2011年10月12日

おまつりの裏側で

前回の続き。町内のお祭の夜のこと。

お檀家様も10軒くらいはいらっしゃったでしょうか。
普段はお墓やお寺でしかお話できないですが、この場はお祭の会所。だからお酒も入って、みなさん包み隠さず本音をお話し下さいます。ブログの内容についてのアドバイスや、お墓参りに関しての素朴な疑問、それから『禅の友』に掲載された拙文についてなどなど。

これがとてもありがたかった。
逆に言えば、それだけ関係が“疎”だったとも言えます。この時ほどそれを思い知ったことはなかった。

いや勿論、口でもそういってきたし、実際そう思っていたのですが、あの夜のように、楽しい雰囲気の中で、西光寺の僧侶ではなく“大手町の一員”として受け入れて下さったことはなかったし、そしてその“一員”として本音で話をしてくれたことに感謝し、今更ながらface to faceの価値、直接会話(同じ場所で同じものをいただく、というシチュエーションも含め)の大切さを感じました。


それから、何となく私に“お寺の”という冠詞が付いているので(笑)、“近寄りがたい”“話しかけづらい”という部分も実際あったと思います。それに今でもそれはあると思います。これは肌で感じる。

でも、少なくとも昨年までちらっと顔を出していた“西光寺の小原泰明”と、新入りですがお祭りに参加した今年の“西光寺の小原泰明”では、受け入れてくれる町内のみなさんも、私自身の感覚(いや“間隔”か?)もまるで違ったと思う。

それが証拠に、檀家さんではない方から、お墓についての質問をいただいたし(それも気さくな感じで)、「おまえが(大手クラブに)入ってくれてよかったよ~~」と言っていただいたりも。

それだって言ってみれば“お寺の”という冠詞は外せないわけだけど、その“お寺”という肩書に対する距離感はまるで違うと思うわけです。

なんか、この距離感こそ“日本仏教は妻帯肉食飲酒するし、堕落している”と間違った批判があるにせよ・・・いやだからその批判は間違っている証左か・・・まだ“生きている宗教”として実存している、その根源、即ち在家(一般人)と僧侶の絆なのでしょう。

お祭に出て、単に生ビールを飲んでいただけかと思いきや、何気なくいろんなことを考えさせられた3日間でした。


同じカテゴリー(雑感(ひとりごと))の記事画像
音を失った作曲家 佐村河内守さん
愛すべき我が街、豊橋
1,2,3~でブログ復活!
中部空港セントレア、ランキング2冠達成!
ステテコ、ファンタスティコ!!!
ひび割れた身体
同じカテゴリー(雑感(ひとりごと))の記事
 音を失った作曲家 佐村河内守さん (2013-04-01 16:33)
 愛すべき我が街、豊橋 (2013-02-13 13:19)
 連休明けの出勤日には必ず見ましょう。 (2013-02-12 20:45)
 1,2,3~でブログ復活! (2013-01-23 11:09)
 何度でも何度でも何度でも立ち上がり呼ぶよ (2012-10-25 12:17)
 中部空港セントレア、ランキング2冠達成! (2012-09-17 20:04)

Posted by 泰明@西光寺 at 20:26
Comments(2)雑感(ひとりごと)
この記事へのコメント
お祭大好きmakeですー(^-^)/

今年から社会人入りしたので、やっと堂々と参加できました。お酒も飲みましたし~♪

うちの町内はここ数年で新しいおうちの方々がどっと参入されたので、また新しいカラーが加わった感じがしました。

うちの祭もいろいろあった関係で・・・去年より内容が縮小化してしまったんですよね。今までだったら、たんに「ありえん!さみしい!」としか言っておわるところでしたが、子供としての参加から、一歩中に入ることで、葛藤しながらがんばってる大人の姿を見ました。

私もずっとこの町に住んでいながら、という感情が(>_<)と同時に、大人として、コミュニティの一員として、これから参加していくこと、強く感じ入るものがありました。

自分に子供ができて同じように祭に参加する頃には・・・という野望もうまれ、今年の祭はまた特別なものになった気がします。

うーん、まとまりがなくなってきましたが、やっぱり祭って、その町の人にとって、大きなところを占めたりしちゃうこともあるものだと思うんです!言いたいことは、祭ってすごいんだなと!(>ω<)笑
Posted by make at 2011年10月22日 16:30
>makeさん

社会人デビューおめでとうございます!!
お酒も楽しいですよね~~~~★

「大人として、コミュニティの一員として、これから参加していくこと、強く感じ入るものがありました」・・・これ、とても大切な感覚だと思います。

所詮、人間なんて自分一人では(1日とか数か月なら大丈夫ですが)生きてはいけません。だからこそ、社会人間であることをしっかり認識した方が良いのです。大きな精神的成長だと思いますよ!!

そうそう、やっぱり子供がいるといないとでは、まったく変わってきますよ。今年は子どもも連れておまつりに参加しましたし、上記の”コミュニティ”という意味でも、”子供はかすがい”という言葉の重みを感じました。

ただ、ちょっと飲み過ぎちゃったかも・・・(涙)
Posted by 泰明@西光寺泰明@西光寺 at 2011年10月23日 10:15
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。