2011年07月29日

『道元禅師伝』を拝読して

『道元禅師伝』(菅原研州著・曹洞宗宗務庁刊)を読んだ。

第一に、強く感じ、弘く申し上げたいのは、これはまさに宗侶必読の書であるということである。

『道元禅師伝』を拝読して

所謂、道元禅師のご生涯は、他の鎌倉期の祖師方と異なり、”ドラマティックではない”ということがよく言われる。もちろん、ドラマティックであれば良いのではなく、これは映画化や、小説化されるという前提での謂いであるが。

しかしながら、ごく一般的な宗侶、また檀家さま含め、道元禅師のご生涯は、その”ドラマティック”なさゆえ、わずか数シーンのみハイライトがあたり、その他のご行跡については、ほとんどが知られざるのが常である。
それは僅かに、「母の死に会い、発心したこと」「入宋の折、椎茸典座の話」「如浄禅師との出会い」「波多野義重公の手引きによる入越(大仏寺・永平寺開創)」「鎌倉下向」などと言えよう。

特に永平寺(大仏寺)に入られてからは、”鎌倉下向”を除けば、何もなくただ淡々と坐禅をされているかのごとく思われている。

また、大雑把に言って、ご生涯を研究する意志があり、実際参究したものでなければ、道元禅師のご生涯はあまりにその著述に比して無関心で、謎めいているように見える。
例えば、何故道元禅師の父が元来、久我通親公であり、近年の研究で通具公とされるようになったのか。或いは、母が伊子とされてきたが、その根拠となる典籍は何か等々。

そうした意味で、まさに不毛地帯であった道元禅師のご生涯を詳らかにするという事において、宗門もようやく重い腰を上げたというべきか。しかし、発心に早い遅いがないように、またこの事業も、菅原師を待ってようやく実現したと、私はもろ手を挙げて称賛したい。

厚顔を承知で申し上げるが、従来の道元禅師伝は、どのようにして組まれたものか、よく分からない。がしかし、師の文にあるようにこの道元禅師伝は、今まで考慮されなかった『永平広録』や瑩山禅師の『伝光録』をふんだんに取り入れて書かれている。
逆説的に言えば、それらは”今までの道元禅師の伝記には顧慮されてこなかった”ことになる。『永平広録』が道元禅師の上堂の記録であり、道元禅師をお慕いし時代的にもさほど下ることのない瑩山禅師のご提唱が『伝光録』であるとするならば、従来の研究方法(たぶん明治以来の”合理的”文献学)は、上辺だけを撫でたような、甚だお粗末なものと言わねばならない。

内容について、私自身が感銘を受けたのは、もちろん『正法眼蔵』や『随聞記』は言うに及ばず、何といっても上堂の記録『永平広録』を何度も挿入し、あたかも禅師の上堂を目の当たりにいているかのような生き生きとした印象を受けることである。

この本を読まれた方は「どこにそんな文学的表現があるのか。これは小説ではないのに」と言われるだろう。私の言わんとするところは、そんなことではない。

道元禅師の行跡に合わせ、『弁道話』など(『正法眼蔵』はいわずもがな)の著述、つまり禅師の宗教的思想に触れていること、そして『永平広録』をただの上堂語として、また禅境の深さを指し示すメルクマールとしてのみならず、上堂それ自体が道元禅師の面目として描かれていることである。また或いは、『宝慶記』という正に如浄禅師との仏法についてのやり取りを通して、我々は道元禅師の”求道の生き方”を見るのである。

また、当然のことながら『正法眼蔵』はご生涯を掛けられた著作であるので、その折々の思想的変遷も見逃せない。(そうした”変遷”がなく、とかく宗祖は”初めからずっと真理を悟っていた”と見る向きもないではない)
そこにも、”生きた道元禅師”が見えるのである。

こうした書き様は、変なたとえだが、篆刻の”白文”と”朱文”を想起させる。
即ち、白文とは印の漢字の部分を掘り込み、漢字が白い線で浮き出る印影の彫り方。朱文はその逆で、漢字の周りを彫って字を朱にするものある。

今まであまたある道元禅師伝が、その著者自身の一刀による白文であるとするならば、今回の『道元禅師伝』は対照的に、あらゆる伝記や時代考察が可能な書籍に当るだけではなく、禅師ご自身の手になる『正法眼蔵』や懐奘禅師の『随聞記』を織り込み、彫りこまれ、あたかも道元禅師のご生涯が浮き上がる(即ち朱文)であるかのごとくである。

もちろん、著者である菅原師自身が述べられているように、”道元禅師のご生涯については、研究者同士、百家争鳴的状況である”が、しかし”伝記を明らかにする困難さを示すため、敢えてその議論を議論のまま記述”されている。

そうであるから、文中にもたびたび、”他にも〇〇という説もある”というように、すべからく断定ではない。また研究され、引用されている典籍が曹洞宗系ばかりではないがゆえに、より一層、その伝記的地盤は強固ではない。しかし、これは”勝手な想像による道元禅師像”ではなく、さまざまな考証・典籍の渉猟を経て作り上げられた証左であり、それが一際、この『道元禅師伝』を魅力的にさせているのである。

逆にそこが私には新鮮で、なおかつ著者の面目躍如であると思っている。

始めに述べたように、これは宗侶必読の本である。私も折に触れて勉強させていただきたいと思う。




― この本の著者であり、私の大先輩である菅原研州師に感謝の気持ちと更なるご活躍を祈念して   泰明九拝―

タグ :道元禅師伝

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Posted by 泰明@西光寺 at 13:50
Comments(2)曹洞宗って・・・?
この記事へのコメント
こんにちは!makeです。

伝えられる教えだけでなく、伝えてくれた人の背景を知ることは、その教えをさらに深める手段となりえますよね。

音楽の世界とも共通するなぁと感じました(´U`*)1つの曲に親しむにあたって、作られた経緯、作曲にあたっての思い、作曲者自身の背景を知るのはとても大切なことです!

でも、マイナーな作曲者さんなんかだと、情報ゼロってこともしょっちゅうあるんですよねΣ(゜Д゜)

そんななか、その人自身について研究がなされることは、とても有意義だと思うのです(^-^*)
Posted by make at 2011年07月30日 10:39
makeさん、おはようございます。

コメントしずらい記事に、コメントいただき感謝です★

音楽の世界・・・まさにそうですね!私も「のだめカンタービレ」を見ていて思ったのですが、その作曲家の恰好をしたり、同時代の書物を読んだりするシーンが(確か)あったかと思います。

そういうのって、簡単に数値化や可視化はできませんが、演奏者にとっても、非常に大事なことですよね。

例えば、ピアノ曲でも”弾ければいい””間違えなければいい”というだけなら、自動演奏で構わないわけですから。それがひとたび一流のピアニストの手になると・・・まさに芸術の域まで高められると思います。

大切なことですね!
Posted by 泰明@西光寺 at 2011年07月31日 08:51
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