2011年04月05日

これからの「葬儀」の話をしよう -3-

*********補記***********
今更書くようなことでもないですが、このたびの東日本大震災が起きてからというもの、私自身いろいろな思いが脳裏をよぎりました。僧侶としてはもちろん、一個人として、豊橋市民として、父として。
書き溜めてあった記事もアップを見合わせたり、そもそも新しい記事が書けるような状態ではなかったのもまた事実です。

でもこの記事をアップします。テーマがテーマだけに、悩みました。それにこのタイミングで載せるようなことでもないのかもしれない。でもアップしたのは、曹洞宗関係の掲示板で、何人もの被災された僧侶が書き込みをされており、私は以下のような思いを受け取ったからです。

「僧侶も一般の方も同じように被災され、大変な思いをされている。法服もなければ、数珠などの仏具も流されてしまった。しかも自分のお寺を支えてくださった檀家様が何十人も亡くなられ、今なお何十人も安否が確認できず、それでも火葬が始まり埋葬が始まっている。身を切られるような辛い思いを抱えて、それでも葬儀を行わなければならない。いや、このような立場にあっても行うのが僧侶だ。亡くなられた方のため、遺された方のために。」

確かにこのタイミングで葬儀について考えるのは不謹慎だったり、KYなのかもしれません。しかし、あえてそれを知ったうえで、このテーマを考えていきたいと思います。

それは何故ならば、上記のように、「亡くなられた方のため、遺された私たちのために」今、もう一度真剣に考えていこうと思います。

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僧侶だって悩みがあるんです・・・。みなさんには、ホント~に言いにくいことなんですけどね・・・。

さて、今回は、”僧侶がみた葬儀”というちょっと変わった視点から考えてみたいと思います。
普通、世間で手に入る書籍やネットの情報は全て、葬儀社とかご遺族とか、要するに「僧侶ではない人々」の手になるものですよね。まぁ当たり前って言えば当たり前なんですが。

だからこそ、「僧侶からの視点」というテーマで、今回は書いてみます。有る意味、貴重というかアウトレイジアスな回です。ただ、葬儀の悩みといっても、「参列者が多いと緊張する」とか「遺族様と何を話して良いかわからん」とか、そういう個人的な悩みではないです。もちろん、そうした悩みもないではないのですが、実はもっともっと根源的な、学問的な、大前提の悩みを抱えているんです。

早い話、私も含め僧侶が、葬儀に関して「これって仏教なのかな?仏教じゃないと思うんだけどな・・・。今まで大学や修行道場でも葬式についてだれも教えてくれんし、どうしたらいいんだろう」と悩むのは少なくないはずなのです。

何故、僧侶が「葬儀は仏教じゃない」と思い悩むのでしょうか。
非常に参考になる資料があるので、それを見ていきたいと思います。
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Posted by 泰明@西光寺 at 13:24
Comments(2)仏教のこと