2011年03月03日

ホシヲさんありがとう!の巻

どすごいブログを始めてからお知り合いになった、整体「そら豆」のホシヲさんが、葬儀とお墓の本をもって西光寺に来てくださいました。

彼とは金子牧師さんの主宰する『呑気な居酒屋の会』で初めてお会いしてからというもの、コメントを下さったり、お食事をご一緒させていただいたり、ありがたいご縁を頂戴しています。地域ブログって、こういうのがすごく楽しいですよね。まるで誕生したばかりのfacebookみたい!(確か、最初は大学内のコミュニケーション手段だったはず)

いただいた本は、なかなか興味深い内容で、さっそく読んでいます。まことにありがたい次第です。


で、実はもっともっとありがたい、感謝してもしきれない事態が起きたのでした。

昨日から車の調子がおかしくなって、エンジンがかからなくなってしまったのです。ほとほと困り果てて、さっきディーラーさんに電話している最中に、ホシヲさん&ゆみさんが来てくださり、私がディーラーとの電話を切ると同時に「俺、自動車の整備士してたから、見てあげようか?」と一言。

そうだった、ホシヲさん、整備士さんやってらしたんだった。なんてありがたいことだ!

こんなこともあるんですね。
と、いうことで、あちこち丁寧に見てくださって、あちこちチェックしてくださっていると・・・ふいに”キュルキュル・・・ブーン”とエンジンがかかりました!!
なんで?頭が真っ白になる泰明。しかも何事もなかったように車のエンジンは快調・・・。どうなってんの?もしやこれが「神の手」??

とにかく、ありがた過ぎて、「そらまめ」さん方向に足を向けて寝れません(笑)
ホシヲさん、ゆみさんホントにありがとうございましたnicoまたお願いします(←って、おいおいicon10)  
タグ :そら豆整体


Posted by 泰明@西光寺 at 15:39
Comments(4)雑感(ひとりごと)
 

2011年03月03日

仏教Q&A 地鎮祭


<ご質問>
住宅の新築では、当たり前のように地鎮祭を行うのだけど、それってほぼ100%神主さんが来る神式のなんだけど、やっぱり仏式のもあるんですよね?
それとか、地鎮祭だけじゃなくて、上棟式や竣工式、建築関係の神式と仏式の違いみたいなものってあるのですか?
例えば、神式の地鎮祭って、神様に降りてきてもらって、これから建築工事するから守ってね的な話をして、みんなでお参りして、帰っていただいて、最後にお神酒でお開き(なおらい)をやるんだけど、地鎮祭一つとっても全然違いそう。どうなんでしょうか?


<回答>
いやぁ、これもいい質問ですね。質問者さんは建築関係のお仕事をされているそうで、それでこのような事を疑問に思われそうです。

まず、仏式の地鎮祭に関しては、存在します。実際に見たこともあります。(でもお寺ですが・・・笑)
ただし、上棟式はないと思います。(後日補:曹洞宗でも上棟式はあります。雲栄山さん、ご指摘いただきありがとうございました。)竣工式は「落慶式(らっけいしき)」という形で法要をするのが一般的です。

仏式の地鎮祭って、完全に神式を見倣って始められたと私は思ってましたが、どうもそうでもないらしいです。(その説明は後にします。)

さて、その仏式ですが、基本的には質問者さんの(つまり神式)流れと酷似しています。(たぶん、仏教が真似したんだろうと思いますが・・・)
最初に、土地を清める儀式をして、そして災いをなくし、工事を無事に円成できるようにとお経をよみ、参列者に焼香してもらって終わりです。

「鎮守」(ちんじゅ)という概念はみなさんご存知ですか?要するに土地を守る神様なんですが、こうした神様にお経を読むこともあるんですよ。(鎮守諷経、ちんじゅふぎん、と言います)

それ(鎮守)は仏教とか神道とかあまり意識する前の、更に古い日本人が持つ認識だと思います。というのも、最初に「神道のやり方を仏教がまねたと思っていたけど、違うみたい」と書きましたが、典拠になりそうな本を持ってました。(ラッキーicon01

『神道祭祀 -神をまつることの意味-』(真弓常忠・朱鷺書房)がそれで、この中に「地鎮祭の記録」という項があります。(P307~311まで適宜参照)
これによると・・・
 *『日本書紀』に拠れば持統天皇のころ、新しい都を作る際に地鎮祭が行われた。(神式)
 *その後、藤原京や平城京の地鎮祭もおこなわれた。
 *しかしそれより前、孝徳天皇(白雉二年)の頃には難波宮造営の際に”僧尼二千百余を請し”仏式で地鎮祭が行われた。
 *地霊の鎮祭は宮殿の造営ではじまったわけではなく、既に弥生時代の祭祀がそうであった。
 *この大地はもとより地上の万物、すべて神の坐す処として崇めたのが日本の信仰である。それ故、その地に建造物を設ける場合は必ずその神におことわりをして、工事の無事竣工を祈り、建物の長久堅固に守護されることを祈ったのである。神道という言葉の生ずるよりはるか以前からの日本の習俗であった。

ということで、非常に古い意識があって始められたんですね。でも圧倒的に神式が多いのは、多分、神仏習合で宗教間の摩擦が少なく、住み分けが上手くいっていたからなんだと思います。日本の宗教は面白いですね。
ご質問、ありがとうございました。  
タグ :豊橋


Posted by 泰明@西光寺 at 09:01
Comments(5)仏教 Q&A