2012年05月06日
城南信用金庫と脱原発
僧侶の座談会が掲載された今号の『通販生活』。
いつも思うのですが、商品より、連載記事の方が骨太で面白かったりする。
連載『落合恵子の深呼吸対談』・・・作家の落合恵子さんが、ゲストを迎えてのインタビュー。正直、あんまり落合氏の謂いが好きではなかったりするのですが(内緒)、でも今回の対談相手、城南信用金庫の吉原毅理事長のお話は、勇気づけられます。
これまた結構長いので、適宜端折ります。
前提として・・・
福島第一原発の事故を受けて、いち早くホームページで「原発に頼らないで安心できる社会へ」という文章を発表した城南信用金庫。企業は、結局利益や効率を最優先するというイメージを払拭しました。
以下は、吉原理事長の談
+++
そもそも銀行と信用金庫はそのルーツが違います。信用金庫のルーツは1844年にイギリスで生まれた協同組合運動。信用金庫の目的は、お金中心の世の中がもたらす弊害を是正し、地域を守り、地域を幸せにすること。
あのとき、「脱原発宣言」をしていなければ、城南信用金庫が存在する意味がなくなってしまうと思ったんですね。
理事長に就任する際、「これからの信用金庫は原点に回帰して、理想を持たなければいけない。ただの金儲けの組織になっては存在する意味がない」と私は職員に言いました。
+++
日本の全電力のうち原発によって造られた電力は約30%とされていて、だから「原発を止めると電気が足りなくなる」と電力会社は言います。
それならば、まず節電しようじゃないかと、店舗で実際にやってみたんです。そうしたら85の全店舗で3割の節電が簡単にできた。
それから、うちでは今年1月1日から電力の供給元を東電からPPS(特定規模電気事業者)へ切り替えました。
(需要が増えれば、供給も増える)結果的には東京電力よりもPPSのほうが安いことが実証されてしまった。
(電力が足りないとか、原発はコストが安いとか神話があるが)経済のメカニズムを用いて、正々堂々と原発に頼らない社会を実現できるんです。
+++
(落合氏の「企業も個人でも、こんな非情な時代に、くすんでしまう方と、切り拓いていこうとされる方がいらっしゃると思います」を受けて・・・)
理事長に就任する時に、「企業は何のためにあるのか」を考えました。企業はお金儲けのためだけじゃなく、志を持って何事かをなすために存在するんだと決意してスタートしました。こういう大変なときに、勇気を持って発言しなければ、誇りも何もなくなってしまいますよね。
いまの世の中は、自分の生命とカネのことばかり考えていて「勇気」の価値を小馬鹿にして軽蔑するような風潮があります。
でも、自分を超える何者かが存在するという気持ちがあって、初めて勇気は出てくる。
+++
金融が自由化された96年以前は、もう少し、企業の将来や日本の将来がどうあるべきかを議論する風潮がありました。その頃の銀行の頭取は、権威もあったし、見識もあった。銀行が企業に対して、客観的な立場からアドバイスをしながら、経営を支援していく役割を自覚していたからです。
ところが、金融自由化後は「市場だけが正義」となり、お金が猛威を振るうマモニズム(拝金主義)の世界になってしまった。私は、これは「宗教」だと思います。
拝金主義の根本とは、昔は理想だと思われていた「自由主義」とか「個人主義」なんです。
われわれの若い頃に足枷だと思われていたしがらみやパターナリズムを排除して、個人主義や自由主義が極限まで行き着いたら、お金でしか物事がつながらなくなってしまった。
(引用ここまで)+++

いやぁ、まったくその通りですね。特に最後の段「拝金主義は”宗教”」には膝を打ちました。まったくその通りです。佐伯啓思先生が指摘されていたことはまさにこの段にあることです。
”拝金教”がたちが悪いのは、それが宗教じみている、と誰も思わないことです。しかもほとんどの日本人が熱心に”帰依”している(笑)カルトの方が、よほど分かりやすい。
もちろん、お金は生きていく上で、不可欠なものです。私はそれを否定しているのではない。私にだって必要だし、それはこれからも変わらない。あくまで”お金至上主義”と、その背景にあるものを私は指摘しています。
インタビューの最後で、吉原理事長は「最近のサラリーマンたちの間で、アダム・スミスの『道徳論』が多く読まれている。結局人間は、連帯感や思いやりなどを大切にしたコミュニティの中で存在するものなんだ」と言われていました。ここも佐伯氏の指摘していた「日本人が、仏教や儒教や神道から受け継ぎ得た道徳」に符合するモノだと思います。
でもなぁ・・・いくら言っても、所詮坊主が、お金のことを言うと”生臭坊主”って言われるんだよなぁ・・・。
吉原理事長の様な、ばりばりの金融関係者が自ら発する言葉ってありがたみがありますよね。ま、”勇気”をもって発言しなさい、ってお諭しかな。
いつも思うのですが、商品より、連載記事の方が骨太で面白かったりする。
連載『落合恵子の深呼吸対談』・・・作家の落合恵子さんが、ゲストを迎えてのインタビュー。正直、あんまり落合氏の謂いが好きではなかったりするのですが(内緒)、でも今回の対談相手、城南信用金庫の吉原毅理事長のお話は、勇気づけられます。
これまた結構長いので、適宜端折ります。
前提として・・・
福島第一原発の事故を受けて、いち早くホームページで「原発に頼らないで安心できる社会へ」という文章を発表した城南信用金庫。企業は、結局利益や効率を最優先するというイメージを払拭しました。
以下は、吉原理事長の談
+++
そもそも銀行と信用金庫はそのルーツが違います。信用金庫のルーツは1844年にイギリスで生まれた協同組合運動。信用金庫の目的は、お金中心の世の中がもたらす弊害を是正し、地域を守り、地域を幸せにすること。
あのとき、「脱原発宣言」をしていなければ、城南信用金庫が存在する意味がなくなってしまうと思ったんですね。
理事長に就任する際、「これからの信用金庫は原点に回帰して、理想を持たなければいけない。ただの金儲けの組織になっては存在する意味がない」と私は職員に言いました。
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日本の全電力のうち原発によって造られた電力は約30%とされていて、だから「原発を止めると電気が足りなくなる」と電力会社は言います。
それならば、まず節電しようじゃないかと、店舗で実際にやってみたんです。そうしたら85の全店舗で3割の節電が簡単にできた。
それから、うちでは今年1月1日から電力の供給元を東電からPPS(特定規模電気事業者)へ切り替えました。
(需要が増えれば、供給も増える)結果的には東京電力よりもPPSのほうが安いことが実証されてしまった。
(電力が足りないとか、原発はコストが安いとか神話があるが)経済のメカニズムを用いて、正々堂々と原発に頼らない社会を実現できるんです。
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(落合氏の「企業も個人でも、こんな非情な時代に、くすんでしまう方と、切り拓いていこうとされる方がいらっしゃると思います」を受けて・・・)
理事長に就任する時に、「企業は何のためにあるのか」を考えました。企業はお金儲けのためだけじゃなく、志を持って何事かをなすために存在するんだと決意してスタートしました。こういう大変なときに、勇気を持って発言しなければ、誇りも何もなくなってしまいますよね。
いまの世の中は、自分の生命とカネのことばかり考えていて「勇気」の価値を小馬鹿にして軽蔑するような風潮があります。
でも、自分を超える何者かが存在するという気持ちがあって、初めて勇気は出てくる。
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金融が自由化された96年以前は、もう少し、企業の将来や日本の将来がどうあるべきかを議論する風潮がありました。その頃の銀行の頭取は、権威もあったし、見識もあった。銀行が企業に対して、客観的な立場からアドバイスをしながら、経営を支援していく役割を自覚していたからです。
ところが、金融自由化後は「市場だけが正義」となり、お金が猛威を振るうマモニズム(拝金主義)の世界になってしまった。私は、これは「宗教」だと思います。
拝金主義の根本とは、昔は理想だと思われていた「自由主義」とか「個人主義」なんです。
われわれの若い頃に足枷だと思われていたしがらみやパターナリズムを排除して、個人主義や自由主義が極限まで行き着いたら、お金でしか物事がつながらなくなってしまった。
(引用ここまで)+++

いやぁ、まったくその通りですね。特に最後の段「拝金主義は”宗教”」には膝を打ちました。まったくその通りです。佐伯啓思先生が指摘されていたことはまさにこの段にあることです。
”拝金教”がたちが悪いのは、それが宗教じみている、と誰も思わないことです。しかもほとんどの日本人が熱心に”帰依”している(笑)カルトの方が、よほど分かりやすい。
もちろん、お金は生きていく上で、不可欠なものです。私はそれを否定しているのではない。私にだって必要だし、それはこれからも変わらない。あくまで”お金至上主義”と、その背景にあるものを私は指摘しています。
インタビューの最後で、吉原理事長は「最近のサラリーマンたちの間で、アダム・スミスの『道徳論』が多く読まれている。結局人間は、連帯感や思いやりなどを大切にしたコミュニティの中で存在するものなんだ」と言われていました。ここも佐伯氏の指摘していた「日本人が、仏教や儒教や神道から受け継ぎ得た道徳」に符合するモノだと思います。
でもなぁ・・・いくら言っても、所詮坊主が、お金のことを言うと”生臭坊主”って言われるんだよなぁ・・・。
吉原理事長の様な、ばりばりの金融関係者が自ら発する言葉ってありがたみがありますよね。ま、”勇気”をもって発言しなさい、ってお諭しかな。