2011年03月31日

〇〇が集まって話しをすると・・・

昨夜は永平寺の修行仲間の一人にお子さんがお生まれになったということで、ささやかな祝賀会をしました。私を含め、どすごいエリアから5人の僧侶が集まりました。お祝いはお祝いとして、素敵な会になったと思うのですが、実はそっちのけで(ゴメンナサイ)、別の話に花を咲かせましたicon10

率直に言って、「みんな悩んでいるんだな」ということ。

勿論、僧侶として、ということです。
同じ曹洞宗のそれも同年の、しかも同じ時に修行をした僧侶と言っても、現在の立場や置かれている境遇は千差万別。
大学の非常勤講師をしながら同時にお寺の法事に忙殺される僧侶。幼稚園を経営しつつお寺も維持していく僧侶。住職としての辞令を受けている者もいれば、そうでない者も(それだけでも全く立場や考え方が変わってくるような気がします)いるし、修行後に諸外国で布教に従事したものもいる。そして私のようにごく一般的な僧侶(笑)

切り口の違いはあれ、みな問題意識をもって、それぞれできることをやっている、というのが強く受けた印象でした。

特に今回の大震災に関しては、彼らが中心となって、石巻市まで送った物資を準備していたので、その時の話や、逆に全国曹洞宗青年会の役員である僧侶からは、全国規模で動くことの難しさ、とりわけ情報収集とその連絡方法、実際アクションを起こすまでの過程もチラリと聞き、支援も一様ではないし、一様にも出来ないという思いを新たにしたり。

後は、あれですかね・・・あんまり大っぴらに書けませんが(汗)・・・、教団や所属している会の批判というか・・・。まぁそれだけその会や団体に対して真剣に思っているからでしょうね。ただ、変えようと思っているんだったら、やっぱり痛みを伴ってもアクションを起こさないといけないのかな、とも感じました。ちょっと抽象的にしか書けなくてごめんなさいkao

と、いうことで、意外にも真面目な話に終始していたような会でした(笑)
「そうなの?」と驚かれるかもしれませんが、僧侶だってのうのうと暮らしているわけではありません。やはり自分の置かれている立場・境遇が如何なる具合においても、仏教を宣揚し、仏道を行じていくという芯(心、かも)は持ち続けるべきだし、それがなければ僧侶とは呼べないのかもしれません。そして、それがあるからこそ、また悩みもあるんでしょうね。

ともあれ、このような良き修行仲間が周りにいることを幸せに思います。有り難いことです。  


Posted by 泰明@西光寺 at 13:03
Comments(4)ぼ~さんの日常