2012年01月10日
「お寺」と「野球」
昨日の拙記事、『生きている人のためのお寺へ』にコメントを頂戴しました。ありがとうございます。
「野球とお寺の比喩、どんなものだか気になります」と言うことで、折角なので、恥ずかしながらその資料を抜粋・補足して掲載します。
呉々も申し上げますが、これはあくまで「たとえ話」に過ぎません。そもそも比較する対象が異なっているために、上手く説明することもできません。
ですから、簡単なイメージとしてお読み頂ければ幸いです。
それから、この資料は西光寺の護持会役員さんにお配りしたものですから、他のお寺に通用するわけではないですし、そう言う意味では何ら普遍性があるわけではないのです。悪しからずご了承下さい。
ついでにもう一つ。これは護持会の話なので、言うなればあんまり仏教の教義とは関係ありません。とどのつまり「組織論」であります。
長い言い訳になりましたが、ここを読み間違えられてしまうと、まったく筋が通らなくなるので・・・蛇足でした。
**********(資料抜粋)************
(1)「護持会」とは・・・
檀家(檀信徒)同士が協力して、先祖が眠る場所・仏教の拠り所としてのお寺を守り(=「護」)、建物を保守・維持(=「持」)していく会のこと。
(2)「護持会役員」の役割は・・・
一般檀家と僧侶(お寺)との橋渡し役として、お寺をより深く理解し、僧侶と協力して法要・行事などを実施・補助する。また檀家の先頭に立って、よりよいお寺にするべく、中心となって活動する。
(お寺により名称が異なるが、いわゆる「総代」「世話役」「世話人」と呼ばれる役)
*「野球」と「お寺」の対比イメージ*
スポーツ< >宗教
野球< >仏教
球団< >お寺
球場(ホーム)< >お寺(建物)
監督< >住職
選手< >僧侶(含 住職)
試合< >法要
練習< >修行
慈善事業・ファンイベント< >護持会行事
ファンクラブ役員< >護持会役員
ファン< >檀家(護持会)
●野球選手・・・練習をして、試合をする(勝利する)ことが本分。
◆野球ファン・・・試合やファンイベントへ足を運び、野球や選手に親しみ、球団はその入場料などで球団(スタジアムの保守や選手の年俸)を存続していく。
●僧侶・・・仏教を学び、修行をし(仏道を行じること)、その上で檀信徒に対して法要・布教をすることが本分。
◆護持会(檀家)・・・法要や護持会行事へ参加し、仏教やお寺について深く理解して、信心を深め、お寺は檀家よりの布施(寄附)によって仏教、お寺を存続させていく。
(3)現在のお寺の問題点
***野球になぞらえると***
・勝つための試合をひたすらするだけ(監督や勝利投手などのインタビューもなし、野球中継やキャンプ情報、宣伝もしない→ファンは選手や監督の素顔、本音、素性を知り得ない)
・ファンイベント(=プロの選手に触れあえる機会・・・少年野球教室など)や試合外の活動(慈善事業・学校などへの講演)を一切しない
=ファンと球団との接点が少なく、試合のみの姿しか見えない。マスコミによる偏った報道により、ファンが本当の野球・球団・選手の姿・形を見ることがなく偏見を持っている。真の野球の魅力を感じることができない。
**********************
というのが、「お寺と野球」の比喩です。
いかがでしたか?イメージしづらいですよね。会議の時は私は一人で喋りまくっていたので、もう少し解りやすかったかもしれません。
実はこの役員会議が終わった晩、何となく神経が高ぶっていたのか珍しく寝付けませんでした。思うがままに、よしなしごとを考えていました。
(次回の記事に続きます)
「野球とお寺の比喩、どんなものだか気になります」と言うことで、折角なので、恥ずかしながらその資料を抜粋・補足して掲載します。
呉々も申し上げますが、これはあくまで「たとえ話」に過ぎません。そもそも比較する対象が異なっているために、上手く説明することもできません。
ですから、簡単なイメージとしてお読み頂ければ幸いです。
それから、この資料は西光寺の護持会役員さんにお配りしたものですから、他のお寺に通用するわけではないですし、そう言う意味では何ら普遍性があるわけではないのです。悪しからずご了承下さい。
ついでにもう一つ。これは護持会の話なので、言うなればあんまり仏教の教義とは関係ありません。とどのつまり「組織論」であります。
長い言い訳になりましたが、ここを読み間違えられてしまうと、まったく筋が通らなくなるので・・・蛇足でした。
**********(資料抜粋)************
(1)「護持会」とは・・・
檀家(檀信徒)同士が協力して、先祖が眠る場所・仏教の拠り所としてのお寺を守り(=「護」)、建物を保守・維持(=「持」)していく会のこと。
(2)「護持会役員」の役割は・・・
一般檀家と僧侶(お寺)との橋渡し役として、お寺をより深く理解し、僧侶と協力して法要・行事などを実施・補助する。また檀家の先頭に立って、よりよいお寺にするべく、中心となって活動する。
(お寺により名称が異なるが、いわゆる「総代」「世話役」「世話人」と呼ばれる役)
*「野球」と「お寺」の対比イメージ*
スポーツ< >宗教
野球< >仏教
球団< >お寺
球場(ホーム)< >お寺(建物)
監督< >住職
選手< >僧侶(含 住職)
試合< >法要
練習< >修行
慈善事業・ファンイベント< >護持会行事
ファンクラブ役員< >護持会役員
ファン< >檀家(護持会)
●野球選手・・・練習をして、試合をする(勝利する)ことが本分。
◆野球ファン・・・試合やファンイベントへ足を運び、野球や選手に親しみ、球団はその入場料などで球団(スタジアムの保守や選手の年俸)を存続していく。
●僧侶・・・仏教を学び、修行をし(仏道を行じること)、その上で檀信徒に対して法要・布教をすることが本分。
◆護持会(檀家)・・・法要や護持会行事へ参加し、仏教やお寺について深く理解して、信心を深め、お寺は檀家よりの布施(寄附)によって仏教、お寺を存続させていく。
(3)現在のお寺の問題点
***野球になぞらえると***
・勝つための試合をひたすらするだけ(監督や勝利投手などのインタビューもなし、野球中継やキャンプ情報、宣伝もしない→ファンは選手や監督の素顔、本音、素性を知り得ない)
・ファンイベント(=プロの選手に触れあえる機会・・・少年野球教室など)や試合外の活動(慈善事業・学校などへの講演)を一切しない
=ファンと球団との接点が少なく、試合のみの姿しか見えない。マスコミによる偏った報道により、ファンが本当の野球・球団・選手の姿・形を見ることがなく偏見を持っている。真の野球の魅力を感じることができない。
**********************
というのが、「お寺と野球」の比喩です。
いかがでしたか?イメージしづらいですよね。会議の時は私は一人で喋りまくっていたので、もう少し解りやすかったかもしれません。
実はこの役員会議が終わった晩、何となく神経が高ぶっていたのか珍しく寝付けませんでした。思うがままに、よしなしごとを考えていました。
(次回の記事に続きます)
この記事へのコメント
こんばんは。
はじめまして。
興味深く拝読させていただきました。
私は仏教の家から他宗教に嫁ぎ20年になります。
実家では、お葬儀と法事しかお寺の方々とご縁が無く、ましてや檀家仲間との交流は皆無でした。
現在は、2年前に若先生に代替わりされたのをきっかけに、やり方がガラリと変わったので、内容充実の為に中堅として盛り上げるべく、行事だらけでパートにも出られないくらいです。
でも、最初はストレスのタネでしたし、いやいや参加でしたが、今はご縁に感謝しています。
中心となる方々が代替わりされるように、檀家の皆さまも代替わりされているはずです。
新しい風を自信を持って吹き込まれたら、我々ついて行く側もほってはおけないと感じます。
だって、私たちが幸せな人生を送る事ができるための教えであり、企画なんですもの。
o(^▽^)o
はじめまして。
興味深く拝読させていただきました。
私は仏教の家から他宗教に嫁ぎ20年になります。
実家では、お葬儀と法事しかお寺の方々とご縁が無く、ましてや檀家仲間との交流は皆無でした。
現在は、2年前に若先生に代替わりされたのをきっかけに、やり方がガラリと変わったので、内容充実の為に中堅として盛り上げるべく、行事だらけでパートにも出られないくらいです。
でも、最初はストレスのタネでしたし、いやいや参加でしたが、今はご縁に感謝しています。
中心となる方々が代替わりされるように、檀家の皆さまも代替わりされているはずです。
新しい風を自信を持って吹き込まれたら、我々ついて行く側もほってはおけないと感じます。
だって、私たちが幸せな人生を送る事ができるための教えであり、企画なんですもの。
o(^▽^)o
Posted by 水樹 at 2012年01月10日 21:45
>水樹さま
こんにちは。はじめまして、コメントありがとうございます!
またお返事が遅くなりましたこと、お許し下さい。ちょっとPCの調子が悪かったようです。
さて、とても有り難い、心が温かくなるようなお言葉を頂戴しました。とてもうれしいです。
本当に仰るとおりだと思います。”私たちが幸せな人生を送る事ができるための教えであり、企画”、これは常々念頭に置いておくべきことと肝に銘じます。
自信を持って・・・これが今の未熟な私には難しいのですが・・・(笑)それでも、おっかなびっくりでは人を導くことはできませんものね。日々精進して参りたいと思います。
こんにちは。はじめまして、コメントありがとうございます!
またお返事が遅くなりましたこと、お許し下さい。ちょっとPCの調子が悪かったようです。
さて、とても有り難い、心が温かくなるようなお言葉を頂戴しました。とてもうれしいです。
本当に仰るとおりだと思います。”私たちが幸せな人生を送る事ができるための教えであり、企画”、これは常々念頭に置いておくべきことと肝に銘じます。
自信を持って・・・これが今の未熟な私には難しいのですが・・・(笑)それでも、おっかなびっくりでは人を導くことはできませんものね。日々精進して参りたいと思います。
Posted by 泰明@西光寺 at 2012年01月12日 14:12