2011年04月02日
青be 「悩みのるつぼ」・・・孤独死が頭に浮かびます
2011/04/02 朝日新聞土曜版
毎週恒例(?)となりました、朝日新聞土曜版のコラムから思ったことを切り出してみます。今回で新しく連載が始まり、それはそれで興味深い(特に「野遊び大全」)のですが、今日は「悩みのるつぼ」です。
前にも書きましたが、このコラムは読者からの相談に対して、4人(だったか5人)の回答者が週替わりで答えていくというもの。社会評論家や経済学者、それに作家などのメンバーが回答者です。
今回は経済学者の金子勝さんが回答されていました。
以下適宜抜粋です。
私も同感です!
ヘミングウェイの『老人と海』は何度読んでもその時代背景とかが理解できないので、文学的に深い味わいを得ることができない無知な私ですが(巻末の解説を読んでもさっぱり…
)、それでも老人の内的な気持ち、海やカジキマグロとの戦い(葛藤?)そして、時折スパイスのように出てくる少年との会話に惹かれます。
さて、非常に単純ですが、私的に言うならやはり絆・縁というのは人間の幸不幸に関わる、とても根本的な問題だと思います。詳しくは項を改めたいと思いますが、ともかく、若いころは高齢になればなるほど、仙人のように超俗的な性格を身に付けるようになるのかな、と思いきや、そうは問屋が卸さないのが人間です(笑)
それに実は若年層の方が、こうした「つながり、絆、縁」を大事に思っているみたいですよ。
こんなページを見つけましたので、よろしければご覧ください。これからの社会を考えていく上でも、下の記事や、今回の「悩み」は貴重な結果、そして提言かもしれません。
http://diamond.jp/articles/-/11490
毎週恒例(?)となりました、朝日新聞土曜版のコラムから思ったことを切り出してみます。今回で新しく連載が始まり、それはそれで興味深い(特に「野遊び大全」)のですが、今日は「悩みのるつぼ」です。
前にも書きましたが、このコラムは読者からの相談に対して、4人(だったか5人)の回答者が週替わりで答えていくというもの。社会評論家や経済学者、それに作家などのメンバーが回答者です。
今回は経済学者の金子勝さんが回答されていました。
以下適宜抜粋です。
<悩み>
63歳。男性。結婚歴のない独身です。2年余り前、ある事情で今までしていた商売の全てを清算したのです。結局あとには何も残らず、今では細々とした生計を営んでいます。
身辺整理の後の気軽さはあっても、生活の苦渋には何も変わりありません。弟も1人いますが、離婚などして今は独りです。
私個人で言えば、家族もいないのですから、その点、自分の事だけ考えればいいのですが、老後の不安がふと頭をかすめます。「孤独死」という惨めな言葉も思い浮かべます。
老後をいかに生活していったらよいのか、今から頭を痛めています。こまごまとした生活上の計算をしていると、厳しさが目に見えてきます。不安なのです。こんな思いをしているのは私だけでしょうか。心休まるアドバイスをお願いします。
<回答>
身辺整理をして、老後の蓄えも、家業も自宅も失ってしまったとすれば、老後の生活は大変厳しい状況です。しかし、あなたの孤独感は予想される生活苦だけが原因ではないと思います。
私は、ヘミングウェイの『老人と海』を思い浮かべます。老漁師サンチャゴは84日も不漁の日が続き、相棒の少年も親に言われて同乗しなくなります。
老人がたった一人で漁に出て、ようやく巨大なカジキマグロを捕りますが、結局サメに全部食われ、身一つで港に帰ってくるという話です。
結果だけを見れば、近親者のいない孤独な老人が漁で捕った獲物もサメに食われて、ほうほうの体で港に戻ってくる話にすぎません。にもかかわらず、この話はむしろ老人の孤独さを打ち消す物語です。それは老人と同乗していた少年との間の絆から来ています。
帰港した老人に少年は「これからは2人で一緒に行こうね。ぼく、いろんなこと教わりたいんだもの」この物語のラストシーンが読者を救い、希望を抱かせるのです。
絆は血縁がなくとも、技や知恵を惜しみなく与える信頼関係からも生まれます。身辺整理で何もかも失ったように感じています。でも、絆は自ら作るものです。あなたの経験や知恵を生かせる場所を探してみてはいかがでしょうか。あるいは弟さんと2人で協力して何かを初めて新たな絆を作っていくこともできます。しかも、あなたはまだ63歳ではありませんか。
人生これからです。
私も同感です!
ヘミングウェイの『老人と海』は何度読んでもその時代背景とかが理解できないので、文学的に深い味わいを得ることができない無知な私ですが(巻末の解説を読んでもさっぱり…

さて、非常に単純ですが、私的に言うならやはり絆・縁というのは人間の幸不幸に関わる、とても根本的な問題だと思います。詳しくは項を改めたいと思いますが、ともかく、若いころは高齢になればなるほど、仙人のように超俗的な性格を身に付けるようになるのかな、と思いきや、そうは問屋が卸さないのが人間です(笑)
それに実は若年層の方が、こうした「つながり、絆、縁」を大事に思っているみたいですよ。
こんなページを見つけましたので、よろしければご覧ください。これからの社会を考えていく上でも、下の記事や、今回の「悩み」は貴重な結果、そして提言かもしれません。
http://diamond.jp/articles/-/11490
この記事へのコメント
「無縁社会」とか「孤独死」という言葉は、キリスト者として常に私の頭の片隅に留めているものです。
>絆・縁というのは人間の幸不幸に関わる、とても根本的な問題
仰る通りです。例えば、教会に行って、「ここにいていいんだ」という気持ちを持てるというのはとても大事なことだと思います。
南直哉老師が「仏教はテクニックだ」とどこかで言っておられましたが、仏教に限らず、キリスト教もイスラームもユダヤ教も神道も、生きていくためのいろんな知恵を持っています。そういうものが孤独死を止める一つのアプローチになるのではないか、ふとそんなことを思いました。
>絆・縁というのは人間の幸不幸に関わる、とても根本的な問題
仰る通りです。例えば、教会に行って、「ここにいていいんだ」という気持ちを持てるというのはとても大事なことだと思います。
南直哉老師が「仏教はテクニックだ」とどこかで言っておられましたが、仏教に限らず、キリスト教もイスラームもユダヤ教も神道も、生きていくためのいろんな知恵を持っています。そういうものが孤独死を止める一つのアプローチになるのではないか、ふとそんなことを思いました。
Posted by ヒソカ at 2011年04月02日 23:36
>ヒソカさん
そうですね、生き方を教えられたり、苦しみを取り除くテクニック(手段)を示してくれるのが、本来的な宗教の役割かな、と私も思っています。
実は、ヒソカさんの仰る通りで、「お寺」や「教会」や「神社」というインフラと、「仏教」「キリスト教」「神道」という宗教が重なった時、そうした孤独死や社会問題に対する一つの視座・解決策を与えられるのかなぁと漠然と思っています。
ついでに言うと、これからの宗教に期待されるのもそうした点かもしれませんね。
もう一個ついでに言うと(笑)、そうした”社会的活動”という点からすると、仏教はキリスト教に遥かに及ばないのです・・・ですから、宗教間交流という以上に、”これからの日本”について考えるとき、仏教徒がキリスト教に学ぶことは非常に意義のあることだと思っています。
実は、これも私が勝手に思っているというより、奈良康明先生という方が文章に書かれていまして、(と言っても、彼がキリスト教に対しイメージだけで言っているかというと、全くそんなことないです。バチカン主催の「仏教キリスト教会議」という会議に初回から参加されているようです)それを承けています。
そうですね、生き方を教えられたり、苦しみを取り除くテクニック(手段)を示してくれるのが、本来的な宗教の役割かな、と私も思っています。
実は、ヒソカさんの仰る通りで、「お寺」や「教会」や「神社」というインフラと、「仏教」「キリスト教」「神道」という宗教が重なった時、そうした孤独死や社会問題に対する一つの視座・解決策を与えられるのかなぁと漠然と思っています。
ついでに言うと、これからの宗教に期待されるのもそうした点かもしれませんね。
もう一個ついでに言うと(笑)、そうした”社会的活動”という点からすると、仏教はキリスト教に遥かに及ばないのです・・・ですから、宗教間交流という以上に、”これからの日本”について考えるとき、仏教徒がキリスト教に学ぶことは非常に意義のあることだと思っています。
実は、これも私が勝手に思っているというより、奈良康明先生という方が文章に書かれていまして、(と言っても、彼がキリスト教に対しイメージだけで言っているかというと、全くそんなことないです。バチカン主催の「仏教キリスト教会議」という会議に初回から参加されているようです)それを承けています。
Posted by 泰明@西光寺
at 2011年04月03日 09:02
