2012年07月14日
ステテコ、ファンタスティコ!!!
・・・連休中にこんな記事を書いて恐縮です。でも書きたかったのです・・・
今日、UNIQLOのチラシを偶然見ていた。そういえば昨年あたりから、ステテコが流行っているとか、いないとか。
広告の隅に、「企業コラボステテコ¥790」というのが、目に止まった。
・・・ステテコかぁ。寝巻きに使ったら、さぞかし涼しそうだな。
しかし、今まで一度も穿いたことがない。と、いうかあれはそもそも、下着なのか?部屋着??よく分からない。
ま、いいや。Microsoftのあの蝶のマークのついたデザインのを買った。

穿いてみた。
この清涼感、この開放感!チープな表現でいささか躊躇われるが、何だかとってもエコな感じ。しかも”和”を感じるし。
なるほど、水を打ったり、風鈴をつけたり、よしずをはったり、日本人は古来より、完全で厳密なる”涼”(いや、寒か)を求めていたわけではなく、”涼感”に対するセンシティブな心を持っていたのですね。
この夏、ヘビーユースしそうな予感がします。いいぞ、ステテコ!!(あ、そういや、ふんどしってどうなんだろ??)
2012年05月14日
ひび割れた身体
麗らかな日が続いていますね。
ここんところ、どうでもいいような、よしなしごとばかりを書いていて、標榜する”僧侶としての生活”については、まるっきり触れていませんでした。反省。
書いていなかった、というのは書くべきネタがある訳ではなくて、逆に書くところまで手が回らないくらい、”リア充”だったのかもしれません。あ、でもきちんと法事やお葬儀や掃除といった日常はこなしていますが・・・そう、”相も変わらず”、が大事なんです。
先月後半から記憶をたどりつつ・・・。

まずはなんと言っても『太極拳講座』!!西光寺の檀家さんの会、護持会が企画し実施された、いわば”お寺イベント”の第一弾!太極拳を西光寺の本堂で行いました。
55名の定員は満席!しかもキャンセル待ちが出るほどでした。
内容も充実していました。
般若心経を皆さんで読み、その後私が少しだけお経の意味を説明させて頂き、太極拳講座スタート。
はじめは理論。そして、簡単な体操のような運動を始めると、みなさん眼が真剣そのものに。
天気は悪かったものの、その雨雲を吹き飛ばすかのような熱気あふれる講座でした。時間帯もペースも内容も、どれも満点でした。アンケート結果は”またやりたい”が100%★
間違いなく次回も継続して実施されるでしょう。
この講座のポイントは、ずばり講師さんの卓越した指導力と、お人柄でしょう。真剣な中にも大いに笑いがある話で、みなさん魅了されていました。(最後には演武もしていただきました。”息をのむ”とは当にこの事!)
しかも見ず知らずの外部講師ではなく、西光寺の檀家さん。いやはや、有り難い事です。
次は約半年ぶりの永平寺へ。
普段から親しくさせて頂いている若手僧侶が、永平寺での法要で特別に導師(法要の司る、一番大事な役)を拝命されたので、その法要に参列してきました。
雪国とはいえ、4月も終わり。暖かな日になり、荘厳で厳粛な法要に参加することが出来ました。これは筆舌に尽くしがたい、有り難い法縁です。
次。
GWは全くなかった泰明ですが(涙)GWに、とってもうれしいことがありました。
それは、ウチのお檀家さんの娘さんがアメリカから一時帰国され、アメリカの子ども服をプレゼントしてくださったこと!
その娘さんのお子さん(ややややこしいが)も、ウチの子と同じ月に生まれたそう。同じ女の子だし、しかも名前が似ているし、ご縁があるなぁ、と感謝する次第。
ちなみに、泰明は数年前にカリフォルニアにあるお寺の法要に参列した際、アメリカに住むこのお檀家さんにお目にかかることが出来ました。これも縁の成せる業!!
次。今予定表見てて思い出した。
GW中は、布教師総会、という会議があって豊川稲荷(ここは妙厳寺という”お寺”です)へ。
今年4月から2年間、東三河の僧侶の中で”布教師”という役を拝命したのでした。・・・泰明、法話が極めて苦手なんですが・・・ちゃんとつとまるのかな・・・(汗)
次。
どうでもいいネタで最後です。
校区のソフトボール大会があって、この前、夜に練習だけ参加してきました。(大会は日曜なので、出られなかった)
普段、運動を全くしない泰明。ソフトボールも半年前に1度やったのですが、それ以前、最後にやったのは・・・多分高校生くらいじゃないかしら。
現在、体が”ひび割れた陶器”のような状態です。ちょっとは運動しないと・・・。
ここんところ、どうでもいいような、よしなしごとばかりを書いていて、標榜する”僧侶としての生活”については、まるっきり触れていませんでした。反省。
書いていなかった、というのは書くべきネタがある訳ではなくて、逆に書くところまで手が回らないくらい、”リア充”だったのかもしれません。あ、でもきちんと法事やお葬儀や掃除といった日常はこなしていますが・・・そう、”相も変わらず”、が大事なんです。
先月後半から記憶をたどりつつ・・・。

まずはなんと言っても『太極拳講座』!!西光寺の檀家さんの会、護持会が企画し実施された、いわば”お寺イベント”の第一弾!太極拳を西光寺の本堂で行いました。
55名の定員は満席!しかもキャンセル待ちが出るほどでした。
内容も充実していました。
般若心経を皆さんで読み、その後私が少しだけお経の意味を説明させて頂き、太極拳講座スタート。
はじめは理論。そして、簡単な体操のような運動を始めると、みなさん眼が真剣そのものに。
天気は悪かったものの、その雨雲を吹き飛ばすかのような熱気あふれる講座でした。時間帯もペースも内容も、どれも満点でした。アンケート結果は”またやりたい”が100%★
間違いなく次回も継続して実施されるでしょう。
この講座のポイントは、ずばり講師さんの卓越した指導力と、お人柄でしょう。真剣な中にも大いに笑いがある話で、みなさん魅了されていました。(最後には演武もしていただきました。”息をのむ”とは当にこの事!)
しかも見ず知らずの外部講師ではなく、西光寺の檀家さん。いやはや、有り難い事です。
次は約半年ぶりの永平寺へ。
普段から親しくさせて頂いている若手僧侶が、永平寺での法要で特別に導師(法要の司る、一番大事な役)を拝命されたので、その法要に参列してきました。
雪国とはいえ、4月も終わり。暖かな日になり、荘厳で厳粛な法要に参加することが出来ました。これは筆舌に尽くしがたい、有り難い法縁です。
次。
GWは全くなかった泰明ですが(涙)GWに、とってもうれしいことがありました。
それは、ウチのお檀家さんの娘さんがアメリカから一時帰国され、アメリカの子ども服をプレゼントしてくださったこと!
その娘さんのお子さん(ややややこしいが)も、ウチの子と同じ月に生まれたそう。同じ女の子だし、しかも名前が似ているし、ご縁があるなぁ、と感謝する次第。
ちなみに、泰明は数年前にカリフォルニアにあるお寺の法要に参列した際、アメリカに住むこのお檀家さんにお目にかかることが出来ました。これも縁の成せる業!!
次。今予定表見てて思い出した。
GW中は、布教師総会、という会議があって豊川稲荷(ここは妙厳寺という”お寺”です)へ。
今年4月から2年間、東三河の僧侶の中で”布教師”という役を拝命したのでした。・・・泰明、法話が極めて苦手なんですが・・・ちゃんとつとまるのかな・・・(汗)
次。
どうでもいいネタで最後です。
校区のソフトボール大会があって、この前、夜に練習だけ参加してきました。(大会は日曜なので、出られなかった)
普段、運動を全くしない泰明。ソフトボールも半年前に1度やったのですが、それ以前、最後にやったのは・・・多分高校生くらいじゃないかしら。
現在、体が”ひび割れた陶器”のような状態です。ちょっとは運動しないと・・・。
2012年05月08日
その男の名は・・・
先週の青be、1面インタビュー記事は歌舞伎役者の市川亀治郎さんでした。
恐れながら、お顔しか拝見したことがなく、そのご活躍も全く存じませんでした。
しかし、今回のこのインタビュー内容を読み、図らずもこんな印象を受けました。
それは・・・
この人、坊さんか??!(笑)
いやいや、この頭の良さにして、こうした思想をお持ちとは、正直驚きました。この数回のフロントランナーで、一番感銘を受けたかも。
以下、通例のごとく適宜抜粋。
***
-本文より-
(襲名披露の発言について)一代で咲かせた名だけに、さぞやと問えば、「8割はリップサービス。洋服を買い替えるように、愛着はあっても感傷はない。」と煙に巻く。
語るに落ちたり、2割は本気?問えば一瞬、つまる表情に本音がちらり。
猿之助の弟、四代目段四郎の長男。「痩せて声も高い」と女形で研鑽したが、今やシェークスピア劇から映画にドラマ、バラエティーまで、「兼ねる役者」だ。猛烈な読書家で美術解説や書評も手がける。どこまでもマルチだ。
***
インタビュアー)140年続く代々で初めて女形出身の猿之助ですね。
「どんな名か、ではなく、どんな舞台か、を見て欲しい。名跡は、継承した代々が責任を持ち、努力してきた結果であって、名前そのものに力があるわけではないから。」
+++
(歌舞伎の台本も)時代に合わせてアップデートしないと。僕らもいずれ先達になり、200年後には後進にばっさり本を切られるのだろうし、そうでなければいけない。
+++
人は皆、自分で選んでその人生を生まれてきたと信じている。よいことも悪いことも、すべて承知でこの世にあると。
この一生で完結しなけりゃ、また来世に生まれるのだろう。そう思えば、何事にも執着しない。
+++
「まず懐疑せよ。」梅原(註:猛)先生の著書に学んだ鉄則です。
+++
(新作歌舞伎を作ることと制作費について)
無知なら平気で「何億」といえるが、知れば蛮勇は振るえない。
+++
つまらないものを未来に伝えるぐらいなら、僕らの手で引導を渡します。裏返せば、それも愛かな。僕だけじゃない、400年余の歴史に連なる先達も、きっと思いは同じです。
++++++++

発言内容も多彩で、つまるところ、”これ”と言う焦点を絞りきれないのですが、(もっと採り上げたい点もあり)上述の発言もかなり興味深いですね。
歌舞伎と僧侶、まったく生きる世界が違うし、スタンスも違いますが、それでも”伝統”というものを背負う覚悟は、常人とは違うと拝察します。
「名跡は、継承した代々が責任を持ち、努力してきた結果」・・・これなんて、まさに”歴代の住職”と言い換えると、背筋も伸びます。名誉や役得や年収で住職になったり、お寺を選んで入る訳ではないので。だからこそ、”受け伝えて今がある”ことの重みもまた感じるわけで。
「この一生で完結しなけりゃ、また来世に生まれるのだろう。そう思えば、何事にも執着しない。」・・・良い表現ですね。何度も言いますが、来世が実在するとかしないとか、どうでも良いんです。だけど、それを肯って如何に生きるか、が肝心要ではないでしょうか。それに”執着しない”って・・・坊さんみたいだ(笑)
亀治郎氏は、しきりに型ではなく”精神”を継承することの重要性を力説します。私自身、どちらも大事だと思っているのですが、勘違いしてはいけないのは・・・「古いモノ=形にこだわる=意味のないもの=捨てるべきモノ」という短絡的な考えに堕してはいけない、ということ。
とかく、仏教もそうだし、およその歴史あるものって「形を壊すこと=先進的」と思われるかもしれません。形に捕らわれないことが、無批判で”価値がある”ように思われがち。ですが、お釈迦さんの手のひらで逃げ回っている孫悟空のように、どこまでいっても所詮は誰かの猿まねです。
であれば、基本(古典)を徹底的に学ぶ、まねぶこと。これが肝要だと感じます。(と、偉そうに言っていますが、どちらかというと、私も「形に捕らわれないこと=先進的」と単純に信じていた時期もありました・・・恥)
その意味では、古典をみっちり学んだ上で行う亀治郎氏の発言は、だからこその重みがあります。
目の離せない役者さんですね。勉強になりました。合掌
恐れながら、お顔しか拝見したことがなく、そのご活躍も全く存じませんでした。
しかし、今回のこのインタビュー内容を読み、図らずもこんな印象を受けました。
それは・・・
この人、坊さんか??!(笑)
いやいや、この頭の良さにして、こうした思想をお持ちとは、正直驚きました。この数回のフロントランナーで、一番感銘を受けたかも。
以下、通例のごとく適宜抜粋。
***
-本文より-
(襲名披露の発言について)一代で咲かせた名だけに、さぞやと問えば、「8割はリップサービス。洋服を買い替えるように、愛着はあっても感傷はない。」と煙に巻く。
語るに落ちたり、2割は本気?問えば一瞬、つまる表情に本音がちらり。
猿之助の弟、四代目段四郎の長男。「痩せて声も高い」と女形で研鑽したが、今やシェークスピア劇から映画にドラマ、バラエティーまで、「兼ねる役者」だ。猛烈な読書家で美術解説や書評も手がける。どこまでもマルチだ。
***
インタビュアー)140年続く代々で初めて女形出身の猿之助ですね。
「どんな名か、ではなく、どんな舞台か、を見て欲しい。名跡は、継承した代々が責任を持ち、努力してきた結果であって、名前そのものに力があるわけではないから。」
+++
(歌舞伎の台本も)時代に合わせてアップデートしないと。僕らもいずれ先達になり、200年後には後進にばっさり本を切られるのだろうし、そうでなければいけない。
+++
人は皆、自分で選んでその人生を生まれてきたと信じている。よいことも悪いことも、すべて承知でこの世にあると。
この一生で完結しなけりゃ、また来世に生まれるのだろう。そう思えば、何事にも執着しない。
+++
「まず懐疑せよ。」梅原(註:猛)先生の著書に学んだ鉄則です。
+++
(新作歌舞伎を作ることと制作費について)
無知なら平気で「何億」といえるが、知れば蛮勇は振るえない。
+++
つまらないものを未来に伝えるぐらいなら、僕らの手で引導を渡します。裏返せば、それも愛かな。僕だけじゃない、400年余の歴史に連なる先達も、きっと思いは同じです。
++++++++

発言内容も多彩で、つまるところ、”これ”と言う焦点を絞りきれないのですが、(もっと採り上げたい点もあり)上述の発言もかなり興味深いですね。
歌舞伎と僧侶、まったく生きる世界が違うし、スタンスも違いますが、それでも”伝統”というものを背負う覚悟は、常人とは違うと拝察します。
「名跡は、継承した代々が責任を持ち、努力してきた結果」・・・これなんて、まさに”歴代の住職”と言い換えると、背筋も伸びます。名誉や役得や年収で住職になったり、お寺を選んで入る訳ではないので。だからこそ、”受け伝えて今がある”ことの重みもまた感じるわけで。
「この一生で完結しなけりゃ、また来世に生まれるのだろう。そう思えば、何事にも執着しない。」・・・良い表現ですね。何度も言いますが、来世が実在するとかしないとか、どうでも良いんです。だけど、それを肯って如何に生きるか、が肝心要ではないでしょうか。それに”執着しない”って・・・坊さんみたいだ(笑)
亀治郎氏は、しきりに型ではなく”精神”を継承することの重要性を力説します。私自身、どちらも大事だと思っているのですが、勘違いしてはいけないのは・・・「古いモノ=形にこだわる=意味のないもの=捨てるべきモノ」という短絡的な考えに堕してはいけない、ということ。
とかく、仏教もそうだし、およその歴史あるものって「形を壊すこと=先進的」と思われるかもしれません。形に捕らわれないことが、無批判で”価値がある”ように思われがち。ですが、お釈迦さんの手のひらで逃げ回っている孫悟空のように、どこまでいっても所詮は誰かの猿まねです。
であれば、基本(古典)を徹底的に学ぶ、まねぶこと。これが肝要だと感じます。(と、偉そうに言っていますが、どちらかというと、私も「形に捕らわれないこと=先進的」と単純に信じていた時期もありました・・・恥)
その意味では、古典をみっちり学んだ上で行う亀治郎氏の発言は、だからこその重みがあります。
目の離せない役者さんですね。勉強になりました。合掌
2012年05月06日
城南信用金庫と脱原発
僧侶の座談会が掲載された今号の『通販生活』。
いつも思うのですが、商品より、連載記事の方が骨太で面白かったりする。
連載『落合恵子の深呼吸対談』・・・作家の落合恵子さんが、ゲストを迎えてのインタビュー。正直、あんまり落合氏の謂いが好きではなかったりするのですが(内緒)、でも今回の対談相手、城南信用金庫の吉原毅理事長のお話は、勇気づけられます。
これまた結構長いので、適宜端折ります。
前提として・・・
福島第一原発の事故を受けて、いち早くホームページで「原発に頼らないで安心できる社会へ」という文章を発表した城南信用金庫。企業は、結局利益や効率を最優先するというイメージを払拭しました。
以下は、吉原理事長の談
+++
そもそも銀行と信用金庫はそのルーツが違います。信用金庫のルーツは1844年にイギリスで生まれた協同組合運動。信用金庫の目的は、お金中心の世の中がもたらす弊害を是正し、地域を守り、地域を幸せにすること。
あのとき、「脱原発宣言」をしていなければ、城南信用金庫が存在する意味がなくなってしまうと思ったんですね。
理事長に就任する際、「これからの信用金庫は原点に回帰して、理想を持たなければいけない。ただの金儲けの組織になっては存在する意味がない」と私は職員に言いました。
+++
日本の全電力のうち原発によって造られた電力は約30%とされていて、だから「原発を止めると電気が足りなくなる」と電力会社は言います。
それならば、まず節電しようじゃないかと、店舗で実際にやってみたんです。そうしたら85の全店舗で3割の節電が簡単にできた。
それから、うちでは今年1月1日から電力の供給元を東電からPPS(特定規模電気事業者)へ切り替えました。
(需要が増えれば、供給も増える)結果的には東京電力よりもPPSのほうが安いことが実証されてしまった。
(電力が足りないとか、原発はコストが安いとか神話があるが)経済のメカニズムを用いて、正々堂々と原発に頼らない社会を実現できるんです。
+++
(落合氏の「企業も個人でも、こんな非情な時代に、くすんでしまう方と、切り拓いていこうとされる方がいらっしゃると思います」を受けて・・・)
理事長に就任する時に、「企業は何のためにあるのか」を考えました。企業はお金儲けのためだけじゃなく、志を持って何事かをなすために存在するんだと決意してスタートしました。こういう大変なときに、勇気を持って発言しなければ、誇りも何もなくなってしまいますよね。
いまの世の中は、自分の生命とカネのことばかり考えていて「勇気」の価値を小馬鹿にして軽蔑するような風潮があります。
でも、自分を超える何者かが存在するという気持ちがあって、初めて勇気は出てくる。
+++
金融が自由化された96年以前は、もう少し、企業の将来や日本の将来がどうあるべきかを議論する風潮がありました。その頃の銀行の頭取は、権威もあったし、見識もあった。銀行が企業に対して、客観的な立場からアドバイスをしながら、経営を支援していく役割を自覚していたからです。
ところが、金融自由化後は「市場だけが正義」となり、お金が猛威を振るうマモニズム(拝金主義)の世界になってしまった。私は、これは「宗教」だと思います。
拝金主義の根本とは、昔は理想だと思われていた「自由主義」とか「個人主義」なんです。
われわれの若い頃に足枷だと思われていたしがらみやパターナリズムを排除して、個人主義や自由主義が極限まで行き着いたら、お金でしか物事がつながらなくなってしまった。
(引用ここまで)+++

いやぁ、まったくその通りですね。特に最後の段「拝金主義は”宗教”」には膝を打ちました。まったくその通りです。佐伯啓思先生が指摘されていたことはまさにこの段にあることです。
”拝金教”がたちが悪いのは、それが宗教じみている、と誰も思わないことです。しかもほとんどの日本人が熱心に”帰依”している(笑)カルトの方が、よほど分かりやすい。
もちろん、お金は生きていく上で、不可欠なものです。私はそれを否定しているのではない。私にだって必要だし、それはこれからも変わらない。あくまで”お金至上主義”と、その背景にあるものを私は指摘しています。
インタビューの最後で、吉原理事長は「最近のサラリーマンたちの間で、アダム・スミスの『道徳論』が多く読まれている。結局人間は、連帯感や思いやりなどを大切にしたコミュニティの中で存在するものなんだ」と言われていました。ここも佐伯氏の指摘していた「日本人が、仏教や儒教や神道から受け継ぎ得た道徳」に符合するモノだと思います。
でもなぁ・・・いくら言っても、所詮坊主が、お金のことを言うと”生臭坊主”って言われるんだよなぁ・・・。
吉原理事長の様な、ばりばりの金融関係者が自ら発する言葉ってありがたみがありますよね。ま、”勇気”をもって発言しなさい、ってお諭しかな。
いつも思うのですが、商品より、連載記事の方が骨太で面白かったりする。
連載『落合恵子の深呼吸対談』・・・作家の落合恵子さんが、ゲストを迎えてのインタビュー。正直、あんまり落合氏の謂いが好きではなかったりするのですが(内緒)、でも今回の対談相手、城南信用金庫の吉原毅理事長のお話は、勇気づけられます。
これまた結構長いので、適宜端折ります。
前提として・・・
福島第一原発の事故を受けて、いち早くホームページで「原発に頼らないで安心できる社会へ」という文章を発表した城南信用金庫。企業は、結局利益や効率を最優先するというイメージを払拭しました。
以下は、吉原理事長の談
+++
そもそも銀行と信用金庫はそのルーツが違います。信用金庫のルーツは1844年にイギリスで生まれた協同組合運動。信用金庫の目的は、お金中心の世の中がもたらす弊害を是正し、地域を守り、地域を幸せにすること。
あのとき、「脱原発宣言」をしていなければ、城南信用金庫が存在する意味がなくなってしまうと思ったんですね。
理事長に就任する際、「これからの信用金庫は原点に回帰して、理想を持たなければいけない。ただの金儲けの組織になっては存在する意味がない」と私は職員に言いました。
+++
日本の全電力のうち原発によって造られた電力は約30%とされていて、だから「原発を止めると電気が足りなくなる」と電力会社は言います。
それならば、まず節電しようじゃないかと、店舗で実際にやってみたんです。そうしたら85の全店舗で3割の節電が簡単にできた。
それから、うちでは今年1月1日から電力の供給元を東電からPPS(特定規模電気事業者)へ切り替えました。
(需要が増えれば、供給も増える)結果的には東京電力よりもPPSのほうが安いことが実証されてしまった。
(電力が足りないとか、原発はコストが安いとか神話があるが)経済のメカニズムを用いて、正々堂々と原発に頼らない社会を実現できるんです。
+++
(落合氏の「企業も個人でも、こんな非情な時代に、くすんでしまう方と、切り拓いていこうとされる方がいらっしゃると思います」を受けて・・・)
理事長に就任する時に、「企業は何のためにあるのか」を考えました。企業はお金儲けのためだけじゃなく、志を持って何事かをなすために存在するんだと決意してスタートしました。こういう大変なときに、勇気を持って発言しなければ、誇りも何もなくなってしまいますよね。
いまの世の中は、自分の生命とカネのことばかり考えていて「勇気」の価値を小馬鹿にして軽蔑するような風潮があります。
でも、自分を超える何者かが存在するという気持ちがあって、初めて勇気は出てくる。
+++
金融が自由化された96年以前は、もう少し、企業の将来や日本の将来がどうあるべきかを議論する風潮がありました。その頃の銀行の頭取は、権威もあったし、見識もあった。銀行が企業に対して、客観的な立場からアドバイスをしながら、経営を支援していく役割を自覚していたからです。
ところが、金融自由化後は「市場だけが正義」となり、お金が猛威を振るうマモニズム(拝金主義)の世界になってしまった。私は、これは「宗教」だと思います。
拝金主義の根本とは、昔は理想だと思われていた「自由主義」とか「個人主義」なんです。
われわれの若い頃に足枷だと思われていたしがらみやパターナリズムを排除して、個人主義や自由主義が極限まで行き着いたら、お金でしか物事がつながらなくなってしまった。
(引用ここまで)+++

いやぁ、まったくその通りですね。特に最後の段「拝金主義は”宗教”」には膝を打ちました。まったくその通りです。佐伯啓思先生が指摘されていたことはまさにこの段にあることです。
”拝金教”がたちが悪いのは、それが宗教じみている、と誰も思わないことです。しかもほとんどの日本人が熱心に”帰依”している(笑)カルトの方が、よほど分かりやすい。
もちろん、お金は生きていく上で、不可欠なものです。私はそれを否定しているのではない。私にだって必要だし、それはこれからも変わらない。あくまで”お金至上主義”と、その背景にあるものを私は指摘しています。
インタビューの最後で、吉原理事長は「最近のサラリーマンたちの間で、アダム・スミスの『道徳論』が多く読まれている。結局人間は、連帯感や思いやりなどを大切にしたコミュニティの中で存在するものなんだ」と言われていました。ここも佐伯氏の指摘していた「日本人が、仏教や儒教や神道から受け継ぎ得た道徳」に符合するモノだと思います。
でもなぁ・・・いくら言っても、所詮坊主が、お金のことを言うと”生臭坊主”って言われるんだよなぁ・・・。
吉原理事長の様な、ばりばりの金融関係者が自ら発する言葉ってありがたみがありますよね。ま、”勇気”をもって発言しなさい、ってお諭しかな。
2012年04月19日
恐山の、恐ろし~~~い心理テスト
南直哉老師のブログ『恐山あれこれ日記』に面白い心理テスト(?)が出ていました。
何のテストか分からないままやってみました。「→」以下は泰明の回答。

http://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/2012/04/post_a0bb.html
______________
2012/04/10
【テスト】
一、自殺をすべきでないと考えるが、自殺者を否定しない。
→○
一、言葉を信じないが、言葉以外に頼りにするものがない。
→○~△・・・”言葉以外に”というのはどうかな?言葉以外で頼れることはあると思う。
一、「真理」の主張を愚かだと思うが、そうする人の欲望は理解できる。
→○・・・愚かとは思わないけど、”そうする人の欲望”は十分理解できる。
一、神仏の実在はどうでもよいと思うが、それを信じる人の実存には大いに興味がある。
→○
一、霊能力や超能力の話は面白いと思うが、それを持つと公言する人には関心がない。
→○
一、他人の「心」を知りたいとは思わないが、他人の言葉を理解したいと思う。
→△・・・知り得るものなら「心」もついでに(笑)
一、他人を「救済」できるとは思わないが、他人の苦しみを認識したいと思う。
→△~○・・・救済できる、という確かな手応えや、妙な確信はないが、結果的に”救済”できることもあるだろうし、それを目指さなければ大乗仏教ではない。
一、希望を持つ習慣がないが、成り行きを考える性癖がある。
→×・・・これ、質問の意味がよく理解できませんでした。成り行きって何の?「希望=プロスペクト」、に対する「成り行きを考える=プレディクト」か??
一、絶望するほどの困難を知らないが、断念する技術は知っている。
→△・・・まぁまぁそう言える。
一、一切のアイデアや価値観には、それを無条件で「正しい」とする根拠に欠けていると思う点で、相対論者だが、人間はそれらから何かを選択せざるをえないと考えることにおいて、相対主義者ではない。
→○・・・ホントにその通り。
で、これ何のテストだろう、と疑問に思われますよね。最後に南老師の答え。
あはは、ほとんど全部当てはまってる(笑)
泰明は仏教に向いている・・・かな???!
何のテストか分からないままやってみました。「→」以下は泰明の回答。

http://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/2012/04/post_a0bb.html
______________
2012/04/10
【テスト】
一、自殺をすべきでないと考えるが、自殺者を否定しない。
→○
一、言葉を信じないが、言葉以外に頼りにするものがない。
→○~△・・・”言葉以外に”というのはどうかな?言葉以外で頼れることはあると思う。
一、「真理」の主張を愚かだと思うが、そうする人の欲望は理解できる。
→○・・・愚かとは思わないけど、”そうする人の欲望”は十分理解できる。
一、神仏の実在はどうでもよいと思うが、それを信じる人の実存には大いに興味がある。
→○
一、霊能力や超能力の話は面白いと思うが、それを持つと公言する人には関心がない。
→○
一、他人の「心」を知りたいとは思わないが、他人の言葉を理解したいと思う。
→△・・・知り得るものなら「心」もついでに(笑)
一、他人を「救済」できるとは思わないが、他人の苦しみを認識したいと思う。
→△~○・・・救済できる、という確かな手応えや、妙な確信はないが、結果的に”救済”できることもあるだろうし、それを目指さなければ大乗仏教ではない。
一、希望を持つ習慣がないが、成り行きを考える性癖がある。
→×・・・これ、質問の意味がよく理解できませんでした。成り行きって何の?「希望=プロスペクト」、に対する「成り行きを考える=プレディクト」か??
一、絶望するほどの困難を知らないが、断念する技術は知っている。
→△・・・まぁまぁそう言える。
一、一切のアイデアや価値観には、それを無条件で「正しい」とする根拠に欠けていると思う点で、相対論者だが、人間はそれらから何かを選択せざるをえないと考えることにおいて、相対主義者ではない。
→○・・・ホントにその通り。
で、これ何のテストだろう、と疑問に思われますよね。最後に南老師の答え。
さて、これらのうち、五つ以上あてはまる人は、仏教に向いている・・・・・かな?
あはは、ほとんど全部当てはまってる(笑)
泰明は仏教に向いている・・・かな???!
2012年04月05日
社員に良い会社
先週、3月31日付のbe(朝日新聞土曜版)の一面記事「フロントランナー」より。
今回は、日本の会社の99%を占める中小企業をフィールドワークしてきた法政大学大学院教授 坂本光司さんのインタビューでした。フィールドワークしてきた会社は6000社!!!この実行力、尋常ではありません。
さて、以下記事を抜粋します。
___________
よい会社とは何か?そのものさしを変えるべきだ-――
自ら訪ね歩いた会社の情報をもとにした著作『日本でいちばん大切にしたい会社』が売れている。
取り上げているのは、世界に誇る技術を持った町工場でも、大ヒット商品を生み出した会社でもない。安定した業績を上げながら、「徹底的に人を大切にする経営」を実践している会社ばかりだ。
根底には「『正しい経営』をしている会社に光をあてたい」という思いがある。
「正しさ」の基準はシンプル。会社に関わる「5人」を重視する経営だという。社員とその家族、外注先・下請け企業、顧客、地域社会、最後に株主。この優先順位にこそ意味がある、と強調する。
「顧客のことを考えるより、社員の幸せを真っ先に考えるのが経営者の仕事」と言い切る。
「社員第一主義なんてきれいごと」という声には、こう反論する。
「社員を大切にしている会社はどこも好業績です。私が語っていることは、理想でも理論でもない。この目で見てきた現実なのです」
・・・・・・・
坂本氏)私が提唱している「正しい経営」とは、人を犠牲にしない、路頭に迷わせないという経営です。
質問者)といっても業績を気にしないわけにはいかない。
坂本氏)業績や利益を軸に経営を考えるから、おかしくなるんです。業績ではなく、社員の幸せを軸に考えるべきです。
質問者)でも、それでやっていけるんでしょうか?
坂本氏) 私が回った6600社の会社のうち1割は、好況でも不況でも快進撃なんです。その会社のヒアリングをすると、共通項は社員を大切にする「人本主義」を貫いていると言うことです。業績を高めたいと意図して、達成した好業績ではない。
自分の所属する組織に不満や不信感を持っている人間が、お客さんにニコニコ顔で対応できるでしょうか?
自分が虫けらのように扱われていながら、その経営者や上司のために一生懸命働こうと思う人は、そうはいません。
新興国に価格競争で勝てるはずがない。価格以外で勝負するしかありません。
円高のために国内の工場を閉鎖して、人件費の安い海外で生き延びようとしている会社も多い。あたなは、いったい何のために経営をしているのですか、と言いたくなる。
・・・・・
_____________________

いろいろと、面白い点がちりばめられていますね。
「社員とその家族、外注先・下請け企業、顧客、地域社会、最後に株主。この優先順位にこそ意味がある、と強調する。」これを、お寺にひきあてて考えてみると・・・
「(住職は)、お寺に所属する僧侶(本来は修行僧)とその家族、縁のあるお寺、檀家、地域社会。(株主はない)」となりましょうか。
正直、ちょっと無理のある比定であるのは否めません。別に無理にお寺に喩える必要もないかもしれませんが、少なくとも、“社員”を強引に“檀家”にすると・・・
おぉ、見えてくる図式がありますね。特に後半の“自分の所属する組織に不満や不信感を持っている人間が、お客さんにニコニコ顔で対応できるでしょうか?”とは、得心しました。
檀家さんは、イコールお客でも、イコール社員でもないのですが、少なくとも、自分のお寺への不満や不信感(もっとたちが悪いのは“無関心”)を抱きながら、仏教を信仰し、実践する、つまり“仏教的によく生きる”ことは不可能だ、と見えます。この点、私は重々考えていかなければならない、と思います。
そう言っておきながら、前々から言っているように、お寺はサービス業とイコールではありません。僧侶は”仏道を行じる”ことが本分であります。
このバランスがホントに難しい。
次回に続きます。
今回は、日本の会社の99%を占める中小企業をフィールドワークしてきた法政大学大学院教授 坂本光司さんのインタビューでした。フィールドワークしてきた会社は6000社!!!この実行力、尋常ではありません。
さて、以下記事を抜粋します。
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よい会社とは何か?そのものさしを変えるべきだ-――
自ら訪ね歩いた会社の情報をもとにした著作『日本でいちばん大切にしたい会社』が売れている。
取り上げているのは、世界に誇る技術を持った町工場でも、大ヒット商品を生み出した会社でもない。安定した業績を上げながら、「徹底的に人を大切にする経営」を実践している会社ばかりだ。
根底には「『正しい経営』をしている会社に光をあてたい」という思いがある。
「正しさ」の基準はシンプル。会社に関わる「5人」を重視する経営だという。社員とその家族、外注先・下請け企業、顧客、地域社会、最後に株主。この優先順位にこそ意味がある、と強調する。
「顧客のことを考えるより、社員の幸せを真っ先に考えるのが経営者の仕事」と言い切る。
「社員第一主義なんてきれいごと」という声には、こう反論する。
「社員を大切にしている会社はどこも好業績です。私が語っていることは、理想でも理論でもない。この目で見てきた現実なのです」
・・・・・・・
坂本氏)私が提唱している「正しい経営」とは、人を犠牲にしない、路頭に迷わせないという経営です。
質問者)といっても業績を気にしないわけにはいかない。
坂本氏)業績や利益を軸に経営を考えるから、おかしくなるんです。業績ではなく、社員の幸せを軸に考えるべきです。
質問者)でも、それでやっていけるんでしょうか?
坂本氏) 私が回った6600社の会社のうち1割は、好況でも不況でも快進撃なんです。その会社のヒアリングをすると、共通項は社員を大切にする「人本主義」を貫いていると言うことです。業績を高めたいと意図して、達成した好業績ではない。
自分の所属する組織に不満や不信感を持っている人間が、お客さんにニコニコ顔で対応できるでしょうか?
自分が虫けらのように扱われていながら、その経営者や上司のために一生懸命働こうと思う人は、そうはいません。
新興国に価格競争で勝てるはずがない。価格以外で勝負するしかありません。
円高のために国内の工場を閉鎖して、人件費の安い海外で生き延びようとしている会社も多い。あたなは、いったい何のために経営をしているのですか、と言いたくなる。
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いろいろと、面白い点がちりばめられていますね。
「社員とその家族、外注先・下請け企業、顧客、地域社会、最後に株主。この優先順位にこそ意味がある、と強調する。」これを、お寺にひきあてて考えてみると・・・
「(住職は)、お寺に所属する僧侶(本来は修行僧)とその家族、縁のあるお寺、檀家、地域社会。(株主はない)」となりましょうか。
正直、ちょっと無理のある比定であるのは否めません。別に無理にお寺に喩える必要もないかもしれませんが、少なくとも、“社員”を強引に“檀家”にすると・・・
おぉ、見えてくる図式がありますね。特に後半の“自分の所属する組織に不満や不信感を持っている人間が、お客さんにニコニコ顔で対応できるでしょうか?”とは、得心しました。
檀家さんは、イコールお客でも、イコール社員でもないのですが、少なくとも、自分のお寺への不満や不信感(もっとたちが悪いのは“無関心”)を抱きながら、仏教を信仰し、実践する、つまり“仏教的によく生きる”ことは不可能だ、と見えます。この点、私は重々考えていかなければならない、と思います。
そう言っておきながら、前々から言っているように、お寺はサービス業とイコールではありません。僧侶は”仏道を行じる”ことが本分であります。
このバランスがホントに難しい。
次回に続きます。
タグ :ワークライフバランス