2011年04月21日
吾輩の猫は賢いのである
何とはなしに本棚にあった『吾輩は猫である』を手に取ってパラパラしていたら、いつの間にか引き込まれて読んでしまいました。
漱石の該博さを今更ここで講じても、仕方のないことですが、今回読んでいて「流石!」と思える文があったので、仏教ネタを絡めて、ちょっとメモ代わりに書いておきます。
”全くのぼせを下げるために六祖が米をつきながら考え出した秘法である。”
え?何がいいたいの?って感じでしょうか。そうですよね。今から解説です。
私の持っている本には、”六祖”のところに註がついていて、曰く「中国唐代の南宗禅の開祖、慧能。達磨から数えて六人目の祖師」とあります。惜しいのは「六祖」の註だけでは不完全なのです。
これは有名な話なので、たぶん曹洞宗の僧侶なら(或いは臨済宗系も?)知らないものはないと思うんですが、六祖の説明よりも、この”米をつく”のがミソなんです。「米とかミソとか何なんだよ!」、と思わずに読んでください(笑)
この脚注にはないんですが、六祖慧能がお寺に入って、いきなり師匠(ダルマから数えて五番目の祖、五祖弘忍)から「米搗き小屋で米をつくように」命じられます。確か7カ月だったか、ずっとお米を搗いて=精米しているんですね。今みたいにお寺に住職と奥さんしかいない、みたいな世界ではないですから、何十、或いは何百人もの修行僧がいて、更には農作業にも従事していたはずです。自給自足的な修行生活だから米搗き小屋があるんですね。
で、エピソードとしては、その「米をひたすらついて」悟りを得たとされます。その時、お寺の後継者を決めるために、たくさんいる修行僧の中でも実力・博識トップと言われた、神秀という人が自分の見識を元に”悟りの境地”に関して詩をお寺の壁にしたためます。
脱線しますが、この神秀の詩は結構有名で、角川だったか、なんかの文庫本の栞のデザインにこの詩が使われていました。(「身はこれ菩提樹。心は明鏡䑓の如し、云々」ってやつです)
で、その神秀の詩を見て、自分も隣に詩を書くんですね。「菩提もと樹なし。明鏡また台に非ず。云々」、まぁ要するに神秀の詩をもじって、もっと上の境涯を指し示すのです。すると、そのお寺の現住職(五祖)が、米を搗いていただけの慧能に「お前こそ、真の後継者だ。しかし、表ざたにすると迫害を受けるから、この衣(=後継者)の証を持って夜に逃げなさい」みたいなことを言われる、とまぁこういうエピソードがあるんですね。
(記憶が曖昧ですみません。10年以上も前、大学の講義の記憶なので・・・汗。『六祖壇経』持ってる人、教えてください
)
『吾輩は猫である』をお読みになられた方(ほとんどみんな、か)はご存じだと思いますが、よくもまぁ次から次へと故事・成句・洋の東西、古今を問わず人名や言葉が出てくるとほとほと感心します。ソクラテスとかプラトンとか言うに及ばず、ニーチェや蘇軾の詩まで引用されています。仏教系の語句もものすごく多くて、この”六祖碓米”のエピソードにも感心します。
そうそう、この蘇軾って人は中国宋時代の人ですが、蘇東坡とも呼ばれ、確か役人かなんかだったんですが、東坡居士と号してすごく高い禅の見識を持っていたとされています。「居士」というのは現在では死んだ方の戒名でしか見たことがないと思いますが、本来の意味は、在家にありながら、非常に仏教に精通した男性を指しています。
ちなみに、蘇軾は詩もすごい(らしい)のですが、書も”宋の四大家”と呼ばれ、その弟子と言われる黄庭堅(こうていけん)と蔡襄(さいじょう)、米芾(べいふつ)の合わせて4人を指しています。
更に余談ですが、私個人的に、書の中で、この黄庭堅、またの名を黄山谷(こうざんこく)が一番好きで、それだけのために上野の博物館まで真筆を見に行ったほどの”オタク”です(笑)
そういえば、夏目漱石は生前、漢詩もよくしたし、書にも理解があったようで「良寛和尚(江戸後期の新潟生まれの禅僧。その書は重文級)の書を手に入れるためなら、自分の書をいくら書き与えてもよい」と言ったほど、心酔していたようです。
私の師事している書家の先生は、まさにこの良寛和尚の書研究の重鎮というべき方で、この方のご厚意で新潟に良寛さんの真筆を見に行ったことがあります。しかも、資料館や美術館に展示されているものではなく(けっこう偽物が多いらしい)、良寛さんが最後に家を借りていたその名家の家宝として伝わっている、紛れもない本物を、目の前で何幅も見せていただきました。
が、夏目漱石の足もとにも及ばない凡人の私は、何がいいのかさっぱり分からず、己の学と経験のなさに打ちのめされて新潟を後にしたことを、昨日の事のように覚えています(涙)
で、何の話でしたっけ?脱線しまっくて忘れてしまいました。夏目漱石はすごいってこと?
漱石の該博さを今更ここで講じても、仕方のないことですが、今回読んでいて「流石!」と思える文があったので、仏教ネタを絡めて、ちょっとメモ代わりに書いておきます。
”全くのぼせを下げるために六祖が米をつきながら考え出した秘法である。”
え?何がいいたいの?って感じでしょうか。そうですよね。今から解説です。
私の持っている本には、”六祖”のところに註がついていて、曰く「中国唐代の南宗禅の開祖、慧能。達磨から数えて六人目の祖師」とあります。惜しいのは「六祖」の註だけでは不完全なのです。
これは有名な話なので、たぶん曹洞宗の僧侶なら(或いは臨済宗系も?)知らないものはないと思うんですが、六祖の説明よりも、この”米をつく”のがミソなんです。「米とかミソとか何なんだよ!」、と思わずに読んでください(笑)
この脚注にはないんですが、六祖慧能がお寺に入って、いきなり師匠(ダルマから数えて五番目の祖、五祖弘忍)から「米搗き小屋で米をつくように」命じられます。確か7カ月だったか、ずっとお米を搗いて=精米しているんですね。今みたいにお寺に住職と奥さんしかいない、みたいな世界ではないですから、何十、或いは何百人もの修行僧がいて、更には農作業にも従事していたはずです。自給自足的な修行生活だから米搗き小屋があるんですね。
で、エピソードとしては、その「米をひたすらついて」悟りを得たとされます。その時、お寺の後継者を決めるために、たくさんいる修行僧の中でも実力・博識トップと言われた、神秀という人が自分の見識を元に”悟りの境地”に関して詩をお寺の壁にしたためます。
脱線しますが、この神秀の詩は結構有名で、角川だったか、なんかの文庫本の栞のデザインにこの詩が使われていました。(「身はこれ菩提樹。心は明鏡䑓の如し、云々」ってやつです)
で、その神秀の詩を見て、自分も隣に詩を書くんですね。「菩提もと樹なし。明鏡また台に非ず。云々」、まぁ要するに神秀の詩をもじって、もっと上の境涯を指し示すのです。すると、そのお寺の現住職(五祖)が、米を搗いていただけの慧能に「お前こそ、真の後継者だ。しかし、表ざたにすると迫害を受けるから、この衣(=後継者)の証を持って夜に逃げなさい」みたいなことを言われる、とまぁこういうエピソードがあるんですね。
(記憶が曖昧ですみません。10年以上も前、大学の講義の記憶なので・・・汗。『六祖壇経』持ってる人、教えてください

『吾輩は猫である』をお読みになられた方(ほとんどみんな、か)はご存じだと思いますが、よくもまぁ次から次へと故事・成句・洋の東西、古今を問わず人名や言葉が出てくるとほとほと感心します。ソクラテスとかプラトンとか言うに及ばず、ニーチェや蘇軾の詩まで引用されています。仏教系の語句もものすごく多くて、この”六祖碓米”のエピソードにも感心します。
そうそう、この蘇軾って人は中国宋時代の人ですが、蘇東坡とも呼ばれ、確か役人かなんかだったんですが、東坡居士と号してすごく高い禅の見識を持っていたとされています。「居士」というのは現在では死んだ方の戒名でしか見たことがないと思いますが、本来の意味は、在家にありながら、非常に仏教に精通した男性を指しています。
ちなみに、蘇軾は詩もすごい(らしい)のですが、書も”宋の四大家”と呼ばれ、その弟子と言われる黄庭堅(こうていけん)と蔡襄(さいじょう)、米芾(べいふつ)の合わせて4人を指しています。
更に余談ですが、私個人的に、書の中で、この黄庭堅、またの名を黄山谷(こうざんこく)が一番好きで、それだけのために上野の博物館まで真筆を見に行ったほどの”オタク”です(笑)
そういえば、夏目漱石は生前、漢詩もよくしたし、書にも理解があったようで「良寛和尚(江戸後期の新潟生まれの禅僧。その書は重文級)の書を手に入れるためなら、自分の書をいくら書き与えてもよい」と言ったほど、心酔していたようです。
私の師事している書家の先生は、まさにこの良寛和尚の書研究の重鎮というべき方で、この方のご厚意で新潟に良寛さんの真筆を見に行ったことがあります。しかも、資料館や美術館に展示されているものではなく(けっこう偽物が多いらしい)、良寛さんが最後に家を借りていたその名家の家宝として伝わっている、紛れもない本物を、目の前で何幅も見せていただきました。
が、夏目漱石の足もとにも及ばない凡人の私は、何がいいのかさっぱり分からず、己の学と経験のなさに打ちのめされて新潟を後にしたことを、昨日の事のように覚えています(涙)
で、何の話でしたっけ?脱線しまっくて忘れてしまいました。夏目漱石はすごいってこと?