2011年06月11日

村上春樹のカタルーニャ国際賞スピーチと水琴窟

このブログでもお世話になっている、ヒソカさんのブログに、作家村上春樹氏のカタルーニャ国際賞でのスピーチ全文のリンク先が載っていたので、さっそく読んでみた。

http://www.47news.jp/47topics/e/213712.php?page=1

均整と抑制と調和のとれた文章、かっちりとしているけれど、硬くない構造と展開。一気に読み終えてしまった。

感想。
なんだか、水琴窟みたい。


水琴窟(すいきんくつ)ってあれですよ、ピチョン ピチョンって鳴るやつ。

「おいおい、頭大丈夫か?」と言われそうですが、まぁ、だいたい大丈夫です(笑)
要するに、彼のスピーチは”心を静めて聞いていると、音は小さいのに、心に響く”ということ。まだ他にも理由はあるけれど。

現代の、個人とか自立とか、効率とか、そうした”価値あると思っている”項目を最優先して”耳をふさがれ”、それ以外を排除し耳を傾けようとしない、そしてそういう事自体にも自覚できていない人からすれば、ともすれば無価値のようなもの。無視し、スルーしてしまうもの、それを水琴窟にあてています。

例にとった水琴窟は”音量”という”効率”からすれば、とんでもなく”悪い”し、(実際、小さなデシベルであろうし)非効率的。じゃあ、それだったらCDでサンプリングして小さな音で流せばいい、と思うのが”効率主義”。確かにそうだけど、それでは水琴窟ではなく、CDの音。

だが本物は、文字通り”坐禅を組むように”心を静め、その音に耳を傾けると、得も言われぬ美しい音の余韻に気付かされる。村上氏のスピーチを読み終えて思ったのは、まぁ、そういうこと。

それから、水琴窟自体、構造は単純だし、さして画期的で効率的なモノとは言えないかもしれない。しかし、彼の文章と似ていると思ったのは、その単純な構造であるが故の、手触り=テクスチュアが感じられるということ。そして、その手触り、作品性(文章という意味でも、手工芸的作品という意味でも)を描き出す、作り出すことにかけては、超一流なのが彼だと私は思う。

あとは、非常に短絡的な謂いになるが「水琴窟を聞こうと思うと、静かにしなければならない」。当たり前に聞こえるが、黙って他人の話を聞くことが、いかに難しいか。そりゃそうですよね、だって「発言しなさい」「自分の言葉で」と小さいころから言われ続け、自己を確立することが、ともすれば一人前の人間とイコールであるが如く思いこまされ、果てにはそれが破綻をきたして「自己啓発」本が売れに売れる。「自分、自分」の大合唱であります。まったくナンセンス。

脱線したが、ここでのポイントは、彼の言う「倫理や規範の再生」こそが重要だという事。つまり、このログの比喩では、”水琴窟を愛でることができる生活”ということでしょうね。これは”のんびり暮らせ”、とか”第二の人生を見据えよう”とか、そういう意味ではありません。

今のこの時代の流れ、潮流にはそぐわないかもしれない。故に他人から白い目で見られ、嘲りを受けるかもしれない。”効率”という観点からすればね。たしかに”非現実的な夢想家”なんでしょう。

しかし、それを飛び越すような、そしてそこに棹差すような指針、村上氏の言う”倫理や規範”を、自分の人生の根幹に据え、見出してもいいのかな、ということです。

これは、別に”仏教を信じよう”とか、そういうことでもなく(笑)もちろん宗教でもいいし、全くほかのこと、例えば日本文化的なことでも、農業でも、家族の問題の中に見出してもいいと思うんです。ただ、思考を止めて流されるのはもう止めよう!ということです。そして、それには宗教者も、村上氏の言う「文字を扱う作家」も、小さからぬ担い手となるはずだ、と。

えっと、例によって話が大きくなりすぎて着陸地点を見失ってしまったので(笑)、今日はこのへんで。そんじゃーね(←Chikirin風に)


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Posted by 泰明@西光寺 at 10:10
Comments(2)雑感(ひとりごと)
この記事へのコメント
“水琴窟”ですか…
わかるような気がします。
僕も一気に読み終わってしまいました。
高校生の頃、僕の友達が彼の本に夢中になってたのですが
その気持ちもまた、なんとなくわかる気がしました(笑
(僕はその頃、石田衣良さんの本に夢中だった)

“自分、自分の大合唱”って、なんだかすごく上手な表現ですね!
僕だったら、ちょうどいい表現がみつからなくって
「えーっと…えーっと……」って言ってそう(苦笑

ただ、人って“大合唱”しなきゃいけないところで“大合唱”できなくて、
逆に“大合唱”しなくてもいいところで“大合唱”するから不思議です^_^;
Posted by 志穏 at 2011年06月11日 15:10
>志穏さん

コメントありがとうございます。

自分自分の大合唱、というフレーズはどこかで目にしました(笑)たしか、僧侶の本だったと思います。

“大合唱”しなきゃいけないところで“大合唱”できなくて、
逆に“大合唱”しなくてもいいところで“大合唱”する・・・これは仰る通りですね!日本人特有のものとも言えますし、エゴに支配された人間、ということもできますね。

こうしたエゴを取り除いたところに、心の安らいを求めるのが仏教だったりします。奥深いです(笑)
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年06月13日 08:11
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