2012年01月26日
【感謝!】ブログ一周年★+道元禅師のお誕生日
今日は私にとって特別な日。
それは、曹洞宗を開かれた、道元禅師(1200~1253)のお誕生日。
そして、私事、拙ブログの開設記念日でもあります。あれから1年が経ちました。曲がりなりにも、今日までやってこられたのは、檀家さんはじめ、多くの方々のご支援のお陰です。ありがとうございます。

今日はこの2つのテーマで少し。
まず、仏教者としての記事。
道元禅師とはどういう方か?ということを僅かに書いておきます。
道元禅師は、正治2年(1200年)、久我通具公(こがみちとも・村上源氏の流れ)を父として誕生。
母は藤原家の関係の方とされています。(しかし、未だに判然としていない)
ま、ごく簡単に言えば、家柄も正しい名門のセレブという感じでしょうか。
京都にお生まれ (ちなみに亡くなられるのも京都。永平寺じゃないんですねぇ)なのですが、この場所も確定されていません。ただ、一応関係のあった場所というのがありまして、現在は「誕生寺」というお寺が建てられています。
それから、重要なのは、母が道元禅師8歳の時に亡くなられたこと。このことが禅師の幼子心に痛烈な“無常観”を植え付け、これが機縁となって出家したと伝えられています。
今日はここまでにしておきます。来年はもう少し書いてみたいと思います。
次はブログについて。
まず、ホントにブログをやっていて良かった!と心から思えます。改めて皆さんに御礼申し上げます。いろんな変化が起きた一年でした。
この記事を書くにあたり、自分が一番はじめに書いた記事「はじめに」を読み返していました。さすがに何度も推敲を重ねただけあって、自分なりにはよく書けている・・・じゃなくて・・・(笑)
よく思えば、“芯がぶれていない”、悪く書けば“進歩がない”ということを感じました。一年経った後も、「はじめに」に書いた気持ちは全くもって相変わらずだし、むしろ強くなっているくらいです。2年目も“ぶれずに”書いていきたいと思います。
そして、おもしろいことに、“目指すべき3つのブログ”はこれまた全く気持ちに変わりがない。
奇しくも「彼岸寺」のメンバーには先日実際にお会いし、お話することもできました。
金子牧師さんとは遂に昨年末、一緒にライブをする仲に(笑)それ以上に、宗教者として、親しくお話を(というか、泰明が一方的に悩み相談をしてもらってる・・・汗)させてもらっています。
それから今年は、是非tenjin先輩の講義を拝聴したいと思います。やはり仏教を学ぶことは、心臓が鼓動するが如く、毎日毎日休まず続けなければ、と思うこのごろです。
さて、と言っても、ブログを始めてから何も変わらなかった訳ではありません。
一番大きな変化は、“理論より実践”と申しましょうか、頭で考えていたこと、それが実行し、実際の形になってきつつある。
ブログを始めた当初は、割とブログの中だけの表現・発信・発言をして満足していたのが、徐々にそれだけにとどまらず、実際のお寺や、豊橋という地域や、「どすごいブロガー」同士・檀家さまといった人とのつながりという、極めて実生活上に影響をしてきたこと、これは大きな変化です。
実際、文章を書き続けることで、自分の考えをまとめることが出来たり、それを人に伝えることも(苦手ではあるけれど)昔ほどは苦でもなくなりました。何かを伝えたい、と思うこともあり、同時に”伝えること”とはどういうことか、という事も考えるようになりました。確かに小さな変化かもしれませんが、自分の中では大きな前進です。
2年目は、“承”の年として、ブログを今まで通りのスタンス(説明文のような感じで、専門用語を極力使わず、分かりやすいように)を守って、お寺の生活を綴っていきたい、と思っております。(それが出来たとき、次のステージに進めるのかも、と考えています。)
次のステージというのは・・・具体的には、早急に西光寺のホームページを作らなきゃ、と。ホームページを作ることで、西光寺のオフィシャルな情報や、基本的な仏事(葬儀とか、法要とか、仏壇のお参りのしかたとか、西光寺の年間行事とか)についてのご案内ができる。こうすることでブログとは別にしておきたい。
そうすると、今まで未分化だったブログの記事が、少し役割分担ができ、基本情報はホームページで、そして泰明のやや個人的・内面的な文章はブログで、と考えています。(ま、まだ当分はできませんが・・・)
ということで、こんなブログですが、2年目もどうぞ宜しくお願い致します。