2012年05月08日
その男の名は・・・
先週の青be、1面インタビュー記事は歌舞伎役者の市川亀治郎さんでした。
恐れながら、お顔しか拝見したことがなく、そのご活躍も全く存じませんでした。
しかし、今回のこのインタビュー内容を読み、図らずもこんな印象を受けました。
それは・・・
この人、坊さんか??!(笑)
いやいや、この頭の良さにして、こうした思想をお持ちとは、正直驚きました。この数回のフロントランナーで、一番感銘を受けたかも。
以下、通例のごとく適宜抜粋。
***
-本文より-
(襲名披露の発言について)一代で咲かせた名だけに、さぞやと問えば、「8割はリップサービス。洋服を買い替えるように、愛着はあっても感傷はない。」と煙に巻く。
語るに落ちたり、2割は本気?問えば一瞬、つまる表情に本音がちらり。
猿之助の弟、四代目段四郎の長男。「痩せて声も高い」と女形で研鑽したが、今やシェークスピア劇から映画にドラマ、バラエティーまで、「兼ねる役者」だ。猛烈な読書家で美術解説や書評も手がける。どこまでもマルチだ。
***
インタビュアー)140年続く代々で初めて女形出身の猿之助ですね。
「どんな名か、ではなく、どんな舞台か、を見て欲しい。名跡は、継承した代々が責任を持ち、努力してきた結果であって、名前そのものに力があるわけではないから。」
+++
(歌舞伎の台本も)時代に合わせてアップデートしないと。僕らもいずれ先達になり、200年後には後進にばっさり本を切られるのだろうし、そうでなければいけない。
+++
人は皆、自分で選んでその人生を生まれてきたと信じている。よいことも悪いことも、すべて承知でこの世にあると。
この一生で完結しなけりゃ、また来世に生まれるのだろう。そう思えば、何事にも執着しない。
+++
「まず懐疑せよ。」梅原(註:猛)先生の著書に学んだ鉄則です。
+++
(新作歌舞伎を作ることと制作費について)
無知なら平気で「何億」といえるが、知れば蛮勇は振るえない。
+++
つまらないものを未来に伝えるぐらいなら、僕らの手で引導を渡します。裏返せば、それも愛かな。僕だけじゃない、400年余の歴史に連なる先達も、きっと思いは同じです。
++++++++

発言内容も多彩で、つまるところ、”これ”と言う焦点を絞りきれないのですが、(もっと採り上げたい点もあり)上述の発言もかなり興味深いですね。
歌舞伎と僧侶、まったく生きる世界が違うし、スタンスも違いますが、それでも”伝統”というものを背負う覚悟は、常人とは違うと拝察します。
「名跡は、継承した代々が責任を持ち、努力してきた結果」・・・これなんて、まさに”歴代の住職”と言い換えると、背筋も伸びます。名誉や役得や年収で住職になったり、お寺を選んで入る訳ではないので。だからこそ、”受け伝えて今がある”ことの重みもまた感じるわけで。
「この一生で完結しなけりゃ、また来世に生まれるのだろう。そう思えば、何事にも執着しない。」・・・良い表現ですね。何度も言いますが、来世が実在するとかしないとか、どうでも良いんです。だけど、それを肯って如何に生きるか、が肝心要ではないでしょうか。それに”執着しない”って・・・坊さんみたいだ(笑)
亀治郎氏は、しきりに型ではなく”精神”を継承することの重要性を力説します。私自身、どちらも大事だと思っているのですが、勘違いしてはいけないのは・・・「古いモノ=形にこだわる=意味のないもの=捨てるべきモノ」という短絡的な考えに堕してはいけない、ということ。
とかく、仏教もそうだし、およその歴史あるものって「形を壊すこと=先進的」と思われるかもしれません。形に捕らわれないことが、無批判で”価値がある”ように思われがち。ですが、お釈迦さんの手のひらで逃げ回っている孫悟空のように、どこまでいっても所詮は誰かの猿まねです。
であれば、基本(古典)を徹底的に学ぶ、まねぶこと。これが肝要だと感じます。(と、偉そうに言っていますが、どちらかというと、私も「形に捕らわれないこと=先進的」と単純に信じていた時期もありました・・・恥)
その意味では、古典をみっちり学んだ上で行う亀治郎氏の発言は、だからこその重みがあります。
目の離せない役者さんですね。勉強になりました。合掌
恐れながら、お顔しか拝見したことがなく、そのご活躍も全く存じませんでした。
しかし、今回のこのインタビュー内容を読み、図らずもこんな印象を受けました。
それは・・・
この人、坊さんか??!(笑)
いやいや、この頭の良さにして、こうした思想をお持ちとは、正直驚きました。この数回のフロントランナーで、一番感銘を受けたかも。
以下、通例のごとく適宜抜粋。
***
-本文より-
(襲名披露の発言について)一代で咲かせた名だけに、さぞやと問えば、「8割はリップサービス。洋服を買い替えるように、愛着はあっても感傷はない。」と煙に巻く。
語るに落ちたり、2割は本気?問えば一瞬、つまる表情に本音がちらり。
猿之助の弟、四代目段四郎の長男。「痩せて声も高い」と女形で研鑽したが、今やシェークスピア劇から映画にドラマ、バラエティーまで、「兼ねる役者」だ。猛烈な読書家で美術解説や書評も手がける。どこまでもマルチだ。
***
インタビュアー)140年続く代々で初めて女形出身の猿之助ですね。
「どんな名か、ではなく、どんな舞台か、を見て欲しい。名跡は、継承した代々が責任を持ち、努力してきた結果であって、名前そのものに力があるわけではないから。」
+++
(歌舞伎の台本も)時代に合わせてアップデートしないと。僕らもいずれ先達になり、200年後には後進にばっさり本を切られるのだろうし、そうでなければいけない。
+++
人は皆、自分で選んでその人生を生まれてきたと信じている。よいことも悪いことも、すべて承知でこの世にあると。
この一生で完結しなけりゃ、また来世に生まれるのだろう。そう思えば、何事にも執着しない。
+++
「まず懐疑せよ。」梅原(註:猛)先生の著書に学んだ鉄則です。
+++
(新作歌舞伎を作ることと制作費について)
無知なら平気で「何億」といえるが、知れば蛮勇は振るえない。
+++
つまらないものを未来に伝えるぐらいなら、僕らの手で引導を渡します。裏返せば、それも愛かな。僕だけじゃない、400年余の歴史に連なる先達も、きっと思いは同じです。
++++++++

発言内容も多彩で、つまるところ、”これ”と言う焦点を絞りきれないのですが、(もっと採り上げたい点もあり)上述の発言もかなり興味深いですね。
歌舞伎と僧侶、まったく生きる世界が違うし、スタンスも違いますが、それでも”伝統”というものを背負う覚悟は、常人とは違うと拝察します。
「名跡は、継承した代々が責任を持ち、努力してきた結果」・・・これなんて、まさに”歴代の住職”と言い換えると、背筋も伸びます。名誉や役得や年収で住職になったり、お寺を選んで入る訳ではないので。だからこそ、”受け伝えて今がある”ことの重みもまた感じるわけで。
「この一生で完結しなけりゃ、また来世に生まれるのだろう。そう思えば、何事にも執着しない。」・・・良い表現ですね。何度も言いますが、来世が実在するとかしないとか、どうでも良いんです。だけど、それを肯って如何に生きるか、が肝心要ではないでしょうか。それに”執着しない”って・・・坊さんみたいだ(笑)
亀治郎氏は、しきりに型ではなく”精神”を継承することの重要性を力説します。私自身、どちらも大事だと思っているのですが、勘違いしてはいけないのは・・・「古いモノ=形にこだわる=意味のないもの=捨てるべきモノ」という短絡的な考えに堕してはいけない、ということ。
とかく、仏教もそうだし、およその歴史あるものって「形を壊すこと=先進的」と思われるかもしれません。形に捕らわれないことが、無批判で”価値がある”ように思われがち。ですが、お釈迦さんの手のひらで逃げ回っている孫悟空のように、どこまでいっても所詮は誰かの猿まねです。
であれば、基本(古典)を徹底的に学ぶ、まねぶこと。これが肝要だと感じます。(と、偉そうに言っていますが、どちらかというと、私も「形に捕らわれないこと=先進的」と単純に信じていた時期もありました・・・恥)
その意味では、古典をみっちり学んだ上で行う亀治郎氏の発言は、だからこその重みがあります。
目の離せない役者さんですね。勉強になりました。合掌