2011年07月27日

子ども参禅会@永平寺で得られたもの

・・・せっかく書いた文章が消えてしまいました・・・(涙)


前回の記事では、永平寺子ども参禅会の研修風景を中心にお送りしました。今日は、私が子ども参禅会を通して思ったことなどを書いてみます。

子ども参禅会@永平寺で得られたもの
「目にはさやかに 見えねども・・・」

古今和歌集の有名な歌ですね。目にははっきり見えなくても、という事で、今回の研修を通してたぶん子供たち自身”目にははっきり見えないけれど”成長があったと思います。

というのも、日程の前半はほとんど遊び。だから子どもたちも子どもたちらしく目いっぱい遊んで(暴れて?)ました。いつの世も子供は宝。元気に遊びまわっている姿は、一人の親としてうれしいものです。

しかし、ひとたび永平寺に入ると、帰るその瞬間まで作法やルールに従わなければなりません。何でこんなことしなきゃいけないんだ、と子供たちも口にします。その中には、今の世の中とは逆行するようなこともあるでしょう。

しかし、そこできちんと行う事、自分の好き嫌いに関わらず従う事が、ともすれば自己中だらけの世の中で、新たな価値を与えてくれるのかもしれません。

そこまで大げさではなくても、子供たちは実際、きちんと手を合わせ、決まり通りに坐禅をし、そして作法に則り食事をいただく。始めはできなかったり、反抗したり、口答えします。しかし、私たちや修行僧の姿を見、何度も行うことによって、身についていく。身に着くと、自然に自分勝手な振る舞いが少なくなっていく。この連続が、”目にはさやかに見えねども”何かしらの糧を子どもたちに与えているような気がしてなりません。

それこそが仏教だ、ともそれは仏教ではない、とも私は言い切れませんが、ともあれ、仏教は世法(世の中の常識やルール)とは違ったところで成立しています。数値に現れたり、はっきり目に見えることだけが評価される現代社会とは違って当然。

逆にハッキリ見て取れることもあります。それは坐禅。
最初子供たちはまったく坐禅ができません。当たり前です。普段やっていないんですから。しかし、何度の坐禅を通して、何も言われなくてもきちんと座ることができる。何より、姿勢が美しい。これは実際目の当たりにすると、結構感動します。

きちんと座る。ただそれだけのことが、実は行ってみると案外難しかったりする。それをいとも簡単に子供たちはクリアします。

子どもたちが遊園地や公園で走り回ったり騒いだりすることも確かにいいでしょう。しかし、永平寺のこの生活はそれだけではない”何か”がきっとあると思います。それは何か、と端的に表現することはできないのですが、それでも、複数回参加している子どもたちも多くいるところを見ると、きっと普段の生活では得られない”何か”があるのでしょう。

また来年も行われる予定です。ご興味のある親御さんは詳しい日程や参加費などお知らせしますので、どうぞお気軽にお尋ねください。(対象はほぼ小学生~中学生です。お寺の子どもではなく、ほとんどが一般のご家庭ばかりです)

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Posted by 泰明@西光寺 at 11:19
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