に足を突っ込んで縦横無尽にそれらの知見を用いて、現代社会を考えてきた方なので、こういう副題がついたわけです。モランに倣ったからというのでもありませんが、私も「雑食的知の冒険者」です。
キリスト教でいえば、例えば「隣人を愛する」を教会の「外」の人にも通じる言葉遣いで語るというのが私が常に大切にしていることです。反面、その専門ドップリの内輪の言葉遣いがよくわからない人間になってしまいました。
私が学生時代に読んだフランスの社会学者のモランの自伝にはこういう副題がついています、「雑食的知の冒険」。彼の専門は社会学なんですけれど、哲学、心理学、自然科学、認識論、いろんな分野に足を突っ込んで縦横無尽にそれらの知見を用いて、現代社会を考えてきた方なので、こういう副題がついたわけです。モランに倣ったからというのでもありませんが、私も「雑食的知の冒険者」です。
キリスト教でいえば、例えば「隣人を愛する」を教会の「外」の人にも通じる言葉遣いで語るというのが私が常に大切にしていることです。反面、その専門ドップリの内輪の言葉遣いがよくわからない人間になってしまいました。
Posted by ヒソカ at 2011年03月07日 23:13
>ヒソカさん
なんでこういう「雑食的」「クロスオーバー」に惹かれるのか自分でもよく分からないのですが(笑)、面白いメディアがでてきたもんだと思いました。
鷲田先生、まだ著作を読んだことはないのですが、インタビュー記事などはいくつかあります。面白い方ですよね。
なんでこういう「雑食的」「クロスオーバー」に惹かれるのか自分でもよく分からないのですが(笑)、面白いメディアがでてきたもんだと思いました。
鷲田先生、まだ著作を読んだことはないのですが、インタビュー記事などはいくつかあります。面白い方ですよね。
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年03月08日 09:21
シノドス、いいね☆
Posted by kanegon
at 2011年03月09日 12:21

>kanegon師
出張お疲れ様でした!
シノドス、面白そうですよね。定期購読してみようかしら、と考え中です。
われわれも宗教界の”シノドス”を目指しましょう!(笑)
出張お疲れ様でした!
シノドス、面白そうですよね。定期購読してみようかしら、と考え中です。
われわれも宗教界の”シノドス”を目指しましょう!(笑)
Posted by 泰明@西光寺
at 2011年03月09日 12:51

いろんな宗教の教職や信徒を集めて(特定の信仰に帰依していない人も含む)、クロスオーバー的に人生・宗教・救い・世の中について論じる媒体を作ったら面白いでしょうね。よし、「宗教界のシノドス」を目指しましょう。
私のいるキリスト教団にはプロパガンダ的なつまらん媒体がいくつかあるのですが、やはり面白いのは、正解のない話を延々、いろんな角度から熱く考えることです。
私のいるキリスト教団にはプロパガンダ的なつまらん媒体がいくつかあるのですが、やはり面白いのは、正解のない話を延々、いろんな角度から熱く考えることです。
Posted by ヒソカ at 2011年03月09日 17:55
>ヒソカさん
いいですね~~~★
「正解のない話を延々、いろんな角度から熱く考えること」、こういう議論は大好きです。正解がないから考えられる、正解がないから熱くなれる、のかもしれませんね。
いいですね~~~★
「正解のない話を延々、いろんな角度から熱く考えること」、こういう議論は大好きです。正解がないから考えられる、正解がないから熱くなれる、のかもしれませんね。
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年03月10日 08:45
>「しっかりした専門をもちながらも、一般の人に届く言葉で語れる能力のある人は絶対数が少ないんですよ。」という発言もありましたが、その通りだと思います。
耳が、耳が痛いです。。。
まぁ、現代のように専門が細分化すると色々と難しい問題ではあります。変な縄張り意識みたいなのがあって、専門外の人間が自分の専門に口を出すことを嫌うような風潮があります。また逆に自分の専門が決して生やさしいものでないことを知ってる分、他の専門分野のことにも首を突っ込みにくい、突っ込みたくないというのものあります。
ただ、細分化した蛸壺に籠もっていては学問、研究も行き詰まるし、広がりもなくなるのはわかってるんで、可能な限り他分野のことには関わっていきたいですね。
耳が、耳が痛いです。。。
まぁ、現代のように専門が細分化すると色々と難しい問題ではあります。変な縄張り意識みたいなのがあって、専門外の人間が自分の専門に口を出すことを嫌うような風潮があります。また逆に自分の専門が決して生やさしいものでないことを知ってる分、他の専門分野のことにも首を突っ込みにくい、突っ込みたくないというのものあります。
ただ、細分化した蛸壺に籠もっていては学問、研究も行き詰まるし、広がりもなくなるのはわかってるんで、可能な限り他分野のことには関わっていきたいですね。
Posted by てんしょう at 2011年03月11日 22:04
>てんしょう師
いやいや、あなたは問題ないよ。きちんと私のようなボンクラにも分かりやすく答えてくれるし。ちゃんと周りが見えてますよ。
気付かなかったけど、”また逆に自分の専門が決して生やさしいものでないことを知ってる分、他の専門分野のことにも首を突っ込みにくい、突っ込みたくないというのものあります”、これは本当にそうだろうね。なんか納得です。
加州にてますます大輪の花を咲かすことをお祈りしております(笑)
いやいや、あなたは問題ないよ。きちんと私のようなボンクラにも分かりやすく答えてくれるし。ちゃんと周りが見えてますよ。
気付かなかったけど、”また逆に自分の専門が決して生やさしいものでないことを知ってる分、他の専門分野のことにも首を突っ込みにくい、突っ込みたくないというのものあります”、これは本当にそうだろうね。なんか納得です。
加州にてますます大輪の花を咲かすことをお祈りしております(笑)
Posted by 泰明@西光寺
at 2011年03月19日 18:18
