2011年12月01日
座れ坐れ据われ
早いもので、今日から師走に入りました。
そして、今日から“臘八摂心”。
・・・まったく読めないですよね、この単語。
“ろうはつせっしん”と読みます。
臘(臘月=12月)八(=8日)を意味しており、これはブッダが悟りを開かれた日、とされています。
12月8日を成道会(じょうどうえ)といい、仏教徒の中では非常に重要な3つの日・・・おさらいですが、生まれた日(4月8日)と亡くなられた日(2月15日)・・・の一つです。
そして、ブッダは菩提樹の木の下で一週間の坐禅をし、ついに8日の朝、明けの明星を見て悟られた、とされています。
その故事に因んでするのが、この臘八摂心なのです。“摂心”は簡単に言うなら“集中坐禅期間”とでも言いましょうか。我々僧侶は、この故事を追体験し、自らの修行の糧とするべく坐ります。
思い起こせば永平寺の修行時代は、この摂心がとても辛く感じました(笑)
だって、朝3時に起きてから、夜9時に寝るまで、ほとんどずっと坐禅。食事も坐禅を組んだまま。それを一週間ですよ!!!
恥ずかしながら、一年目の時は、もう少しで摂心が終わるという寸前に、たぶん今から考えるとエコノミー症候群になったようで、強烈な吐き気を催してしまい、あえなく終了直前でダウンという悲惨な思い出も・・・。
西光寺に戻ってきてからはさすがに一日中坐ることはできませんので、普通と同じように坐っていますが・・・それでも、こうしたことを単なる思い出とか、故事だけのものにしてはいけないとは思っています。
話が戻っちゃうけど、永平寺での摂心はとても寒く(当たり前か)この頃は雪がちらつきます。体の芯まで冷え切るこの寒い朝、一日の一番はじめの坐禅後に“しょうが湯”が振る舞われます。
これは砂糖とショウガを湯で溶かして葛でとろみをつけたもので、冷え切った体に染み渡り、あんなおいしいものはないんじゃないか、と言うくらいおいしく、また有り難いものでした。
西光寺では除夜の鐘の時に、私が作った手作り“しょうが湯”をお出ししていますよ。是非お越し下さい。
・・・なんかいつも食べ物の話ばっかりなような・・・。
そして、今日から“臘八摂心”。
・・・まったく読めないですよね、この単語。
“ろうはつせっしん”と読みます。
臘(臘月=12月)八(=8日)を意味しており、これはブッダが悟りを開かれた日、とされています。
12月8日を成道会(じょうどうえ)といい、仏教徒の中では非常に重要な3つの日・・・おさらいですが、生まれた日(4月8日)と亡くなられた日(2月15日)・・・の一つです。
そして、ブッダは菩提樹の木の下で一週間の坐禅をし、ついに8日の朝、明けの明星を見て悟られた、とされています。
その故事に因んでするのが、この臘八摂心なのです。“摂心”は簡単に言うなら“集中坐禅期間”とでも言いましょうか。我々僧侶は、この故事を追体験し、自らの修行の糧とするべく坐ります。
思い起こせば永平寺の修行時代は、この摂心がとても辛く感じました(笑)
だって、朝3時に起きてから、夜9時に寝るまで、ほとんどずっと坐禅。食事も坐禅を組んだまま。それを一週間ですよ!!!
恥ずかしながら、一年目の時は、もう少しで摂心が終わるという寸前に、たぶん今から考えるとエコノミー症候群になったようで、強烈な吐き気を催してしまい、あえなく終了直前でダウンという悲惨な思い出も・・・。
西光寺に戻ってきてからはさすがに一日中坐ることはできませんので、普通と同じように坐っていますが・・・それでも、こうしたことを単なる思い出とか、故事だけのものにしてはいけないとは思っています。
話が戻っちゃうけど、永平寺での摂心はとても寒く(当たり前か)この頃は雪がちらつきます。体の芯まで冷え切るこの寒い朝、一日の一番はじめの坐禅後に“しょうが湯”が振る舞われます。
これは砂糖とショウガを湯で溶かして葛でとろみをつけたもので、冷え切った体に染み渡り、あんなおいしいものはないんじゃないか、と言うくらいおいしく、また有り難いものでした。
西光寺では除夜の鐘の時に、私が作った手作り“しょうが湯”をお出ししていますよ。是非お越し下さい。
・・・なんかいつも食べ物の話ばっかりなような・・・。
この記事へのコメント
こんばんは
食事も坐禅を組んだままで、
しかもそれが1週間続くなんて……
なんだか違う世界のお話みたいです(笑
寒い朝のしょうが湯なんて
想像しただけでありがたい気持ちになります(;O;)
もう、“除夜の鐘”の話題が出てくるような時期なんですね。
早いなぁ…。
食事も坐禅を組んだままで、
しかもそれが1週間続くなんて……
なんだか違う世界のお話みたいです(笑
寒い朝のしょうが湯なんて
想像しただけでありがたい気持ちになります(;O;)
もう、“除夜の鐘”の話題が出てくるような時期なんですね。
早いなぁ…。
Posted by 志穏 at 2011年12月01日 23:13
>志穏さん
おはようございます。
ホントに摂心は大変な修行です。
でも、それがあるから、今の自分があると思えるような貴重な経験でもあります。坐禅のことをちょっと偉そうに語れるのは(笑)、こうしたことがベースになているかもしれません。
もう師走ですよ。志穏さんも冬休みに入られるのですか?寒くなりますので、どうぞご自愛下さい★
おはようございます。
ホントに摂心は大変な修行です。
でも、それがあるから、今の自分があると思えるような貴重な経験でもあります。坐禅のことをちょっと偉そうに語れるのは(笑)、こうしたことがベースになているかもしれません。
もう師走ですよ。志穏さんも冬休みに入られるのですか?寒くなりますので、どうぞご自愛下さい★
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年12月02日 07:45
永平寺は行ったことないですが、そこでの坐禅はとんでもなく厳しいというイメージがありましたけれど、やはりそうなのですね。
ほとんどずっと坐禅、食べる時も坐禅、う~ん、話を読む限りでもとても大変だと感じます。
ほとんどずっと坐禅、食べる時も坐禅、う~ん、話を読む限りでもとても大変だと感じます。
Posted by T.Emi at 2011年12月03日 01:15
>Emiさん
そうですね~時間の感覚も麻痺してくるし、そもそも坐禅堂は日中でも薄暗いので、天気が晴れているのか、曇りなのか、とかも分からなくなるし・・・いやはや大変なものです(笑)
そうそう、言葉が足りませんでしたが、一応サイクルがあって、45分座ったら5分歩いて、10分休憩(というかトイレ休憩)ということで、ずっと足を組んだまま、というわけではありません。
ただ、最後の日は深夜12時近くまで座り、最後の最後では達成感からなのか涙する修行僧もいると聞きます。
そうですね~時間の感覚も麻痺してくるし、そもそも坐禅堂は日中でも薄暗いので、天気が晴れているのか、曇りなのか、とかも分からなくなるし・・・いやはや大変なものです(笑)
そうそう、言葉が足りませんでしたが、一応サイクルがあって、45分座ったら5分歩いて、10分休憩(というかトイレ休憩)ということで、ずっと足を組んだまま、というわけではありません。
ただ、最後の日は深夜12時近くまで座り、最後の最後では達成感からなのか涙する修行僧もいると聞きます。
Posted by 泰明@西光寺
at 2011年12月03日 10:26
