2011年06月19日

君がここに生きているという真実だけで

「悩みのるつぼ」2011/06/18

ようやっと御無沙汰してました、朝日新聞土曜版beから、泰明が勝手に意見を述べるコーナーです。
今回は、王道パターン”コラム「悩みのるつぼ」×回答者「車谷長吉(作家)」”です。先ほど読んでいて、「車谷氏は坊さんより坊さんらしい」と坊さん崩れの私(笑)は思ったのでした。

+++++++以下記事より抄出+++++++

「人生の目標」の立て方は?   (主婦46歳)

46歳の主婦で、夫と子供がいます。5月21日付の車谷さんの回答に「大事なのは究極の人生の目標をまず設定し、その目標に向かって今日一日をどう生きるか考えて・・・」とありましたが、私には「人生の目標」がわかりません。

時折、「自分は何のために生かされているのだろう?」と問うのですが、いまだに答えが見つからないのです。

他人からは何不自由ないと見えるでしょう。しかし、私自身はいつも、「生きがい」や「自分がしたいことや目標」を探し続けてきたけれども、「これだ」というものを見つけられていない気がします。

中年のいい年をしてお聞きするのは恥ずかしいのですが、どのように「人生の目標を設定」すればよろしいのでしょうか。

  +++以下、車谷氏の回答+++

人生は毎日迷いの連続です。その迷いの段階で、必ずより困難な道の方を選んでいけば、そこから新しい道が開けてきます。

「生きがい」などいらないのです。自分より困っている人を助けてあげることが、いちばん大事なことです。

5月21日付のこの欄の回答に「人生の目標を設定すべきだ」と書いたのは、相談されたのがまだ何者にもなっていない、若い世代の方だったからです。「ピカソになりたい」とか「歌手になりたい」といった目標があれば、一生懸命に歩めるだろうと思ったからです。

中年や高年になれば、もう「人生の目標」がないのが当然です。あなたの場合は、自分一人で何かを楽しむことを見つけることが大事です。

+++ここまで++++

ふーむ、「人生に目標はない」かぁ。これは難しいですねぇ。

まぁ誰しも、中高生くらいの思春期には「人生とは?」とか「生きる意味」みたいなことを考え、それを追い求める期間というのはあるんだろうと思います。

それなりに答えが出たり、或いは答えが出ないまま、気づいたらその問いに悩まなくなっていたり、違うことで頭がいっぱいになり「なんであんなことに悩んでいたんだろう」とふと振り返ってみたり・・・人それぞれだろうと思います。それを成長と言ってもいいのかもしれないし、思考停止といってもいいのかもしれない。

ただ、今回の主婦の方もそうだけど、なぜ「生きていることには意味がある」「人生の目標は●●である」と背中を押してもらいたがるんでしょうか?それが核心のような気がします。

もちろん、車谷氏の言われる通り、目標があれば一生懸命進める。その過程で、挫折することもあるだろう。しかし、そこに向かって走り続けること、そして達成した時、その喜び・学びは自分だけの勲章であるでしょう。それはよく分かります。

しかしながら、その「人生の意味」とか「目標」、「自分のやりたいこと」を持つことが何かある種の強迫観念というか、なければならない、あって当然、みたいなファシズムが現代のこの社会に蔓延しているのかな、と思ったりします。
質問者さんの文に「自分は何のために生かされているのだろう?」とありますが、またも”自分自分の大合唱”ですね(笑)ついでに「〇〇のため」って、なんでそこに”為”だけを求めたがるんでしょうか。達磨大師も言っていますね「坐禅は無功徳。悟りは郭然無聖」って。

勘違いなさらないでほしいんですが、虚無主義みたいなことを礼賛しているのではありません。「全部無意味だ!ぶち壊せ!」みたいなね。そういうのはドラマか映画でやっていただきたい。

でも、それら目標や意味を持たざる人間が「だらしない」「気概がない」、まるで人間失格のレッテルを貼られるということ自体、なんか歪んでいる気がするんですよね。

別になくってもいいじゃない。目標なんてなくっても、意味なんて感じなくても、今生きていることは事実で、ただ生きているだけで、それが素晴らしいことだって思えたら、気が楽になるように思うんだけど。(また詳しく書きたいと思いますが、仏教的な解釈での”本来の自己”ってそういうことかなって奈良康明先生の文章を読んでいて思います)

と、書くとすぐに「それはきれいごと」「お説教臭い」と言われそうですね。まぁ自身そう認識しながら書いている節はあります。

でもね、この前、村上春樹のカタルーニャ賞でのスピーチ読んでいて思ったんです。「人生の目標を持つ”まともな”人間が、目標(=金と利権)に向かって”現実的に”進んできたから目的が達成された(=原発)」んじゃないかと。彼は言いました、「非現実的な夢想家」でいいじゃんって。


***今日のオマケ***(懐メロ)
”君がそこに生きているという真実だけで、幸福なんです。   ---椎名林檎「幸福論」”
(*ちなみに、この映像にある公園は駒沢公園。そう、私の母校駒澤大学に隣接している公演です…笑)


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Posted by 泰明@西光寺 at 09:51
Comments(4)雑感(ひとりごと)
この記事へのコメント
こんにちは。

さんまさんの『生きてるだけで丸もうけ』

結構真剣に好きな言葉です。
Posted by i.u.建築企画 at 2011年06月19日 10:43
「中年や高年になれば、もう「人生の目標」がないのが当然です。」
というところに衝撃をうけました……
基本的にアタマの中が夢だの目標だのでいっぱいの今の僕には
「目標がない」という状況(?)は想像できません(汗

それにしても、この主婦の方、家にいてくれるってだけでじゅうぶん、
旦那さんやお子さんの“ために”なってると思うし
彼女が生きているということは、じゅうぶん意味のあることなんだと思うけれど、
それじゃぁだめなんでしょうかね…。

あ!
僕、林檎さん大好きです☆
Posted by 志穏 at 2011年06月19日 15:33
泰明さま、はじめまして。

いいお話でした。ちょっと感動しました。

椎名林檎の幸福論も、久しぶりに聞き入ってしましました。
当時、大好きだったので。
改めて聞くと、良い歌詞のお歌だったんですね。
Posted by 鳥居公認会計士事務所 所長鳥居公認会計士事務所 所長 at 2011年06月19日 23:36
みなさま、コメントありがとうございます。お返事が遅くなり、大変申し訳ございませんでした。昨日は・・・慌ただしくて目が回りそうでした(笑)


>i.u.建築企画さま

さんまさんの座右の銘らしいですね。さんまさんが言うと重みがない感じがしますが(笑)、おっしゃる通りいい言葉だと思います。



>志穏さん

志穏さんの御歳なら”アタマの中が夢だの目標だのでいっぱい”になっていた方が健全です(笑)それでいいのですし、それに向かって努力したり実行したりすることが肝心なのです。

ただ、この車谷氏が的確なのは、”人によって回答を変える”ことができているからです。志穏さんも、今はまっすぐに生きてみてください。もしかしたら、その道程で”目標なんてないじゃん”って気付くかもしれませんし、気が付かなくても問題ではありません。

問題なのは、この質問者のように”海の中にいるのに、「海はどこだ?!」とわめきながら探すようなこと”をしているからなのです。

僕はまさに志穏さんの御年頃に椎名林檎がデビューしたので、聞きまくっていましたよ(笑)



>鳥居公認会計士事務所 所長さま

はじめまして、コメントありがとうございます!!また、お褒めの言葉を頂戴し、勿体ないことでございます。

私のような若輩者が偉そうなことを申し上げて毎度毎度、恐縮しておりますが(笑)、やっぱり生きにくい世の中だからこそ、誰も耳を傾けなくても、言い続けるべきこともあろうかと思います。コメントくださって有り難かったです。

椎名林檎、私も大好きなんですよ~。この記事を書いているときに、久しぶりに歌詞が思い浮かんで、それでタイトルにしたんです。幸福論って最初期のころですけど、今聞いても素敵な曲ですね★

こんなブログですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by 泰明@西光寺泰明@西光寺 at 2011年06月21日 08:58
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